だが、そうはならなかった。

 研究は中途半端のまま終わっていた。研究には「最終報告書」が存在するものの、「実は、きちんと最後までやり遂げられていないんです」(関係者)。

 この研究を巡っては、大発見とも言える結果を出していながら、1本の学術論文も書かれていない。

 その理由は、ラット実験の進め方が放射線障害防止法に抵触していたからである。原医研の実験施設が小規模すぎたことが原因だった。このため、動物実験の現場では同法で定められた基準の6倍もの放射性ヨウ素を使うハメになる。

 これにより、実験担当者らは過度の被曝に晒(さら)され、白血球の減少など、体調に異常をきたす者も現われていた。おまけに、実験で被曝した者は原医研の職員ばかりでなく、なぜか原安協に雇用された非常勤のアルバイト女性まで含まれていたのである。中には、この実験から数年後、若くしてガンで急逝した人もいる。

 実験を完遂するためには、実験担当者のさらなる被曝は不可避だった。担当者の中からは実験の進め方を疑問視する声が上がり、研究は事実上の中止へと追い込まれていた。

     *     *     *

 研究の「最終報告書」が出た3年後の06年7月、神谷氏の放射線障害防止法違反が内部告発で露見。放射線研究で模範となるべき原医研の面子(メンツ)は丸つぶれとなり、事件は地元紙『中国新聞』でも大きく取り上げられた。原医研には監督官庁である文部科学省の立ち入り調査も入り、研究の総括責任者だった神谷氏の責任が問われるのは必至の情勢となる。原医研の中は一時、「原医研は“お取り潰し”になるかも」「30人以上の処分者が出るらしい」と騒然となり、「中でも神谷さんは最低でも1か月、重ければ半年間の停職処分になるだろう」と見られていた。

 だが、広島大学が神谷氏に下した処分は、「訓告」という大変軽いものだった。なぜか。事情を知る関係者は語る。

「自分の責任を同僚の研究者に擦(なす)りつけ、相対的に自分の責任を薄めることに成功したわけです。その同僚も『訓告』処分でした。彼の“政治力”の賜物(たまもの)でしょう」

(取材・文/明石昇二郎とルポルタージュ研究所)

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