転職4回を経てやりたい仕事をする男の“正しい会社の辞め方”
一つの企業に長く勤務せずに、転職をくりかえす人のことを「ジョブ・ホッパー」と呼ぶ。賃金や仕事の待遇の向上のために転職するということは、欧米では一般的だが、日本では幾度も転職をしていると、「一つのことが長続きしない人」というレッテルを貼られてしまうこともある。
しかし、株式会社ピース・トゥ・ピース代表取締役の大澤亮さんは、確固たる信念に基づいて転職を繰り返し、ようやく自分の居場所に納まったというべき人物だろう。
大澤さんの著書である『「世界をよくする仕事」で稼ぐ』(プレジデント社/刊)には、苦闘と試行錯誤の半生がつづられている。
大澤さんが現在経営している企業は、いわゆる「社会企業」だ。地域貢献を率先して行っている世界のファッションブランドと代理店契約やライセンス契約を結び、日本国内のセレクトショップや百貨店などに卸す。取引先とビジネスをするときは社会貢献色を出さない。あくまでビジネスだ。そして、ビジネスが上手くいった結果として、地球に貢献するという地に足が着いた考え方だ。
■4回の転職の末にたどり着いた「本当にやりたい仕事」
大澤さんは学生の頃から「地球に貢献する仕事がしたい」と考えており、新卒就職先として選んだのが大手企業の三菱商事だった。さらに、希望かなってODAを扱う国際協力室のある業務部に配属、アフリカのタンザニアへと赴くことにもなった。しかし、そこで大澤さんが見たのは「途上国の本当の貧しさ」だったという。日本政府も三菱商事もタンザニアに対する踏み込んだ支援をしようとしない姿勢と、自身の力のなさを痛感し、大澤さんはモチベーションを落としてしまうのだった。
帰国後、三菱商事を辞めた大澤さんはマネジメントや経営スキルを磨こうと、慶應義塾大学のMBAに進学する。さらに、そこで出会った仲間たちとともにITベンチャーを起業するものの、そこでも苦難の道を通ることになる。
なんとか経営危機を脱した大澤さんたちは、事業をサイバーエージェントに売却。円満な形で会社を解散させる。そして、次に向かったのがコンサルティング会社であるドリームインキュベータ―だった。MBAで学んだことが通用しない“実際のビジネスの現場”で奮闘する大澤さんはやがて頭角をあらわし、幹部候補とさえ言われるほどになるものの、鞄会社の土屋鞄から役員としてヘッドハンティングされ、転職を決める。
■大澤さんが教える「正しい会社の辞め方」
どうしてドリームインキュベータ―を離れて、土屋鞄へ転職をしたのか。本書では数ページをさいて、丁寧に説明している。それは今、ブログなどで見受けられる「退職しました」エントリに通じるものがある。
気になる転職理由は複数あげられているが、大きなものの一つが土屋鞄の社長の魅力だったようだ。際立った感性による右脳型経営。商売感覚だけではなく、鞄に対する直感的なセンスの高さがあった。それに伴ってマーケティング部員の美的センスも凄まじいものがあり、「売れるもの」「売れないもの」を見抜く力を備えていたという。
これまでとは全く違う環境での仕事に大澤さんは刺激を受け、この刺激がピース・トゥ・ピースの起業へと結びついていく。
しかし、大澤さんは土屋鞄の従業員や経営陣との溝を次第に深めていき、新たな挑戦を求めて二度目の起業をする。地球貢献をビジネスでする。それを体現するのが、ピース・トゥ・ピースなのだ。
本書にはこうした激動の人生を歩んできた大澤さんだからこそ語れる「正しい会社の辞め方」も書かれているので、ここで紹介したい。
(1)辞めるまでは会社にスキルや人脈を惜しみなく提供する。
(2)仕事の成果は、社長や会長、上司にちゃんと見える形で示しておく。
(3)会社や上司の悪口は絶対に言わない。
(4)辞める意思を上司に伝える際には、なるべく会社に迷惑がかからないようなタイミングを選ぶ。
