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●好きなことと、生きていくための仕事は分けて考える『テルマエ・ロマエ』『スティーブ・ジョブズ』など数々の作品を世に送り出している漫画家ヤマザキマリさんが、このほど『とらわれない生き方 悩める日本人女性のための人生指南書』(KADOKAWA/メディアファクトリー)を刊行した。日本とイタリアを始め世界中を行き来して活躍する同氏に、仕事と生き方への思いを伺った。

○「仕事とプライドを融合させない」

--「好きなことと生きていくための仕事は違う」という話が出てきますが、仕事を選ぶときに意識されていることはありますか?

気が進まない仕事は山のようにやってきましたが、人生で初めての仕事がちり紙交換だったので、後の仕事はどれを取ってもあの地道な肉体労働に比べたら楽だし優遇されている気分になります。意識しているのは、お金を稼ぐ目的で選んだ仕事とプライドを融合させないこと。生きるために選んだ仕事に対しては、常にそういう意識ですね。

あと、「やりたくもないことをやっている」と思った瞬間に超やりたくなくなるので、一切考えないことにしています。"郷に入ったら郷に従え"で、「たのしくやろうぜ」というノリでやる。やっぱり「マザー」(※同書内で使われている用語。「心の核に存在する、ゆるぎない自分」の意味。自分の中にいるもう一人の自分)の意識を感じるうちは何をしても大丈夫だという気持ちになれる。「基本あなたは何だってできる、何やったっていいじゃない本質は変わらないんだから。やりたくない事をやったからってなにもそれに嫌々染まる必要もない」って、自分に言い聞かせています。

--その自信のようなものは経験から来るものでしょうか

子供のときから自意識も無いままにいろんな経験をしていますので、それが大きいのかと。母子家庭だったり、早くから一人で海外旅行をしたり、縁もゆかりも無い外国で暮らすようになったりしたことで「ある程度のことは自分でやりくりします」「わからなかったら、これとこれ合わせれば応用できます」と判断できるくらいの柔軟性は身に付いたのでしょう。そのおかげで、お金のためにやることも、自分のためにやることも含めたいろんな仕事も平気でできましたし、やることがお金と結びつかなかったって困惑したりすることもない。自分の意志と決断力を信頼すれば、どんなこともいくらでもできると思います。

--どうやって楽しくするんですか?

例えば、以前札幌の「日本イタリア協会」事務局で事務職をやったことがありますが、最終的には語学学校を立ち上げることになりました。事務職もやったことはないし、学校を運営するなんて事も初めてでしたが、とにかく携わる事にはワクワクしたかった。だから自分もそこに教師として教えに行ってました。経験に自分の知っている事を知りたがっている人に教えて上げる充足感のような行為にも、それなりの喜びがあると言う事を知りました。それからイタリア語を教える先生を探しに行って、そこで「イタリア映画の夕べ」を企画する、「イタリアワイン会」をやる。さらにそこから広がっていって、いろんなイタリア関係のイベントを仕切れるようになりました。皆も喜んでくれますが、わたしも一緒に楽しくなれる。それに、そうやって行動しないと、自分が責任者としている意味がない気がしたんです。せっかく十何年もイタリアに行って、イタリア語ができて、イタリアの食文化などが分かってるのに、それを学びたい、知りたい、という人がいるなら有効利用しないのはもったいない…。

たとえお金のため、生きて行くために選んだ職業にしても、携わっている限り、心地悪いのが嫌なのかもしれない。自分が正しいと思っていることは主張したいし、もし文句を言ってくる人がいても、それはそれでいいんです。文句大歓迎だし、ディスカッションしたい。基本的に立ち止まっていられない。回遊するマグロのような人かもしれないですね。

○人よりも土地と触れ合いたい

--それは世界のあちこちに行かれるのと通じるものがありますね

そうですね。その場に行って、その場に適応するのと同じです。自分のまわりにボーダーを作らないんです。誰が入って来たっていいんですよ。だってそれで失うものなんてないですから。色んな人が来てごちゃごちゃにしても、私はあとでそれをゆっくりメンテナンスできるし、戸惑いに飲み込まれそうになっても必ず冷静な自分がどこかで戻ってくる。ただ私は私という形でそこに毅然(きぜん)といるわけだから、表面上どんな混乱があっても安心はしていていいんだって心底では思っています。

--「私は私の形」というのがこの本に出てくる「マザー」につながっていくんですか?

