「英語公用語化」は突然降ってきた……ドメスティック社員たちの慟哭
いまや日本企業はグローバル化への対応が「待ったなし」の状態となっている。そうなると日々の職場での会話も「英語で」となるのだが……。
■目標スコア未達は給与10%カット
「英語公式言語化に取り組みます。将来は、英語力を役職者認定の要件にしていくことを計画しています」――。ホンダが6月30日に開示した「サスティナビリティーレポート」で2020年を目標にした英語の社内公用語化を宣言し、経済界に大きな衝撃を与えた。
3年前の12年10月。ホンダの伊東孝紳社長(現取締役相談役)はインタビューに答えて、「日本人が集まるここ日本で英語を使おうなんてばかな話」と否定。そのホンダが「1人でも外国人が入る会議や海外部署との打ち合わせは基本的に英語で行う」(広報部)という。
そうした英語の公用語化に弾みをつけたのが、楽天とファーストリテイリングだ。楽天は10年春に三木谷浩史会長兼社長が公用語化を宣言し、12年7月に完全実施へ移行。国内営業部門の男性社員の大島雅人氏(仮名・32歳)は、宣言時の驚きをいまでもよく覚えている。
「もともとバリバリの体育会系出身者が多い会社で、『えっ、全員英語やるの』と皆が驚いた。『入社時に英語が条件となっていなかった。約束が違うじゃないか』という声も上がった」
だが、公用語化の準備は着々と進む。全員のTOEIC受験と部署ごとの平均目標点数の設定に始まり、1年後には社内資格ごとの到達点数が設定された。また、それをクリアできないと、厳しい措置も断行されたのだ。
「給与と連動する社員資格は役員クラスのトリプルAからダブルA、マネジャークラスのシングルA、その下のトリプルBなどに分かれる。たとえば、シングルAには650点の目標を設定し、そこから100点以上下回る人を“レッドゾーン”に組み入れて英語の勉強を促した。さらに、社内公用語化スタート前の12年6月末までに目標をクリアしないと、給与が10%カットされた。スタート後も半年ごとに目標点数が上がり、必死に勉強した」
日報などの社内文書や資料もすべて英語で、会議も日本人同士であっても極力英語を使う。大島氏が事業長と三木谷会長との会議に同席したとき、事業長が「今日は3人なので日本語で……」と語りかけた瞬間、会長に「No! English only!」と拒絶された。だが、日本人同士では議論も活性化しない。「英語でやると皆黙ってしまう。ブレストが必要なときは日本語で行い、資料だけ英語で作成してお茶を濁していたこともある」(大島氏)という。
12年3月に公用語化に踏み切ったファーストリテイリングでも社員の負担は重かった。管理部署勤務の清水さくら子氏(仮名・36歳)は「目標のTOEIC700点をクリアするまでオンライン学習が義務づけられ、実際にやっているかのモニタリングもされた。スタートしてからは文書の日英併記などの業務も加わり、当然、生産性は落ちた。多くを占める国内の店舗従業員は英語力を求められるのは予想外で、日常業務での必要性も感じず、忸怩たる思いで辞めた人もいる」と指摘する。
■外国人上司の急増で半強制化の動きも
両社のように社内公用語化には踏み切っていないが、グローバル化の急展開で英語を話すことが“半強制化”されている社員も少なくない。
1999年にルノーの傘下に入った日産自動車の本社には200人超、30カ国の外国人が常駐し、英語ができないと仕事にならない。本社勤務の河合怜奈氏(仮名・33歳)は「人事評価に英語でしっかりとコミュニケーションできるという項目がある。管理職以上になると流暢でなくても、会議で何をいっているかを理解し、ちゃんと自分の意思を伝える人しか残っていない」と指摘する。
そして、いま英語化の波が一挙に押し寄せているのが武田薬品工業だ。昨年、クリストフ・ウェバー氏が社長に就任。外国人社員の増加で英語が必須となりつつある。本社勤務の小林徹氏(仮名・35歳)が語る。
「英語が必要になったのはこの半年、1年の間。世界の拠点に横串を刺した機能別組織に変わり、いまでは部門のトップはほぼ外国人で、その下のクラスも半数以上が外国人で占められている。役職者は海外の社員のマネジメントもする必要があり、英語ができないと昇進候補から外れてしまう」
中堅層の間には必死に英語を勉強している人もいるが、国内営業担当のMR(医薬情報担当者)やR&D(研究開発)関係者のなかには「俺は英語は喋らない」という人もいるという。「しかし、今年度からグローバルな人事評価システムに移行する。上司が外国人なら目標設定や評価面談シートも英語で書くことになるだろうし、英語で説明できないと、評価が下がることになるのではないか」と小林氏は懸念している。
そもそも、ウェバー社長をはじめ外国人の役員や管理職を多数起用したのは長谷川閑史会長だ。その点を日本人社員はどう考えているのかを小林氏に尋ねると、「紳士的な人が多く、口に出す人はいないが、『何てことをしてくれたのか!』と思っている人はいるはず」という。
■コスプレ強要に幻滅、退職する外国人社員
公用語化は従来の企業風土を一新する革命的変化をもたらし、その過程でさまざまな新旧の軋轢も引き起こす。グローバル化を進めるある会社で、TOEIC800点という中途採用の要件を難なくクリアして入社した女性社員の松田彩氏(仮名・28歳)が見たのは、日本人社員と外国人社員の文化摩擦だった。「たとえば外国人の新人に日本人上司は『明日、大事な取引先が来るのでケーキを買ってきて』と当たり前のように頼む。しかし、当の外国人社員は、そのようなために入社したのではないと思っている。また、見た目は日本人と変わらない韓国系アメリカ人に、『君って日本語が下手だね』といって笑ったりする。そうしたことに反感を募らせている外国人社員は多い」
ときにはイジメとしか思えない現象も起こる。洋上パーティを開催することになり、体育会系のノリが強いある部長が新卒の女性社員に「当日は全員コスプレ姿をするように」と命じた。「結果的に中止になったが、そのやり取りを見てショックを受けた外国人の女性社員が泣きながら相談にきた」(松田氏)という。同社はアイビーリーグ出身など優秀な若手の外国人を積極的に採用しているが、そうした摩擦に幻滅して辞めていくケースが少なくないそうだ。
英語公用語化はトップの強いリーダーシップなしには進まない。しかし、一気に画一的に推進しようとすれば、現場の混乱も生じる。大手消費財メーカーの人事担当役員は「公用語化は不可避でも、怖いのは社員のモチベーションの低下。年齢構成を踏まえて、必要な部署から漸次進めるなどの慎重な配慮も必要だ」と助言する。
(溝上憲文=文 大沢尚芳、川本聖哉、岡倉禎志=撮影)