今戸神社では、絵馬のほか、招き猫が描かれたお守りやおみくじも人気で、若い女性の参拝客が多く訪れている

「精神世界」の追求から、いつしか「恋愛」「癒し」へとベクトルが向かったパワースポット。メディアへの露出の仕方も、それに合わせて大きく変化してきた。テレビ番組の制作に携わるなかで、メディアが取り上げる
「オカルト」「スピリチュアル」「パワースポット」に関心を寄せ、ついには大学で研究まで行うようになった筆者が解読する。

「そもそもパワースポットって何ですか?」

この質問にまともに答えようとすると、案外難しい。パワー(力、エネルギー)がある+スポット(場所)=「パワースポット」と考えれば、単純明快でわかるような気になってしまう。しかし、その〈パワー〉とは何か、〈パワー〉について説明するとなると、ことは複雑怪奇である。なぜなら、パワースポットを選定するカリスマたち(風水師、気功師、占術師、霊能者など)は、それぞれの領域の世界観や専門用語で、〈パワー〉について語っているから。そのため、説明は多種多様で、共通する部分もあるが、全体に同一ということはない。それぞれの差異に注目すれば、カリスマたちの数だけパワースポットの選定理由があるといえなくもない。

29万0200語(2017年8月現在)を収録する大型国語辞典『デジタル大辞泉』(小学館)は、「パワースポット」を「霊的な力が満ちているとされる場所」と解説している。実に、簡にして要を得た説明である。〈パワー〉とは、物理的な力ではなく、超自然的、霊的、精神的な力である。くわえて、パワースポットと称されている場所に特定の条件が定まっているわけでもない。ゆえに、何らかの目に見えない、測定不可能な「霊的な力」が満ちている「とされる」場所というよりほかにない。

イメージを支える風水のロジック


近年のパワースポットブームを牽引した女性誌のパワースポット特集では、以下のような説明がなされていた。

風水では、大地を走る生気の通り道を「龍脈」と呼び、その龍脈上でいいエネルギーが泉のように湧き出す場所を「龍穴」という。また、太古の人々が天地に通じる何かの力を感じ、神社など聖地を設けた場所にも龍脈上のツボが多いそう。これらのいわゆるパワースポットでは、何もせずとも気持ちが昂揚したり心身が軽くなったり。気分の浄化や活力チャージには最適かも(「Hanako WEST」2006年2月号、マガジンハウス)。

今日、パワースポットとは〈パワー〉をもらえる場所、運気が上がる場所というイメージが広く一般に共有されている。このイメージを支えているのは、前述のような風水を援用したロジック、および〈聖地=太古の人々が天地に通じる何かの力を感じた場所〉という観点(以下、〈聖地〉観)である。

「パワースポット」という言葉がマスメディアに流通するようになったのは1990年代であり、人口に膾炙(かいしゃ)したのは2000年代に入ってからである。しかし、パワースポットのイメージを支える風水のロジックや〈聖地〉観には、およそ半世紀におよぶ歴史がある。

近年、〈スピリチュアル〉な旅先といえば、セドナやシャスタ山、あるいはハワイ・オアフ島などであるが、かつてはインドやチベットがポピュラーであった。1970年代、アメリカのカウンターカルチャーおよびニューエイジの潮流と連関して、インドやチベットは、「近代日本」「(西洋の)物質主義」の対極をなす「アジア的伝統」「東洋の知恵」「神秘」として再発見され、エキゾチックな世界として表象された。


『インドへ』横尾忠則(文春文庫/1983年)アメリカのヒッピー・カルチャーの影響でインドに関心をもった横尾忠則が、「現実のインド」と向かい合った旅行記。単行本は1977年刊行

当時のインド旅行を知る代表的著作に、横尾忠則『インドへ』(文藝春秋、1977年)がある。横尾が旅に求めたのは、本来のアジアの精神性、神秘的な東洋、自己の狭い限界から自身を解放して超越的存在と一体となるセラピーであった。

また、インドが「東洋の原故郷」とイメージされたこの頃、地方が「日本の原風景」として再発見される。それは近代社会における物質主義、環境破壊、アイデンティティの喪失に対抗する、「本来の日本」の希求という時代精神とみなされた。実際、国鉄のキャンペーンは象徴的であった。1970年代の「ディスカバー・ジャパン」では美しい日本と私を発見する旅が、1980年代の「エキゾチック・ジャパン」では高野山でインドの神々と出会うエキゾチックな旅が、提案・商品化された。

