引退後の今もなお、彼の華麗なゴールは世界中のサッカーファンの脳裏に刻まれている。1994年にはその圧倒的なシュートスキルでセレソンを世界一へと導いた。魅惑的なプレーの背景にあった哲学、独自のサッカー観などについて、ロマーリオが語る。
ワールドサッカーキング 11.08.04(No.185掲載]
インタビュー・文=マウリシオ・サヴァレーセ、構成=宇都宮浩


 速く、激しく、カリスマ的。現役時代のロマーリオはゴールを奪うだけでなく、そのプロセスにおいても常に観衆を魅了するストライカーだった。時に、大胆不敵な言動で問題児扱いされることも多かった彼は、引退後も政治家の道を選択して周囲を驚かせた。現在、45歳。議員となった彼が忙しいスケジュールの合間を縫って取材に応じた。独特の尊大さやユーモアは失わず、思慮深さも感じさせるインタビュー。そのプレーの背景にあった思想、ワールドカップでの戦い、父に対する想いなどを語った。

「俺の得点率は、この星の常識を超えていた

2009年に君が引退してから、フットボールはどのように変化しただろう? 良くなった? それとも悪くなった?
ロマーリオ──俺がプレーしていた時代は、技術というものが勝っていた最後の時代。時が経つに連れて、多くの物事が変わった。悲しいのは、昔だったらビッグクラブではプレーしなかったようなヤツらを今では見ることさ。それが誰かは言わないけどね。もちろん、違いを生み出せる選手はいる。しかし今、試合に出ている選手の90パーセントは、身体を作る方法と、ピッチ上でのフィジカルの使い方を知っているだけさ。

君の若い頃も、選手にはフィジカルトレーニングが非常に大切だったのでは?
ロマーリオ──フットボールをプレーするには、フィジカル面で一定の条件がある。90分間走らなければならないのは当たり前のことだ。でも今の問題は、指導する人間がボールを使って技術を高めることよりも、ジムでのトレーニングに関心を抱いているという点。筋トレが他のメニューより重要だと見なされている。俺はそんな指導方針に賛成しないし、むしろ常に見下しているよ。

ボビー・ロブソンは、君がしばしば練習を休むと言っていた。それでも君は良いプレーを見せていた。もし君が今、若手選手としてキャリアをスタートするとしたら、現代のフットボールにどう対応するのだろう?
ロマーリオ──難しい質問だな。でも恐らく、俺が成功するのは以前ほど簡単じゃないだろう。俺がキャリアをスタートさせた時は技術とスピードが大きなアドバンテージになった。だが今、キャリアを始めたら、フィジカルが優れている相手を倒すのは難しいだろう。当時の俺のスピードは、今では決定的な要因にはならないかもしれない。それでも、技術に関しては勝てると思うけどね。

君は例えば、ほぼノーモーションでシュートを放つことができた。そうした技術はどうやって身につけたのだろうか?
ロマーリオ──若い頃から自然と分かっていた。ペナルティーエリア内でのポジショニングに関しては父親もヒントを与えてくれたな。俺は常に、フットボールをパワーではなくテクニックのスポーツと考えていたのさ。遠くからロケットのようなシュートを放つことよりも、効果的で美しいプレー。俺には、それができる能力があった。才能というのは大事だな(笑)。

選手としての自分の強みは何だと考える? 他の選手と君は何が違ったのだろう?
ロマーリオ──俺の強みはポジショニングの良さとフィニッシュの精度だ。ペナルティーエリアでは敵よりも常に前にいたのが違いだったと思う。俺は、どこからボールが来て、どこでプレーが行われるか予想できたのさ。その通りに物事が進んだ時、俺はそのチャンスの90パーセントをゴールにつなげることができた。1993年から95年にかけて、そんなことがよく起こったんだ。当時の俺の得点率は、この星の常識を超えていただろう。それが他の選手との明らかな違いだ。

現在のストライカーで、ピークの頃の君を思い出させるような選手はいる? 最近、見ていて楽しい選手は?
ロマーリオ──俺のようなストライカーだって? いないね。優れた選手はいるさ。俺は(リオネル)メッシを見るのが好きだ。彼は本当に優れている。ワールドカップで優勝できればレジェンドになれるだろう。あいつは、俺が愛する世界最高のクラブ、バルセロナにおける最高の存在だ。

