蔦屋重三郎は一七五〇年(寛延三)に新吉原(いまの浅草寺裏の千束四丁目)で生まれ、一七九七年(寛政九)に亡くなった版元、つまり出版業者である。本姓は喜多川で、名を珂理と言い、屋号が蔦屋で、店の名を耕書堂と称した。狂歌連での狂名は蔦唐丸である。父は尾張出身の丸山重助、母は江戸の廣瀬津与。数え年七歳の時に母が家を出たという。 重三郎は養子に入ったので、自身の姓は喜多川になった。そして一七七三年(安永
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蔦屋重三郎は一七五〇年(寛延三)に新吉原(いまの浅草寺裏の千束四丁目)で生まれ、一七九七年(寛政九)に亡くなった版元、つまり出版業者である。本姓は喜多川で、名を珂理と言い、屋号が蔦屋で、店の名を耕書堂と称した。狂歌連での狂名は蔦唐丸である。父は尾張出身の丸山重助、母は江戸の廣瀬津与。数え年七歳の時に母が家を出たという。 重三郎は養子に入ったので、自身の姓は喜多川になった。そして一七七三年(安永