「彼氏彼女だけでなく、もっといろいろな人と交わって官能的な日々を送るべき」と語る植島氏

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結婚やパートナーの有無を問わず、もっと気軽にキスやフラート(恋の戯れ)を楽しむべきではないかーー。

「愛人論」で話題となった宗教人類学者・植島啓司氏による、人生を豊かにする男女の関係性とは?(前編⇒ http://wpb.shueisha.co.jp/2015/04/22/46775/)

―植島さんは日本人ももっと気軽に男女がハグしたり、パートナーがいても他の異性とキスしてドキドキできる社会になったほうがいい、とおっしゃってますが、日本では文化的にもハードルが高いように思われますが…。

植島 そこで僕がオススメしたいのはフラート(flirt)という概念です。これはアメリカではよく使われる言葉で「ちょっとした恋の前段階」とか「恋の戯(たわむ)れ」という意味です。例えば、バーで視線を交わし合ったり、お互いがお互いを意識しているような状態、体がちょっと触れ合うとか、みんなから隠れて柱の陰で交わすキスとかもフラートに入ります。

確かに「不倫」や「浮気」だとハードルが高いですが、大人同士がフラートな関係を楽しむのは決して悪いことではないと思います。

―もし自分に彼女がいても、ほかの女子とフラートしてもオッケーですか?

植島 どんどんするべきでしょう(笑)。何も「彼氏彼女」の関係だけがすべてじゃないし、もっといろいろな人と交わって官能的な日々を送るべきだと思います。

70年代中期から80年代後期までは、ディスコに「チークタイム」というのがありました。スローバラードに合わせて、その日、知り合ったばかりの男女が体を寄せ合って踊る。そこでキスをするカップルもいる。そういう「チークダンス文化」みたいなものが今の日本には足りないのではないでしょうか。

―なぜ日本にはフラートのような文化が根づかなかったんでしょう。

植島 フラートという言葉がなかったことが大きいと思います(笑)。日本は「恋愛」が意味する幅がすごく狭くて、男女の関係性はセックスのあるなしで決められがちですが、もっと中間的な状態を大事にする文化があったほうがみんな楽しいはずです。

すべてをイエス、ノーではっきりさせるのではなく、どちらともとれるフラートのような関係性こそがセクシャリティにとっては生命線です。フランス人などは洗練されていますが、キスをするかしないかという関係を恋愛の醍醐味(だいごみ)と捉えて、もっとゆっくり楽しんでもいいんじゃないでしょうか。

(取材・文/鈴木えみ 撮影/矢西誠二)

●植島啓司(うえしま・けいじ)

京都造形芸術大学教授。1947年生まれ、東京都出身。東京大学大学院博士課程修了後、シカゴ大学大学院に留学。専門の比較宗教学のほか、男女の性愛に関する著作多数。近著に『きみと地球を幸せにする方法』