青山学院大学 浅井 洸耶選手「プロ入りを果たすために昔も、今も本気で取り組んでいる」

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  2回の甲子園出場で攻守にわたって高いパフォーマンスを示し、高校野球ファンを魅了したショートストップ・浅井 洸耶。現在では青山学院大に進学し、レギュラー獲りを目指す毎日。そんな浅井選手の高校時代を振り返りつつ、現在を追った。

野球部の気風を変えた理由

浅井 洸耶選手(青山学院大学)

 浅井の高校時代を振り返ると、挫折を乗り越えながら高校生トップレベルのショートストップになったことが分かる。それだけではなく、浅井はとにかく上下関係があまりなく、仲良し集団である現在の敦賀気比野球部の気風を築き上げた人物でもあった。

 河南シニアを経て、敦賀気比に入学した浅井。入学当初から東 哲平監督に期待された浅井は、結果を残して1年秋にレギュラーを獲得。チームも北信越大会準優勝を果たし、2013年、センバツ出場を果たす。そして沖縄尚学との開幕戦で浅井は5番ショートでスタメン出場し、5打数5安打の大活躍を見せる。この活躍を機に浅井の名は一気に知れ渡る。この5安打を振り返り、浅井はこう語る。「大会前はかなり調子が悪かったのですが、甲子園ではアドレナリンが出るというか、甲子園が打たせた5安打だったと思います」

 その後、敦賀気比はベスト4まで駆け上がった。浅井は5試合で、18打数7安打、打率.389と2年生打者としてしっかりと活躍を見せていた。この活躍の背景には、3年生たちの浅井に対する接し方があった。

「あの時は1学年上の先輩たちに可愛がられてノビノビとプレーすることができたと思います。入学した時の敦賀気比はガチガチな雰囲気があったんです。いわゆる体育会で先輩たちが怖い。だから下級生の選手が試合に出場するのは重圧があります。でも自分は可愛がられたことでノビノビとやることができました。これは自分たちが上の代になってからは変えていこうと思いました」

 現在の、笑顔が溢れて先輩と後輩の仲が良い敦賀気比野球部からは想像がつかないが、この気風にしたのが浅井だったのだ。2年の夏が終わって、浅井は主将に就任した後、上下関係の縛りを極力なくすことを心掛けたという。「特に寮生活など面倒なことがありましたので、それを全部なくしました。やっぱり上級生、下級生関係なく、選手たちにはプレーに集中して、最高のパフォーマンスができるように準備をしてもらいたいので。やりやすい環境に整えるのが、僕の仕事でした」

 最低限の縦のつながりは保ちながらも、下級生にもプレーしやすい環境を揃えようとしてきた。後の話になるが、それがあったからこそ、1学年下のエース・平沼 翔太(2015年インタビュー)を含め多くの下級生が活躍できているのだろう。「下級生も活躍できる雰囲気作りができているのは、敦賀気比の誇れるところだと思います」

 しかし、自身のパフォーマンスは伸び悩んでいた。「打撃はダメで、守備も自信がなくなって一時、外野をやっていたんです」

 2年秋、チームは北信越大会1回戦で日本文理に敗退、選抜出場を逃してしまう。長い冬が始まった。浅井はこの冬は攻守ともに1から見直す期間と定めた。

[page_break:1から攻守を見直し、最後の夏で飛躍]1から攻守を見直し、最後の夏で飛躍

浅井 洸耶選手(青山学院大学)

 まずショート復帰を目指すために、ゴロ捕りの基本練習を徹底的に繰り返した。そして振り込みは1日最低1000本。マシンを150キロに設定して500球、そしてティー打撃500本を行うというのをノルマとした。敦賀気比は動く球を打って打ち返すことを重視している。「生きた球を数多く打たないと意味がないということからこの練習法をやっていると思います」

 150キロのスピードボールをしっかりと打ち返し、さらに500球を打つのは並大抵のことではない。さらに全力での素振りは6秒に1回スイングを30分間。毎日やり続けると手の皮がボロボロになり、寮に帰っても風呂でのシャンプーは指先の腹しか使えないこともあった。だが効果は確かにあった。スイングスピードがかなり速くなっているのを実感したのだ。飛距離も変わって、スタンドインすることも多くなった。スイングスピードが速くなるのと同時に東監督から長打を打つフォームの感覚も教えてもらった。

「ホームランを打ったスイングって振り幅が大きいんですよ。感覚的なんですけど、こういうスイングができたら、ホームランになるというのが分かりました。そうしたら春以降、一気に本塁打を量産しましたね」

