「いざというとき優しさだけじゃ大切な人を守れません」と、日頃から冒険しておくことの大切さを語る白石康次郎氏

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凍てつく南氷洋、“船乗りの墓場”ホーン岬、迫りくる大波、突風……。数々の難所と自然の猛威を乗り越え、ヨットで地球を3周した。「試練をたくさんくぐり抜けると、小さなことに感動できる人間になる」そう語る海の冒険家は、あくまで明るく前向きだった。

■自然と正面から対峙すると自分の小ささが見えてくる

「ヨットで海を渡ることの何がすてきかというと、自分を見つめる時間が長いことですね。海の上では日常の雑念から解放されて、天地自然と対峙できる。風がピタッとやんだ夜には満天の星が海に映って、見渡す限り星に囲まれるんです。オーロラや流れ星も見られる。そんなとき、自分の存在が宇宙の一部であると実感できると同時に、自分の小ささを思い知らされますね」

本来は12人から13人で操る大型ヨットをたったひとりで操縦し、これまで地球を3周した白石康次郎さんは、ヨット航海の魅力をこう語ってくれた。しかし、そんな感慨にふける時間は、1回200日にも及ぶ世界一周航海のほんの一瞬にすぎない。実際は、目まぐるしく姿を変える海原と格闘する日々が延々と続く。

「冒険家というと“大胆”とか“向こう見ず”な人を連想するかもしれませんが、一流の冒険家はみんな繊細です。生きて帰るために、あらゆる困難を想定し、準備をして出発する。それでも嵐や高波の前では人間はまったくの無力。コテンパンに打ちのめされます。

だから、『死んだらどうする』ではなく『死んでも悔いはない』と思ってスタートしないと、ヨットでの世界一周なんてできない。そんな思いをしてまでなぜ行くのかと聞かれれば、自分の夢は海の向こうにあるから。カッコつけるわけでもなんでもなく、僕は小さい頃に海を見て、『船であの向こう側へ行ってみたい』と思った夢を、いまだにずっと追いかけているだけなんです」



■冒険には肉体の筋力とともに精神の筋力も必要だ

白石さんは東京で生まれ、5歳で鎌倉に引っ越した。小中学校はエスカレーター式の進学校に通ったが、高校入試を前にして海への思いが強まり、水産高校へ進む。当時の将来像は、大きな船の機関士になって世界の海を仕事場にすることだった。しかし、ヨットの世界一周レースで優勝した多田雄幸(ただゆうこう)さんの本に感動し、彼を訪ねたことで人生の進路が大きく変わってしまった。

「その頃、海に限らず冒険ものの本をたくさん読んでいて、そのなかで多田さんの本が圧倒的に面白かった。多くの困難に遭遇するレース航海記なのに、多田さんは毎日船の上でお酒を飲み、寄港地では多くの人と交流して、めちゃくちゃ楽しそうに見えて(笑)」

この人に会いたい、話が聞きたいと電話帳で多田さんの電話番号を調べて会いに行き、高校卒業後にそのまま弟子入りした。

「『何もしなければ何も起きない』というのが僕の父親の教えだったので、実行力が身についていたんでしょうね。多田さんは本で読んだとおり天才型で、人間的な魅力にあふれた人でした」

白石さんが初めてヨットで世界一周を成し遂げたのは弟子入りから8年後の1994年、26歳のとき。すでに師匠の多田さんはこの世を去っていたが、師匠のヨットと魂を受け継ぎ、「単独無寄港世界一周」の最年少新記録を打ち立てた。といっても、そこに至るまでには2度の失敗体験があった。

「失敗した2回は記録達成を焦り、準備が足りなかったんです。でも、応援してくれた人たちは広い心で未熟な僕を受け入れ、支えてくれた。2度目、3度目の世界一周はいくつかの寄港地を経由するヨットレースで実現しました。

レースをともに戦う相手とは、出航前に『セーリングセーフ』と言い合うんです。勝ち負けじゃなく、命をかけ合う仲間なので強い絆が生まれる。振り返ってみると、これまで人生で大事なことは全部ヨットを通じて学んだ気がします」

次の大きな目標は、2016年に開催されるヴァンデ・グローブ参戦。フランスのヴァンデから出航し、南極を一周してヴァンデまで。2万6000マイル(約4万8152km)をおよそ100日間ぶっ通しで走り、速さを競う世界一過酷なヨットレースだ。

陸にいるときの白石さんはトレーニングに余念がない。山岳マラソンやアドベンチャーレースに参加するのもトレーニングの一環だ。体を鍛えるだけではなく、少林寺拳法や居合といった東洋武術で精神も磨いている。

「居合の稽古では真剣を使います。この時代、いきなり刀で敵に襲われることなんてあり得ないですよね。でも、海の上では突風が吹いたり、クジラが衝突してきたり、危険なことが平気で起こります。別に、突風もクジラも僕を怖がらせようと思って襲ってくるわけじゃない。怖いと感じているのは自分の心なんです。だから自分に打ち勝って、そこかしこにある危険に対処しなければならない。

とっさに的確な対処法を実践できなければ簡単に死んじゃう。レース中でも、外洋に出たら競争相手がすぐ近くを走っていることはめったにないし、SOS信号を送っても最短で3日ぐらい救助を待たなければならない。マイナス5℃の南氷洋で海に落ちれば、命は数時間ともちません。だから瞬発力や冷静さを養う居合は、僕にとって大事な修行なんです」



■優しさだけでは大切な人を守れない

冒険家としての活動のほかに、白石さんは企業研修や子供たちの冒険授業などで、自らの体験や困難を乗り越える方法を語っている。

「数年前、NHKの『課外授業ようこそ先輩』という番組で母校の小学校に行って2日間授業をしたんです。そこで生徒たちの“夢”を聞いたら、“ウィンブルドン大会のベスト16に入るテニス選手”とか“マンガ家のアシスタント”なんて言う。?世界一のテニス選手”や“売れっ子のマンガ家”じゃないんですよ。子供のうちから自分の未来に枠をつくるなんて、寂しいよね」

この話は、子供だけではなく、今の若い世代にも当てはまるかもしれない。

「そう、20代の男のコたちも同じ。会うとみんなすごく優しい。でも、元気がないんだよね。小さくまとまっている感じがする。今はインターネットの時代で情報はなんでもすぐ得られるけれど、自分自身の体で動かない限り、何事も身につかない。バーチャルな冒険では、体力もハートも鍛えられないんですよ。

優しいのはいいことだけど、いざというとき優しさだけじゃ大切な人を守れません。死ぬまで試練のない人生なんてどこにもないし、台風も地震も津波もいつやってくるかわからない。そのときのために、日頃から冒険しておくことが大事。最初はちょっとした旅でもいい。だんだん距離を伸ばして、冒険のグレードを上げていくうちに体もハートも強くなっていくはずだから」

●白石康次郎(しらいし・こうじろう)

1967年生まれ、東京都出身、鎌倉育ち。水産高校時代にヨットでの世界一周を夢に描き、卒業後、伝説のヨットレーサー・多田雄幸氏に弟子入り。91年に太平洋単独縦断、94年に単独無寄港世界一周を果たす。近年は2006年の単独世界一周レース「5OCEANS」で日本人として初めてクラス1に出場し2位。08年にフランスチームの一員として太平洋横断世界最速記録を樹立。世界自然遺産プロジェクトリーダーや冒険授業講師なども務める。著書に『精神筋力』(生産性出版)など

(取材・文/世良光弘 浅野恵子)