熱き情熱がプロバスケリーグ誕生を導いた(川淵三郎氏)

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 日本のバスケットボール界は、長らく混迷の時代が続いていた。実業団が中心だったNBLと、地域主体のプロリーグとして発足したbjリーグが存在し、両者の軋轢は深まるばかりで、国際バスケット連盟(FIBA)から五輪予選への出場権まで剥奪された。

 ここで白羽の矢が立ったのが川淵三郎だ。結論からいえば未曾有の混迷を半年で解決し、今年9月のBリーグ開幕に結びつけた。この難事業を切り抜けた、川淵氏いわく「独裁力」の真髄にノンフィクションライター・中村計氏が迫る。

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 この男の自分を突き動かす動力源は、いつだって怒りだ。

「大事なのは、怒り方と、怒るタイミング。怒っても人がついてこなかったり、何も変わらなかったら、それはその人に実力がないということ」

 今では理想のリーダーとも評される川淵だが、日本のトップ企業だった古河電工に勤めていた頃、51歳のときに子会社への出向を命じられるという憂き目に遭っている。

「ひと言で言えば、上司と反りが合わなかった。上司とも思わないような言い方もしてたからね。周りから見たら、どっちが偉いかわからないって。クソ生意気なやつだって思われてたんじゃないかな。サラリーマンタイプじゃなかったんだよ」

 今だからこそ笑って振り返るが、人生最大の挫折でもあった。川淵は会社を辞し、日本サッカーリーグの総務主事となって「残りの人生をサッカーに賭けよう」と誓った。川淵の前のめりな生き方は、この時、定まったのかもしれない。

 老舗企業には扱いかねた元来持つ川淵の突っ張った部分が、転換期にあったサッカー界には有益に働いた。しかし、薬になるものは常に毒にもなり得る危険性をはらんでいる。

──独裁的な統治法は必ずといっていいほど腐敗につながり、年を重ねた権力者を「老害」という言葉で表現するようになりますよね。

「マスコミはすぐ老害って言いたがるからな(笑)。でも、いいこともあるんだよ。若い頃は私利私欲があってこそ、成長できる部分もある。でも僕ぐらいの年になるとね、そういう部分はものすごく減ってくる」

──そんなの綺麗ごとだろという声も聞こえてきそうですが。

「まったくないわけじゃないけど、他の人よりは明らかに少ないよ。僕ほどバスケットボール界のために働いてるやつはいないだろ。そう自信を持って言えるから独裁と批判されても、びくともしなかった。最初の頃、バスケット界の人はサッカー協会に乗っ取られるって思ったらしいけど、乗っ取るような価値のある協会かよって。バカ抜かすんじゃないっていう話だよね」

 川淵は無報酬でバスケットボール界のために一肌脱いだのだという。念のため、聞いてみた。

──本当に本当に報酬ゼロですか?

「バスケットボール協会から2000万も給料もらってるってどっかに書いてあったけど、1円たりとももらってない。逆に、会議の際の車代、まわりのスタッフや来日した外国の要人との会食とかで百万円以上持ち出してるぐらいだから」

■聞き手/中村計(ノンフィクションライター)

※SAPIO2016年12月号