1986年、「パワースポット」が流行語に


『観光』中沢新一、細野晴臣(ちくま文庫/1990年)天河、戸隠、六本木、伊勢、富士など、日本の代表的な聖地を旅しながら、思想や宗教、美術、音楽などについて語り合った対談集。単行本は1985年刊行

宗教人類学者の中沢新一と、ミュージシャンの細野晴臣の対談を収めた『観光』(角川書店、1985年)は、インド・チベットへの旅に端を発するパワースポット形成史において重要な著作である。中沢は、オルタナティブカルチャーの古典と評されるドン・ファンシリーズ(米国の人類学者カルロス・カスタネダが呪術師ドン・ファン・マトゥスに師事し、ヤキ・インディアンの呪術を教わる『呪術師と私―ドン・ファンの教え』にはじまる一連の作品)に影響を受け、チベット仏教を体験した。

細野晴臣は、横尾忠則とともにインドを旅し、密教に強い関心を抱いていた。中沢と細野は、天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)、戸隠(とがくし)神社、六本木のカフェバー、大山阿夫利(おおやまあふり)神社、豊川稲荷、伊勢神宮、北口本宮富士浅間(きたぐちほんぐうふじせんげん)神社へ赴き、語り合う。風水における龍脈と気功における経脈から導かれる宗教的空間を論じ、ニューサイエンスの教説が反響するフラクタル理論に言及する。2人から「パワースポット」という言葉が発せられることはないが、パワースポットのイメージを構成するアイディアが展開されていた。

翌1986年、「パワースポット」が、新語・流行語を収録する年刊用語辞典『現代用語の基礎知識』(自由国民社)に収録される。宗教学者の脇本平也(わきもとつねや)は、以下のように解説した。

パワースポット(power spot) 宇宙の精気や霊力の凝集する聖地。宗教的世界観によれば、宇宙は決して等質的・無性格的に広がっている物理的空間ではなくて、意味によって構造化された聖なる中心をもつコスモスである。その中心に向かって力は収斂(しゅうれん)し、その中心から力は放射する。それは、意味のわき出てくる源泉としての聖なるトポス(場)であり、大地のへそとも呼ばれる。このような宗教的空間論から、聖地の観念や巡礼の修行などがさまざまな形で生まれてくる。最近、とくにミュージシャンを中心とする若いアーティストの間で、奈良県吉野郡天川村の天河大弁財天社が、宇宙との交信の霊感を授けられるパワースポットとしてもてはやされているという。四国をはじめとする各地の巡礼や寺社めぐりなども、いまや単なる観光旅行にはあきたらぬ人々の心を引きつけているようである。(『現代用語の基礎知識』自由国民社)。

天河大弁財天社が若いアーティストの間でもてはやされるようになったのは1980年代に入ってから。音楽家の宮下富実夫が、毎年大祭に曲を奉納するようになったことがひとつの契機であった。1987年に長渕剛と志穂美悦子の結婚式、1989年に正遷宮大祭(能・狂言とともに宮下、細野、喜多嶋修、ブライアン・イーノらが奉納演奏)、1991年に映画『天河伝説殺人事件』公開、さらに『ガラスの仮面』で人気の少女漫画家美内すずえが自身のチャネリング体験を著した『宇宙神霊記』で天河を紹介等々によって、「テンカワ・ブーム」といわれるようになる。当時の柿坂宮司は「天河にはエネルギーがあるんです。パワーが満ちている。ここへ来ると、皆、何かに気づいて帰っていく。新しい発見。エネルギーの発見。宇宙への感謝。それが天河パワーです」(『CREA』1991年1月号、文藝春秋)と力強く語っていた。なお、柿坂宮司にはインドを放浪した経験があるという。

天河大弁財天社が宇宙的バイブレーションを感じられるサイキック・スポットとしてもてはやされた1991年、スプーン曲げで知られる清田益章が『発見! パワースポット』(太田出版)を刊行。「パワースポット」を書名に掲げた初の単行本であり、現在では数多あるパワースポットガイドの先駆けとなる。

