なぜ放置?日本だけ「無制限時間労働」

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残業時間の上限規制に動き出した安倍晋三首相。カギは時間外労働時間規制の見直しだ。だが、そもそも欧米では“残業無制限”は法的に認められていない。なぜ日本は「無制限時間労働」が放置されてきたのか――。

■「36協定」こそ長時間労働の温床

安倍首相を議長とする「働き方改革実現会議」で残業時間の上限規制を導入する方針が打ち出された。

目玉は現行の時間外労働時間規制の見直しにあり、中身によっては長時間労働問題の決定打になるけもしれない。

方向性は6月2日に閣議決定された「ニッポン一億総活躍プラン」の中でこう示されていた。

労働基準法については、労使で合意すれば上限なく時間外労働が認められる。いわゆる36(サブロク)協定における時間外労働規制の在り方について、再検討を開始する」

この36協定こそ長時間労働の温床になっている。

日本の労働基準法では使用者は1日8時間、週40時間を超えて労働させてはならないと定めている。これを法定労働時間という。

これ以上働かせると「使用者は懲役6カ月以下、罰金30万円以下の罰金」が科される規定がある。

いわば法律で許される労働時間ギリギリのラインだが、しかし実態は労基法36条に基づく労使協定(36協定)を結べば、法定労働時間以上に働かせることができる。

36協定には一応残業の限度時間が設定されている。

1週間15時間、1カ月45時間、1年間360時間という限度だ。これだけをとってみれば、なんだ、日本にも上限規制があるじゃないかと思うかもしれないが、じつはこれを超えて働かせることができる規定がある。

■無制限に働かせることができるザル法

それが特別延長時間に関する「特別条項付36協定」と呼ばれるものだ。

「臨時的に限度時間を超えて時間外労働をすることが必要とされる場合」「特別な事情が予想される場合」という条件付きであるが、要するに労使がともに、

「臨時的状態」
「特別な事情がある」

と認めれば、限度時間を無制限に働かせることができる。

しかも、36協定の基準はあくまで行政指導の基準だ。法的な強制力はなく使用者に対する“お願い”にすぎない。

つまり、実態はザル法になっているのだ。

また、実際に労使協定で締結されている特別延長時間を見るととても信じられないものになっている。

厚生労働省の調査では1カ月の特別延長時間の内訳で最も多い時間帯は月間「70時間超80時間以下」でその比率は36.2%。

ところが、過労死基準といわれる「80時間超100時間以下」が16.0%、さらに「100時間超」の会社が5.5%も存在する。

しかも、その割合は大企業ほど高い。

実際の残業時間を示すものではなく、企業としては当局の指導を受けないために”保障”にしているわけだが、それにしてもコンプライアンス上も問題ありの時間だ。

■「残業無制限」欧米では考えられない

日本は企業にとって法的に“残業無制限天国”だが、こういう国は先進国では極めて珍しいのだ。

EU加盟国では「7日ごとの平均労働時間が、時間外労働を含めて48時間を超えない」(EU労働指令)こととされている。

この48時間は日本の法定労働時間とは意味が違う。

残業時間を含めて法定労働時間を超える48時間以上働けせてはならないとする“絶対的規制”なのだ。日本のようにザル規制などなく、週8時間の残業しか許されないのである。

EU各国は労働指令の範囲内で独自の規制を行っている。

たとえばフランスでの週の法定労働時間は35時間と日本より5時間少ない。法定労働時間を超える超過労働時間の規定もあるが、その年間枠は180時間にすぎない。

また、労使協定で年間枠を超える残業が許されているが、それでもEU労働指令の1週48時間を超えてはならないとされている。

余談だが、そのフランスでもこの8月、規制緩和によって週35時間労働制を労使の合意で最大46時間まで延長できるようにした。もちろんEU労働指令の枠内での話である。

だが、政府が憲法の特別な規定を使い議会での採決を取らない強硬手段に訴えたために、経営者寄りだと労働組合や若者が反発。激しいデモが頻発し、警官隊と衝突してケガ人や逮捕者が出るほどの騒ぎになっている。いずれにしても日本とは次元が違う話だ。

■無制限時間労働 なぜ放置してきたか?

EUと違い、日本における最大の疑問は、なぜ無制限に働かせることを放置してきたのかという点だ。

その原因のひとつは、1947年に労働基準法を制定する際に、長時間残業は時間外割増手当による賃金規制で抑制ができると考えていたからだ。

割増分を払うことを義務づければ経営者は残業させることを躊躇する。その結果、1時間当たり2割5分増しに決まった経緯がある。

だが、割増率を巡ってはアメリカが50%、当時のソ連も50%だったことから世界標準にするべきとの議論もあった。戦後間もない頃であり、50%だと日本の戦後復興が進まないという意見もあり、25%に落ち着いたそうだ。

もうひとつは当時の労働組合の組織率が今と違って高く、労組が安易に36協定で妥協しないだろうと想定していたこともあるだろう。

しかし、そんな思惑は完全に外れた。

結果的に日本では長時間残業が蔓延し、「Karoshi(過労死)」という国際共通語まで生み出す世界に冠たる長時間労働大国になってしまった。今では労基法の時間外労働規制は機能不全に陥っている。

では、今回の新たな上限規制はどういうものになるのだろうか。

現在、厚生労働省の有識者による検討会で審議されているが、与党の自民党も独自の検討を行うことになっている。仮に、上限規制を法律に盛り込むことになれば70年ぶりの法改正になる。

とはいえ、すんなりと運ぶとは思えない。なぜなら、これまでにも政府の審議会でたびたび上限規制が議論されたものの、経済界が規制強化に反対してきた経緯があるからだ。今回も相当抵抗することが予想されるだろう。

■経済界は猛反発必至の残業時間上限規制

理想的には、労働時間はEUの労働指令の上限である週48時間以内が望ましい。そうなると、月間の残業時間は35時間程度になる。

だが、長時間労働体質の日本企業では混乱が起きるという意見もあるだろう。そうなると現行の36協定の1カ月45時間という残業時間がひとつの目安になるだろう。

もちろん業種・職種・企業規模によって時限的な若干の例外規定を設けることも考えられるだろう。

もしこれが法定化されるとこれまでの行政指導とは違い、法律違反になるので逮捕されることになる。

逮捕の先頭に立つのは竹内結子主演のテレビドラマの「ダンダリン」で話題になった司法警察員でもある労働基準監督官である。

今は絶対的に人数が不足しているが、増員する必要もあるだろうし、労働基準監督署内に新たに留置場を設置することも考えてもよいかもしれない。

違法残業をさせた経営者が留置場に入り、取り調べを受けて送検されることになる。

そんなことを考えていたら、ある政府関係者から「上限規制については経営側だけではなく、労働組合も残業の極端な抑制を考えていないだろう。落としどころは過労死ラインの月80時間になるだろう」という話を聞いた。

確かに月80時間を超えて働いている人は雇用者全体の8.2%を占める。

それなりの効果があるけもしれないが、日本企業の長時間労働体質にメスを入れることにはならないだろう。果たしてどういう規制を打ち出してくるのか。残業時間の上限規制は日本人の働き方改革の基盤であり、本丸と言ってもよいかもしれない。

(ジャーナリスト 溝上 憲文)