ヤクルト畠山や西武の中村ら“ぽっちゃり”体型の選手の活躍が目立つ今季 ©BASEBALLKING

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◆ 『俺たちの時代』を語りつくそう〜90年代“ぽっちゃり”選手ランキング〜

 畠山和洋(ヤクルト)、筒香嘉智(DeNA)、そして中村剛也に森友哉(ともに西武)と、今シーズンは少々…“太め”の打者の躍進が目立つ。

 元々、昨年までも活躍はしてきた選手たちだが、現在は打撃部門の上位を争っている中に食い込んでおり、今年はさらに際立っている印象だ。

 そこで、今回は1990年代においても“ぽっちゃり”した体格で活躍した選手をピックアップし、ランキングにまとめた。

◆ 現楽天監督・デーブ大久保は巨人移籍で開花

 1位は、現在、楽天の監督して活躍中ということに敬意を表して大久保博元(巨人)とした。

 大久保は1984年秋のドラフト会議で西武から1位指名された逸材で、入団当初から太めの体格。その後、当時西武が実施していた野球留学によりアメリカマイナーリーグA級サンノゼ・ビーズでプレーしたが、そのときの登録名が太っていることに掛けた「DAVE・OKUBO(デーブ・オオクボ)」。それが、そのまま日本でのニックネームとなって根付いている。

 西武時代の大久保はファームでは打ちまくっていたものの、一軍で目立った成績を挙げることができないまま年数が過ぎ、プロ入り8年目となる1992年のシーズン途中に中尾孝義とのトレードで巨人に移籍した。

 ところが、これが大当たり。トレードが発表された5月8日から4日後となる12日のヤクルト戦(熊本)で移籍後初出場を果たすと、次の試合からスタメン捕手で起用されてレギュラーに定着。そのシーズンは84試合で15本塁打、43打点。西武での7年ちょっとで放った一軍通算6本塁打を1シーズンで悠々上回る活躍をみせた。

 当時のデーブの魅力は、他の選手が打ちあぐんでいた投手をひとりだけ別次元で「ガツン!」と打ったところにあった。例えば、1993年4月27日の対横浜戦。9回表に、当時リリーフエースだった「ハマの大魔神」こと佐々木主浩の地面すれすれのフォークボールをすくい上げてレフトポール際へ放り込む逆転3ラン。

 1994年の日本シリーズ第4戦では、9回表2アウト2ストライクから西武・杉山賢人の投げた高目の完全なボール球を同点本塁打にしてしまった打撃などは語り草になっている。

◆ 吉永幸一郎は当時の「リアル・ドカベン」

 続いて第2位は吉永幸一郎(元ダイエー)だ。今でこそ、森友哉(西武)が野球漫画『ドカベン』の主人公・山田太郎に近い存在として注目が高まっているが、90年代の「リアル・ドカベン」といえばこの吉永だった。

 作者・水島新司が熱烈に応援するダイエーホークスの捕手で、しかも左打ち。豪快なスイングで本塁打を放つときもあれば、柔軟な対応力でヒットも放つなど、特に打撃面で抜群の存在感をみせた。

 

 そして、第3位はブライアン・トラックスラー(元ダイエー)を挙げておきたい。175センチながら、おそらく100キロを超えていると思われる太っちょ外国人で(公式発表は92キロ)、見た目に似合わぬアベレージヒッターとして1994年開幕直後に大活躍。「コロコロちゃん」という愛称で親しまれた。

 この年のダイエーは、シーズン後半まで上位争いに加わり、結果的には4位も、17年ぶりに勝率5割超えを果たし、同率2位のオリックス、近鉄に勝率で6毛差に迫る大躍進をとげた。

 トラックスラーの打撃はシーズン後半には失速してしまったが、同時期にプレーしていた188センチのケビン・ライマーとのコンビは「ライマーとトラックスラー」という響きも何となくいいリズムで、2人の凸凹コンビぶりは強く印象に残った年だった。

 それだけに、翌1995年にケビン・ミッチェルの入団により押し出されるように解雇され、引退後の2004年に37歳の若さでこの世を去ったのは大変残念だ。

 90年代には、他にも「おかわり君」的な先天的な太め選手として矢作光一(元日本ハム)、入団当初は細かったのに年齢とともに太くなっていった藤本博史(元ダイエー)、太っていても素早さがあった西山秀二(元広島)などがいた。

 そう考えると、「野球というスポーツにはいつの時代においてもこういう選手がいるのだなあ」と、改めて感じるランキングとなった。

文=キビタキビオ(きびた・きびお)