『太陽』1994年1月号(平凡社)の特集は「日本聖地観光」。巻頭には作家の井沢元彦による立山信仰に思いを馳せたエッセイが掲載され、「天と地を結ぶ7つの聖地」として箱根、那智、鞍馬、富士、諏訪、新宮、厳島の紹介が続く。このなかで民俗学者の小松和彦は、「日本人にとって、聖地を観光することは、神社仏閣を参拝するというだけでなく、それを包み込んでいる自然の偉大な力を感じ取ることであり、その力を借りて自らを浄化し、よみがえることであった」と述べている。この特集は、天河や清田のようにサイキックなバイブレーションを前面に出していないが、「本来の日本」を思い描こうとするメンタリティと「ディスカバー・ジャパン」「エキゾチック・ジャパン」が響きあう。

2000年代、「神秘体験」から「癒し」へ

1990年代のパワースポット・聖地観光は、1970年代以来の「精神世界」への旅の延長線上にあるといえる。しかし、2000年代に顕在化した女性に人気のパワースポットは、これとは異質である。彼女たちがパワースポットに求めたものは、神秘体験ではなく「(恋愛)祈願」と「癒し」。「癒し」「自己回復」が前景化したパワースポットでは、「自己の限界」「本来の日本」などは後景に退く、あるいは無関係となる。


招き猫発祥の地といわれる今戸神社の「祈願絵馬」

2000年代、女性誌がパワースポット特集を組むようになるが、その時にはすでに箱根の九頭龍(くずりゅう)神社が口コミで人気のパワースポットになっていた。こうした女性たちの動向を捉え、パワースポットとしてブランディングに成功したのが、東京大神宮と今戸神社である。東京大神宮では、フリーペーパーの初詣特集で、ご利益欄に縁結びを加えたことが1つの契機となり女性参拝者が増加。女性参拝者のために、巫女さんたちの意見を取り入れて「縁結び鈴蘭守り」を開発。以来、毎月花の絵が変わる「花祈願絵馬」などの授与品を揃え、境内では「癒し」を感じてもらえるよう四季感を演出。夜はライティングと警備員の巡回で、遅い時間に1人で訪れる女性参拝者に安心感を与えている。今戸神社は、招き猫、ファンシーな御朱印帳、まるくてかわいい絵馬、といった授与品で縁結びをアピール。実際に男女を引き合わせる「縁結び会」を主宰。恋愛・婚活を指南する宮司夫人こそパワースポット、と評されている。

2003年に「Hanako WEST」で江原啓之の連載「スピリチュアル・トラベル」(のち「スピリチュアル・サンクチュアリ―江原啓之神紀行―」シリーズ)がスタートし、縁結びに限らないパワースポットへの関心が高まった。ヴォイス社は2001年9月に『世界のパワースポット―癒しと自分回復の旅ガイド―』を刊行していたが、2004年から売り上げが再び伸び始めたという。2008年になると女性誌だけでなく、情報誌、週刊誌でもパワースポット紹介が掲載されるようになる。

2009年末、手相芸人の島田秀平が2つの年末特番に出演し、明治神宮御苑の清正井(きよまさのいど)を携帯の待ち受け画面にして運気が上がったという芸人の体験談を語った。ほどなく、清正井に行列ができ、パワースポットブームが出来(しゅったい)する。さまざまなメディアで特集が組まれ、次々とガイドブックが出版され、旅行パック商品(エースJTBのスピリチュアリスト暁玲華(あかつきれいか)特別監修「パワースポットへ。」など)も売り出された。

聖地観はより広く受容されている

ブームの最中の2010年、朝日新聞では「パワースポットを信じますか?」というアンケートが掲載された(2010年6月12日付朝日新聞「土曜版be」)。回答者数5224人中、「はい」と答えた人は34%、「いいえ」は66%。ただし、「いいえ」の回答者には、「パワースポットの存在は、全然信じていないが、以前、伊勢神宮へ行ったとき、清浄で力強い気があふれているように感じた。それに触れただけで、ストレスが消え去り、癒されたのは確か」(東京、44歳女性)、「聖地とされる場所には、そこを参拝する人たちの心情や信念が集積している。それに共鳴すると、霊験あらたかな心持ちになれるのだろう」(京都、59歳男性)という人もいた。

ブームとはピークアウトするものである。清正井の大行列はなくなった。しかし、パワースポットの人気は衰えていない。「はい」は34%にとどっまっても、パワースポットのイメージを支える〈聖地〉観は、より広く受容されている。衰えない人気の底力は、このあたりに起因するのであろう。

(文中敬称略)