柏原純一氏は熊本・八代東高2年秋に九州大会V…翌年の選抜に出場した念願の甲子園出場も、まさかの“悲劇”が待っていた。元日本ハムの主砲で野球評論家の柏原純一氏は1970年、八代東3年の春「第42回選抜高等学校野球大会」に出場した。開会式直後の第1試合で日大三(東京)と激突し、0-2で敗れたが、主将であり、エースで4番の柏原氏は、その試合について「全く覚えていない」と話す。印象に残っているのは開会式後の出来事。グ