女性画家たちに学ぶ 強く、美しい生き方
美術館を訪れ、裸婦画の多さに驚いたことはないでしょうか。男性の画家が裸婦ばかり描いてきたことに女性蔑視を感じる人もいるでしょう。また、「美術館=たくさんの裸婦画が展示してある場所」と無意識に思っている人もいるかもしれませんね。
現在では多くの女性画家が男性画家との区別なく評価されつつありますが、かつて女性が美術に関わるには、2つの方法しかありませんでした。それは、男性芸術家の作品モデルを務めるか、彼らを裏方でサポートするか、です。
『女性画家10の叫び』(堀尾真紀子/著、岩波書店/刊)は、差別や困難に遭いながらも芸術のためにひたむきに生きた女性画家10人の物語を紹介しています。
三岸節子、小倉遊亀、フリーダ・カーロ、レメディオス・バロ、ニキ・ド・サンファル、ケーテ・コルヴィッツ、桂ゆき、いわさきちひろ、マリー・ローランサン、メアリ・カサット。彼女たちは、1人の自立した画家としてそれぞれが美しい作品を残しました。
■男性画家の陰に埋もれる才能
豊かな才能を持って生まれながらも、時代状況のせいで開花できずに美術史の外に追いやられてしまった女性画家は少なくありませんでした。
たとえば三岸節子やフリーダ・カーロのように夫が画家であると、彼の栄光の陰に埋もれてしまいそうになったり、夫を支えるだけの存在に見られたりすることもありました。
レメディオス・バロは芸術家としてシュルレアリストのグループに属することができました。しかし、男性画家たちは彼女を「ミューズ」と呼び創作の活力源として崇めようとはしましたが、自分と同じ創作者としては認めたがらなかったそうです。従来の価値観を否定し、新しい世界を作っていこうとしていた芸術家たちも、女性たちには「女性らしさ」を求めることしか出来なかったのでしょうか。
■社会が求める女性像に「NO」を
世間が求める女性像に妥協せず、そのままの自分を肯定的に描こうとした画家に、ニキ・ド・サンファル(1930-2002)がいます。彼女は良家の子女として、富と権力を持つ男性との結婚を目指すよう育てられました。モデルとして『ヴォーグ』などの雑誌の表紙を飾るほどの美貌を持つ彼女は、いかにも上流階級の令嬢といった出で立ちです。
しかし、彼女は時代の抑圧的な空気に耐え切れず、ある日衝撃的な行動に出ます。絵具を中に入れたレリーフや彫刻を、ライフルで次々と撃ったのです。穴から絵具を噴出させた男性像や教会、マリア像はまるで血を流しているように見えました。権力を持つ男性や教会といったモチーフを撃ちまくることで、彼女は既成の価値観に「NO」を突き付けたのです。
■女性の、女性による、女性のためのミューズ
暴力的なパフォーマンスは世間の注目を集めました。彼女は社会を否定しただけでは満足せず、自分自身を表現することに向かいます。しかし、保守的な社会の価値観の中でそれを受け入れられない自分の違和感を表すことは、彼女にとって大きな苦痛でありました。彼女がこれを克服したのは、女友だちの妊娠によってでした。豊満になっていく美しい体は女性の喜びを謳歌しているように、そして新しい命を誕生させる女体は宇宙そのものであるように思えました。それから、ニキはのびのびとして自由な女神像「ナナ」を作るようになっていきます。男性の勝手な都合で作られたミューズとしてではなく、感情の赴くままに、おおらかに生きていく女性像が、ニキによって完成したのです。
ニキの作品は、箱根にある彫刻の森美術館などで鑑賞することができます。ニキの作品の持つ生命賛歌は、見る人全てに力強く優しい印象を与えることでしょう。
本書からは、著者がそれぞれの画家に対する深い理解と共感を持っていることが強く伝わってきます。著者が実際に画家と交わした会話なども収録されていて、彼女たちの作品をぜひとも鑑賞したくなります。
美術に関心がある人だけでなく、ジェンダーの問題に興味がある人にも読んでもらいたい一冊です。
(新刊JP編集部)
現在では多くの女性画家が男性画家との区別なく評価されつつありますが、かつて女性が美術に関わるには、2つの方法しかありませんでした。それは、男性芸術家の作品モデルを務めるか、彼らを裏方でサポートするか、です。
三岸節子、小倉遊亀、フリーダ・カーロ、レメディオス・バロ、ニキ・ド・サンファル、ケーテ・コルヴィッツ、桂ゆき、いわさきちひろ、マリー・ローランサン、メアリ・カサット。彼女たちは、1人の自立した画家としてそれぞれが美しい作品を残しました。
■男性画家の陰に埋もれる才能
豊かな才能を持って生まれながらも、時代状況のせいで開花できずに美術史の外に追いやられてしまった女性画家は少なくありませんでした。
たとえば三岸節子やフリーダ・カーロのように夫が画家であると、彼の栄光の陰に埋もれてしまいそうになったり、夫を支えるだけの存在に見られたりすることもありました。
レメディオス・バロは芸術家としてシュルレアリストのグループに属することができました。しかし、男性画家たちは彼女を「ミューズ」と呼び創作の活力源として崇めようとはしましたが、自分と同じ創作者としては認めたがらなかったそうです。従来の価値観を否定し、新しい世界を作っていこうとしていた芸術家たちも、女性たちには「女性らしさ」を求めることしか出来なかったのでしょうか。
■社会が求める女性像に「NO」を
世間が求める女性像に妥協せず、そのままの自分を肯定的に描こうとした画家に、ニキ・ド・サンファル(1930-2002)がいます。彼女は良家の子女として、富と権力を持つ男性との結婚を目指すよう育てられました。モデルとして『ヴォーグ』などの雑誌の表紙を飾るほどの美貌を持つ彼女は、いかにも上流階級の令嬢といった出で立ちです。
しかし、彼女は時代の抑圧的な空気に耐え切れず、ある日衝撃的な行動に出ます。絵具を中に入れたレリーフや彫刻を、ライフルで次々と撃ったのです。穴から絵具を噴出させた男性像や教会、マリア像はまるで血を流しているように見えました。権力を持つ男性や教会といったモチーフを撃ちまくることで、彼女は既成の価値観に「NO」を突き付けたのです。
■女性の、女性による、女性のためのミューズ
暴力的なパフォーマンスは世間の注目を集めました。彼女は社会を否定しただけでは満足せず、自分自身を表現することに向かいます。しかし、保守的な社会の価値観の中でそれを受け入れられない自分の違和感を表すことは、彼女にとって大きな苦痛でありました。彼女がこれを克服したのは、女友だちの妊娠によってでした。豊満になっていく美しい体は女性の喜びを謳歌しているように、そして新しい命を誕生させる女体は宇宙そのものであるように思えました。それから、ニキはのびのびとして自由な女神像「ナナ」を作るようになっていきます。男性の勝手な都合で作られたミューズとしてではなく、感情の赴くままに、おおらかに生きていく女性像が、ニキによって完成したのです。
ニキの作品は、箱根にある彫刻の森美術館などで鑑賞することができます。ニキの作品の持つ生命賛歌は、見る人全てに力強く優しい印象を与えることでしょう。
本書からは、著者がそれぞれの画家に対する深い理解と共感を持っていることが強く伝わってきます。著者が実際に画家と交わした会話なども収録されていて、彼女たちの作品をぜひとも鑑賞したくなります。
美術に関心がある人だけでなく、ジェンダーの問題に興味がある人にも読んでもらいたい一冊です。
(新刊JP編集部)