クリスティアーノ・ロナウドについては?
ロマーリオ──彼は優れた選手だよ。

それだけ?
ロマーリオ──それだけだ。現在、世界最高の選手はバルセロナにいる。

94年ワールドカップのブラジルは、歴史上、最も守備的なブラジル代表だと認識されている。攻撃的な選手として、君はその戦術をどのように感じていたのだろう?
ロマーリオ──俺たちは優勝しなければならなかった。そして、必要なことをしたまでだ。あの時のチームにはブラジルフットボールの要素とヨーロッパの守備スタイルが共存していた。これを不満に思うことは全くなかった。

「必ず成功させなければならないPKを、俺は成功させた

94年にはロベルト・バッジョを上回りFIFA年間最優秀選手にばれた。バッジョのPKが決まってイタリアがワールドカップを制していたら、君の人生は異なるものになっていた?
ロマーリオ──仮定の話をしても仕方ない。俺にとって大事なのは、俺がPKを決めたという事実だ。俺は必ず成功させなければならないと感じていた。ブラジルが負けたら俺がその罪を背負うことになると知っていたからね。セレソン(ブラジル代表)がピッチに立つ時、ブラジルのファンは最高の地位を求める。2位では決して満足しないんだ。俺がPKを蹴る前、このキックが自分のキャリアを左右することになると分かってた。結局、うまくいって、ワールドカップに優勝できた。俺にとってはこの優勝で、カギとなる役割を果たしたということが重要なんだ。

1998年と2002年のワールドカップではメンバーに選ばれなかった。そのことについては、どう感じた?
ロマーリオ──俺は確かにあと2回、ワールドカップでプレーできたかもしれない。94年の後の2度のオリンピックでもね。俺が選ばれるべきだった、と当時は思っていた。でも今は、これらの一連の出来事がすべて過去のことだと思えるよ。それよりも、98年に監督だった(マリオ)ザガロに謝る機会がなかったことを今でも後悔しているね。

キャリアにおけるベストゴールは?
ロマーリオ──最高だったのは、1993年の南米予選、ウルグアイ戦で俺が2点を決めた時の1点目。マラカナン・スタジアムでの大事な試合だった。ブラジルは史上初めて、ワールドカップに出場できないかもしれないという窮地に立たされていた。後半、俺たちはナーバスになっていた。ベベートが右サイドを走り、俺の頭を目掛けてクロスを放った。それは、94年大会に出られる最後のチャンスかもしれなかった。そして、俺は良い形でヘディングシュートを決めた。本当に感動的だったね。あとは、記憶に残る美しい得点が2つある。97年にブラジルがメキシコを4-0で倒した時に決めたボレー。もう一つは、1989-90シーズン、ヨーロッパのカップ戦でのゴール。PSV時代にステアウア・ブカレストとの一戦で4-1で勝利した時、俺がハットトリックを達成した三つ目のゴールだ。あれは俺が初めてヨーロッパで決めた、素晴らしいゴールだった。

ワールドカップでロナウドとともにプレーできなかったのを悔やんでいる? もし一緒にプレーしていたら、君たちはどれほど優れたパートナーシップを築いていたのだろう?
ロマーリオ──何とも言えない。なぜなら、98年はベベートがロナウドにとって良いパートナーだったからね。そして、ロナウドはその時ピークを迎えていた。彼はペナルティーエリアの中で最高の存在だった。もちろん、俺が活躍した後の時代だけどな。

君は何人かの偉大なストライカーと一緒にプレーした。その中で最高の選手は? また、ここ10年で君が一緒にプレーしたいと思った選手はいる?
ロマーリオ──ベベートは俺が一緒にプレーしたFWの中でも最も偉大な選手だ。俺たちの間に練習は必要なかった。互いにすべてを理解していたからな。あと、(フリスト)ストイチコフやミカエル・ラウドルップも偉大な選手だった。でもエジムンドは平凡なプレーヤーだったよ。それと、俺が一緒にプレーしたいと願った選手は(ジネディーヌ)ジダンだった。彼は本当に素晴らしかった。

ロナウド、リヴァウド、ガリンシャ、ペレ、ジーコ……。これらの偉大な選手をランクづけするとしたら、ロマーリオはどこに入る?
ロマーリオ──俺はトップ5に入るだろう。ペレ、ガリンシャ、俺、ロナウドの順。こうなると思う。

長年にわたって、君は何人かの人と衝突してきた。それはなぜ?
ロマーリオ──俺の父親は常に言っていた。「大きいものと戦え」ってね。ただ今は、それも全部過去のことだ。俺はみんなとうまくやっている。結婚して子供が生まれてから、人間として成長したしね。アイビー(ロマーリオの娘。ダウン症候群を患っている)が生まれてから、人々にもっとポジティブな影響を与えるべきだと俺は理解したのさ。

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【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(twitterアカウントはSoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではグラビアページを担当。