259秒でIBF同級王者エマヌエル・ロドリゲスをTKOで下した井上尚弥【写真:Getty Images】

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実際に取材した記者が「衝撃の259秒」の様子をレポート

 片道16時間、往復32時間かけて来て、本番はたったの259秒――。

 がっかり!? いや、凄いものを観られたな〜、というのが率直な感想だ。

 WBA世界バンタム級王者・井上尚弥(大橋)である。18日(日本時間19日)、英国グラスゴーで行われた、ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)準決勝でIBF同級王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)を2回1分19秒TKOで下し、決勝進出を決めた。

 日本から9000キロ以上離れた、スコットランド・グラスゴーのSSEハイドロで日本が誇る“モンスター”井上尚弥がまた伝説を作り上げた。一部始終を目撃した記者が現地の様子をレポートする。

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 決戦の日は小雨が降ったりやんだりのなんともすっきりしない曇天。晴れる日が続いていたそうだが、これでこそイメージしていたスコットランド。どことなく重苦しい雰囲気が、決戦に相応しいなと一人テンションが上がっていた。

 戦いの舞台は「SSEハイドロ」。2013年に開場した近代的な多目的アリーナだ。1万3000人収容らしい会場の入りははっきり言って微妙だった。開場した午後6時の時点では半分以上が空席。メーンイベントまでは3時間以上あるとはいえ、寂しい入りだ。そもそもグラスゴーに到着してからボクシングの“匂い”のようなものを全く感じなかった。

 メディアや、街中でもPRしている様子がない。グラスゴーの空港から乗ったタクシーの中で日本人だと伝えても、「何しに来たんだ? ボクシング? いつだ?」と聞き返される始末。セミファイナルの井上の試合の客入りは大丈夫だろうか……? 華々しい欧州デビューを勝手に期待していた当方には一抹の不安がよぎる。

 杞憂だった。試合が進むにつれ、ファンはじわじわと増えてきた。客席で観戦していた記者の周りも初めはガラガラだったが、井上の前の試合ではほぼいっぱいになった。会場を見回しても9割方埋まっていた。3階席の1部はクローズにしていたようだが、それでも1万人は超えているのではないか。

 もちろん多くの目当てはメーンに登場するご当地選手のジョシュ・テイラーだろうが、会場まで足を運ぶ熱心なボクシングファンにとっては井上も興味の対象だ。隣に座った現地のおじさんファンは、私が日本人だとわかると、ビール片手にしきりに話しかけてきた。

「イノウエは強いよな。オレはイノウエがKOで勝つと思ってるんだ」。英語はさっぱりだが、おそらくこういうことを言っていたんだと推測する――。身振り手振りで熱弁されるとこちらも嬉しくなる。いよいよ入場シーンだ。

ロドリゲスにはブーイング、井上には大声援が…

 横浜アリーナでの初戦はド派手でこってりしていたWBSSの演出だが、この日は意外にもあっさり風味。先に登場したのはロドリゲス。ラテンの軽快なリズムのBGMに乗って現れたIBF王者には小さめの声援とともにブーイングも。理由は直後に判明する。井上が姿を見せると、大歓声が巻き起こった。

 日本からも100人を超える応援団が駆け付けていたが、現地のファンも“モンスター”の登場を今や遅しと待ち構えていたようだ。場内のビジョンに決勝の相手ノニト・ドネアの姿が映し出されると、会場はこの日最初の盛り上がりを見せた。

 いよいよだ。過去2試合連続で1ラウンドKOの井上。一瞬たりとも目を離せない。ゴングが鳴った。ロドリゲスはいきなりフルスロットルだ。前に出てプレッシャーをかける。スピードもある。右ストレートのキレもいい。井上が守勢に回るような形になる。この相手は間違いなく強い。おそらく会場の多くはそう直感したのではないか。戦前、井上自身が、陣営が「最高峰の技術戦になる」と語っていた通りの緊迫した攻防が繰り広げられた。

 息詰まるような1ラウンドが終了し、これは長い試合が見られそうだな、と感じた。決着は中盤から終盤、もしかしたら判定まで行くんじゃないか――。だが、そんな素人予想はあっさりと覆される。結果はご存じの通りだ。

 第2ラウンド。第1ラウンドとは様子が違う。重心を低くし、ロドリゲスとクロスレンジで打ち合う展開に。開始30秒。カウンター気味のショートフックでロドリゲスからダウンを奪う。ああ、これは決まる――。場内のファンの熱気が一気に上がる。まだ終われないロドリゲスも立ち上がる。焦点は一気に変わった。このラウンドで終わるのか、否か。

 先ほどのダウンからわずか13秒後。井上が右フックを空振りした次の瞬間だ。左右の連打をボディーに叩き込む。いや、正確には最初は右のフックしか見えなかった。リプレイを見て左も入っているのが見えた。鳥肌が立った。キャンバスに膝をつくロドリゲス。弱々しい表情で首を振る。

現地のファンも大興奮、勝利の瞬間には思わず握手を

“もうダメだ”の合図なのか、陣営からのタオル投入を阻止するサインなのか、真相は分からない。だが、2ラウンドでこんなにもはっきりと表情を曇らせるシーンは見たことがない。それも無敗の王者で、井上の最大のライバルと言われた男の姿なのだから、信じられないようなシーンだ。それでも立ち上がりファイティングポーズを取った意地は称賛したいが、もうやめた方がいいよとも素直に思った。

 KOタイムは2回1分19秒。すごいものを見た。グラスゴーまで来て良かった。前回のパヤノ相手の70秒KOも衝撃だったが、それ以上だ。前回は「え、もう終わったの!?」というのが率直な感想だったが、この試合はロドリゲスの強さも見えた上で、3度もダウンを奪っての勝利。強いのは知っていたけれど、こんなにも……。

 会場も文字通り衝撃を受けた様子だ。「ヨッシャー」と叫ぶ井上の姿に、現地ファンも総立ちで喝采を上げていた。隣の席のおじさんは興奮のあまり、ビールを私のズボンにこぼしていたが、そんなことはどうでもいいだろとばかりに握手を求められた。「アメージングだ! オレの言った通りだろ!」って多分、言っていた。私も興奮していたので、あんまり覚えていないけど。

 こんなボクサーがリアルタイムで見られる時代に生きていて幸せだ。大げさではなくそう思った。試合後の囲み取材で、井上は笑いながらこう振り返っている。

「吹っ切れた感はありますね。今日の喜びも、重圧から解放されたような、自分の中では喜びも爆発しましたし。期待に応えられたというか。皆さんがプレッシャーかけてくださるので(笑)」

 計り知れない重圧を乗り越えて、結果を出した王者に心からの拍手を送りたい。(THE ANSWER編集部・角野 敬介 / Keisuke Sumino)