 浅井の高校通算本塁打は32本。うち約半数は、3年春から夏にかけて打ったものだ。半年で、2年間分を打っていることを考えると、相当なハイペースといえるだろう。この時期は、浅井だけではなく多くの選手の打撃が伸びた。「峯 健太郎も、岡田 耕太も打つようになりました。岡田が一番本塁打を打ったと思います。やっぱり冬って大事なんだと気づきました」

 そして打撃と並行して取り組んできた守備も、「一番良い時にまで戻った」と充実した冬を送った浅井を含めた敦賀気比ナインは夏の福井大会を勝ち抜き、甲子園出場。浅井は盛岡大附戦(試合レポート)でも本塁打を放ち、21打数7安打と活躍を示したが、浅井は、「2年の選抜の時は本来の実力を発揮できたと思いますが、3年夏の甲子園では力を出し切れませんでした」

浅井 洸耶選手(青山学院大学)

 だが試合を振り返れば、2年選抜はヒットを打った試合は5試合のうち2試合。対して3年夏の甲子園では5試合のうち4試合と満遍なく打っている。だが、この代の敦賀気比は浅井だけではなく、多くの選手が大当たりしていた。だから浅井自身、あまり打てていない方だったと思っている。

 成長した自分を見せたと言い切るには、2年春と同程度の成績ではなく、それよりも突き抜けた成績を残すことが重要だった。それが次の進路にも影響したのだろう。浅井は高校時代からプロか社会人のどちらかに行くことを決めていたが、東監督と話し合い青山学院大へ進学を決めた。「もともと大学に行くことは選択肢にはなかったのですが、今のままプロへ行っても苦しむだけですし、大学でワンクッション置いて実力を磨いたらどうだと東監督からすすめられました。青学は敦賀気比の先輩が結構いましたので、そこでお世話になることを決めました」

 こうして浅井は大学野球で腕を磨き、プロを目指すことになった。

[page_break:原 樹理投手と対戦したからこそより本気で取り組むようになった]原 樹理投手と対戦したからこそより本気で取り組むようになった

浅井 洸耶選手(青山学院大学)

 東都大学野球連盟に所属する青山学院大に進学した浅井。渋谷と相模原の両キャンパスどちらかで授業を受け、また練習では相模原キャンパス内にある練習所で、実力を磨いている。福井県敦賀市から一気に都会へ進出。かなり華やかになったが、浅井も見られることを意識して、ウェアにもこだわっている。もともと高校時代からウェアについてのこだわりはあった。デザインはもちろんだが、浅井が重視しているのは機能性。

「着やすさですね。それは弾力性にもつながってきていて、本当に動きやすいですね。また汗の吸収力や、速乾性も満たしてくれているか。今、自分が着ているものはそうだと思います」

 機能性にこだわりつつも、大学ではカッコよさを求め、よりデザインが一新されたウェアを着用。普段の部屋着、トレーニングウェアでも着用している。また大学生活も、野球部の選手だけではなく、野球部以外の学生とも交流を交わし、楽しくキャンパスライフを送っている。

 そして選手としての1年間はレベルの高さを痛感する1年となった。「ボールのキレ味が全く違いましたね。木製バットの対応もまだまだでした」

 最も凄かったのが原 樹理(東洋大)だった。5月23日に原と対戦したが、結果は3打数0安打だった。「別格でした。でもあのレベルを打たない以上、プロにはいけない」と感じた浅井。プロに行くためには大学1年から本気で取り組まないといけないと改めて実感した。浅井は遊撃手ではなく、一塁手やDHでの出場が続くが、遊撃手というこだわりはない。今はどのポジションでもいいので、絶対的なレギュラーとして試合に出場するのが目標だ。

 自分がウリにできるのは打撃。今は山田 哲人(東京ヤクルト・関連コラム)の打撃を参考に打撃フォームをまねたり、山田選手が実践するティー打撃も取り入れている。「自分はパワーがある選手ではないので、体をうまく使って飛ばすことを重視しています」

浅井 洸耶選手(青山学院大学)

 また技術だけではなく、ウエイトトレーニングにも力を入れて、高校時代の68キロから76キロまで増量させた。目標とする選手は今年、オリックスからドラフト1位指名を受けた吉田 正尚だ。吉田は浅井にとって高校・大学の先輩。そんな吉田を浅井は「野球をやるときは目の色が違う。打撃は見ているだけで参考になりますし、尊敬しています」と憧れている。

 原 樹理レベルの投手から打てないとプロに行けないと考えていた浅井。先輩である吉田は、その原から本塁打を打っており、プロへ行くにはどんなパフォーマンスをすればいいのか、先輩がしっかりと示してくれている。浅井はそれを実感している。

 目標のプロ野球選手を果たすために、残り3年間を一時も無駄にしない。

(取材・文/河嶋 宗一)

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