自分が本当に成し遂げたいこと、自分が本当にやりたいこと、自分がビジネスを通してしたいこと。それが今いる会社で出来ていないから、転職を考えている人も少なくないはずだ。そういう人にとって本書は大いに参考になるはずだ。
大澤さんのように、よりワンランク上への挑戦、新たな挑戦ということであれば、まわりの理解者たちは応援してくれるはず。そして、本書もあなたの心を後押ししてくれることだろう。
(新刊JP編集部)
しかし、株式会社ピース・トゥ・ピース代表取締役の大澤亮さんは、確固たる信念に基づいて転職を繰り返し、ようやく自分の居場所に納まったというべき人物だろう。
大澤さんの著書である『「世界をよくする仕事」で稼ぐ』(プレジデント社/刊)には、苦闘と試行錯誤の半生がつづられている。
■4回の転職の末にたどり着いた「本当にやりたい仕事」
大澤さんは学生の頃から「地球に貢献する仕事がしたい」と考えており、新卒就職先として選んだのが大手企業の三菱商事だった。さらに、希望かなってODAを扱う国際協力室のある業務部に配属、アフリカのタンザニアへと赴くことにもなった。しかし、そこで大澤さんが見たのは「途上国の本当の貧しさ」だったという。日本政府も三菱商事もタンザニアに対する踏み込んだ支援をしようとしない姿勢と、自身の力のなさを痛感し、大澤さんはモチベーションを落としてしまうのだった。
帰国後、三菱商事を辞めた大澤さんはマネジメントや経営スキルを磨こうと、慶應義塾大学のMBAに進学する。さらに、そこで出会った仲間たちとともにITベンチャーを起業するものの、そこでも苦難の道を通ることになる。
なんとか経営危機を脱した大澤さんたちは、事業をサイバーエージェントに売却。円満な形で会社を解散させる。そして、次に向かったのがコンサルティング会社であるドリームインキュベータ―だった。MBAで学んだことが通用しない“実際のビジネスの現場”で奮闘する大澤さんはやがて頭角をあらわし、幹部候補とさえ言われるほどになるものの、鞄会社の土屋鞄から役員としてヘッドハンティングされ、転職を決める。
■大澤さんが教える「正しい会社の辞め方」
どうしてドリームインキュベータ―を離れて、土屋鞄へ転職をしたのか。本書では数ページをさいて、丁寧に説明している。それは今、ブログなどで見受けられる「退職しました」エントリに通じるものがある。
気になる転職理由は複数あげられているが、大きなものの一つが土屋鞄の社長の魅力だったようだ。際立った感性による右脳型経営。商売感覚だけではなく、鞄に対する直感的なセンスの高さがあった。それに伴ってマーケティング部員の美的センスも凄まじいものがあり、「売れるもの」「売れないもの」を見抜く力を備えていたという。
これまでとは全く違う環境での仕事に大澤さんは刺激を受け、この刺激がピース・トゥ・ピースの起業へと結びついていく。
しかし、大澤さんは土屋鞄の従業員や経営陣との溝を次第に深めていき、新たな挑戦を求めて二度目の起業をする。地球貢献をビジネスでする。それを体現するのが、ピース・トゥ・ピースなのだ。
本書にはこうした激動の人生を歩んできた大澤さんだからこそ語れる「正しい会社の辞め方」も書かれているので、ここで紹介したい。
(1)辞めるまでは会社にスキルや人脈を惜しみなく提供する。
(2)仕事の成果は、社長や会長、上司にちゃんと見える形で示しておく。
(3)会社や上司の悪口は絶対に言わない。
(4)辞める意思を上司に伝える際には、なるべく会社に迷惑がかからないようなタイミングを選ぶ。
自分が本当に成し遂げたいこと、自分が本当にやりたいこと、自分がビジネスを通してしたいこと。それが今いる会社で出来ていないから、転職を考えている人も少なくないはずだ。そういう人にとって本書は大いに参考になるはずだ。
大澤さんのように、よりワンランク上への挑戦、新たな挑戦ということであれば、まわりの理解者たちは応援してくれるはず。そして、本書もあなたの心を後押ししてくれることだろう。
(新刊JP編集部)