核心ですよね。必ず、自分を守ってくれる存在というか、「泣きわめこうが悲しもうが何してようが絶対に程よきところで収まるから大丈夫」っていうような自己コントロールを無意識にしていると思うんです。その心底から自分の様子を客観的に傍観しているような意識を「マザー」と呼んでいます。

まあ、母体ですよね、自分の中でも最も原始的な部分だと思いますよ。生き抜きたいと思うじゃないですか、生き物である限りはどの動物も。虫だって殺されそうになったら逃げるし。多分、それと同じ働きかけなんだと思います。後天的に身につけてきた余計な感情だとか余計な精神性が邪魔して「ああ、私もう駄目だ」とかなるわけですけど、そのときに本能的なものが「そんな小さいとこに固まってるんじゃないよ、ばかばかしい」って信号を送ってくるという感覚ですね。

その辺はやっぱり私が北海道で育ったり野生児だった部分が強いかもしれません。そこで自分が他の動物と違って精神というくせ者を背負って生きている事を認識し、不必要な思惑に振り回されないようコントロールしていく術が自然と身に付いたのかもしれない。海外に行くときも、土地の人間達と触れ合うということは実は二の次三の次。人間よりもその土地と触れ合いたい。地球上の、行ったことない土や海や空や草や木、時空の軌跡、その土地が通り過ぎて来た歴史。そういうものの方がわたしにとっては興味があります。人との触れ合いは必然的に生じてくるものなので、それよりもそれまで知らなかった地球の部分というものに対する好奇心や興味の方が圧倒的に強いのです。新しい場所を訪れる時は、まずはその土地に歓迎をされたいです。

●「漫画によっていろんなことできる」自信がついたきっかけとは○色々な仕事をやっていたから続けられた

--今のお仕事の話に移りますが、漫画を描くことに手応えや満足感を感じられるようになったのはいつ頃ですか?

本当の事を言うと漫画に関しては、最初は無理やり描いていました。私は漫画の特別積極的な読者でもないし、編集者が言ってくる内容に全然ついていけなくて「描けるわけないわ、こんな漫画」といったリクエストを結構もらって。「空っぽのチューブから無理やりネタを絞るような思いでやらなきゃいけないのだったら、もう辞めてしまおうかな」と何度となく思ってました。でも、幸いその頃は他の仕事もいっぱいやっていたので、漫画に対する猜疑心をいつまでもこだわり持ち続けてもいなかった。それを本職にするかどうかは全く分からないし、そのつもりも実はないけど、続けるだけは続けていけました。もしそのとき漫画だけで生きていかなきゃと思ってやっていたら、挫折して止めていたかもしれない。

--それでも続けて来れたのはどうしてですか?

滞って考えすぎなかったからですね。漫画の世界っていうのはやっぱり油絵のような世界とは違うんだ、これはこれできっともっと奥が深くて面白い世界であり、そこに自分も乗っていかなきゃって。漫画でなければ展開させられない表現のワザを覚えれば、それで自分を充足させられるスキルが一つ増えたことになるし、やり始めれば大変かもしれないけど感動できる事もたくさんあるはずだろうから諦めるのはやめようと。ただ、そういう意識を持つ事ができたのは、他にもいっぱい色んな仕事してきたからなので、そんなに重々しい思いを込めてというのはなかったです。切羽詰まっていたら漫画に対するポジティブな妄想や空想で自分を酔いしれさせるわけにもいきませんでしたから。

--続けられると思われたのはいつからですか?

