それにしても、新聞、テレビの委縮ぶりはどうだ。テレビではナベツネキヨタケ問題をかまびすしく取り上げてはいるが、この問題の火元である渡邉恒雄氏の行状を取り上げる番組はほとんどない。張本勲氏は、「親に弓を引くのはいかん」といった。彼はいつも渡邉氏サイドだが、いつから日本は儒教立国になったのか。
他の識者と称する人々も、清武さんが組織人として潔くない行動をとったこと、日本シリーズの最中に会見をするというマナー違反をしたこと、などをあげつらうだけだ。要するに口のきき方が悪いから、その意見はダメだと言っているようなものだ。小賢しい処世術の話はもう聞き飽きた。

また、清武氏が外国人獲得でことごとく失敗したことをあげて、彼の反旗が不当だという意見もあるが、全くの筋違いだ。企業ルールを守る守らないの問題と、個人の能力の問題は同列に語るべきではない。もし清武さんが獲得した外国人が活躍したとしたら、渡邉恒雄会長への反抗は許されたとでもいうのだろうか。
新聞、テレビは「喧嘩両成敗」という論調でまとめようとしている。賢しく、卑怯なまとめ方だと思う。持てる渡邉恒雄と持たざる清武英利がドローだというのは、結局、清武さんの退場を促すだけのことだ。
スポーツ紙を中心とするマスコミは、巨人、読売グループが本当に怖いのだと思う。20年以上も前の話になるが、玉木正之さんが巨人軍について批判的なコラムを書いたところ、キャンプ地で「この記事を書いたやつは誰だ」と広報担当から呼びつけられ、取材キャップを取り上げられたことがある。巨人というチームは、自軍や自グループに批判的な記事を書くマスコミを、本気で排除するのである。その怖さがしみついているから、マスコミは敢然と立ち向かうことをしない。つまり、彼らは報道ではなく宣伝をし、新聞ではなくチラシを作っているのだ。
桃井オーナーは会見で、長嶋茂雄氏の「清武さんの言動はひどい」というコメントを紹介した。長嶋さんは火曜日の会議にわざわざ不自由な体を押して出席した。この人は「共産党が政権をとったら野球ができなくなる」という彼にしか許されない迷言を吐いたことがある政治音痴である。圧倒的な知名度、人気のある長嶋さんを利用して、世論をこちらに引き付けようという姑息な手段だと思う。

読売新聞は堰を切ったように清武批判を展開している。この事件は、グループの総帥が組織ルールを無視した言動を行い、それを部下が批判したという内容のはずだ。トップのマネージメントのおかしさが事件の根底にあったはずだが、そのことには触れていない。「恥」の感覚がおかしいと思う。

自らが正しいのなら、渡邊恒雄会長はなぜ、記者会見をしないのだろう。手下を使ってちまちまとした策を弄するのではなく、堂々と論陣を張ればよいのだ。「おれに逆らうなど100年早いわ!」と一喝して見せればよいのである。渡邉会長は今や、口を開くたび「失言」しているような状態だから、周囲がそれを押しとどめているのかもしれないが、それ以上に彼の臆病さ、小心さがそれをさせないのではないか。
何度も紹介するが、渡邉恒雄会長は、以前から野球ファンや選手の感情、意向を無視した政策を推し進めようとして球界を何度も混乱に陥れた。その挙句に球団経営からは手を引いたはずだが、今も他球団の買収に口をだし、あたかも自らが球界の命運を握っているかのような発言を繰り返している。
世間の多くはこれを苦々しく思っていたはずだ。清武さんは、直接は自社内の問題を指弾してはいるが、渡邉会長の専横ぶりを身内から鋭く指弾して、人々の溜飲を下げさせたはずだ。

記者クラブという「護送船団方式」に守られたメディアは、民意ではなく取材源の意向を反映して報道をする。この悪しき因習が、ナベツネ、キヨタケ騒動でも展開しているということだ。
対照的に、本日発売の週刊誌はナベツネ独裁の害毒を書き立てている。大相撲の八百長や薬物汚染でも、こうした非記者クラブメディアが大きな役割を果たしたが、今回も同じような図式になりそうだ。面白いのは朝日、毎日系の週刊誌も同様のナベツネ批判をしていることだ。そうしないと雑誌が売れないからだろうが、本音と建前を使い分けているのが、大新聞社らしい。
事件を「風化」させることが一番問題だ。新たな資料の提示も予定しているようだが、清武さんは、今後もしっかりと情報発信してほしい。