シリアに行って『モーレツ! イタリア家族』(講談社)という連載を取れたときに「ああ、これからは漫画だけでも多分大丈夫そうだ」っていう気がしました。私の"蛇口"というのか、つまり、今まで色んな仕事をしてきたことによって培ってきた、色んなスキルや創作法、感情の出し方、表現法が、シリアという国に引っ越した事によって、一つに集約されてしまったわけですよ。漫画という媒体オンリーに。この"蛇口"はお湯も水も出せるし、水圧もいろいろコントロールできる。漫画によっていろんなことできるかもしれないって自信が付いたんです。

やっぱり色んな仕事やってきたおかげで自信を持って漫画の世界に投身できたのだと思っています。前みたいにプライドが自分の意識を牛耳って「私はそんな漫画描けません」みたいなのもなくなってきたし、「絵で食べて行けるなんて有り難い。まあ何でもやってみよう」っていう、へりくだった人間になってました。

--仕事で嫌な思いをされたときにはどうしますか?

あんまり深く考えすぎないようにしています。本当に嫌なことは止めますから。実際に止めてもきたし。なので、「それでも自分は立ち向かうよ」っていう状態は、まだ執行猶予があるってことですね。そのときには、嫌々じゃなくて角度を変えてみるといいと思います。「部屋の模様替えしてみよう」とか「今までこの靴履いてたけどマメできるからこっち履いてみよう」みたいな。

○「今はもう、やりたいことだけやって生きていきたい」

--今回出した本についての思いを聞かせてください

こういう女もいるんだから、今までと環境が変わったり、周りと同調できなくて戸惑う人に「じゃあ、ちょっとものは試しに読んでみて?」という感じで存在してくれればいいんじゃないかと思っています。ただ、「みなさんこの本読んで、この通りにして」とは、とてもじゃないけど思えない。自分でしゃべった事を文章に直して出していただいてはいるのだけど、人生のガイドブック的な本ではないですね。

--ハウツー本ではない?

ハウツー本ではない。あくまでも、変わった生き方をしている人間もいるんだっていうことを認識してもらう、一つのきっかけになればいいなと。テレビとかに出るのも、人間として、日本人として、こういうとっぴもない生き方のバリエーションがいっぱいあっていい、ということを伝えたくてやっている部分もあります。こういう本を出すことで、他にも思い切った事をやって新しい何かを開拓していこうとする人が出てくるかもしれない、それによって今みたいな表面的な一律性だけが重視されるのとは別な、自由だけどパワフルな社会になっていくかもしれない。誰かがドミノの最初の1個にならない限り、凝り固められた保守的な既成概念は倒壊しません。自分がたまたま特異な経験を積んできた人間という意味では、遣唐使や遣隋使みたいな、特別な経験情報提供者としての責任感を感じているというのはあります。

--最後に、この先の展望があればお聞かせください

具体的な目標は特にありません。常に何かして生きていますからあまり展望や目的は持っていないです。場所の移動もやりたくなったらいつでも突発的にしてしまうし、マンガも売れたいとか決して望んでいたわけではないのヒットするような顛末になって、それに付随してうれしいだけじゃない、辛酸をとことんなめるような、辛い思いもたくさんしたし、何をどうしよう、って特別思っていなくても満遍なくいろんな経験は味わっています。多分こんな感じが自然と死ぬまで続くのかもしれません。

でも、漠然とした大きな目的みたいなのはあります。油絵を描く事を途中でやめてしまったので、漫画を60歳くらいまでやったら再び油絵に戻りたい。それはもう売るとか売れるとか考えないで自由に描くという意味で。年齢によってどんな絵が描けるか見てみたいというのもあるし。余計な煩悩や不純物が排除された状態で、大好きな場所で絵を一日中描いていればもうそれだけでしあわせ、というばあさんになりたいです。時間に追われるような生活からは開放されて、植物や動物みたいに地球のバイオリズムだけに自分を合わせて生きていけるような暮らしが理想的。それが成就できれば最高ですし、死ぬ時もきっと幸せでいられるはず。

『とらわれない生き方 悩める日本女性のための人生指南書』ヤマザキマリ著、KADOKAWA メディアファクトリー、1,000円(税別)。人気漫画家が語り下ろす人生の味わい、愉しみ、喜びとは…?仕事、恋愛、子育て、セックス、結婚、そして人間関係…。悩める日本人女性のために、ヤマザキマリが語り下ろした珠玉の人生指南。詳細は特設サイトへ。

(飯田樹)