激しいバッシング!『先生を流産させる会』まがまがしく、おぞましいと監督も語る言葉から見えてくるものとは?
24日、渋谷の映画美学校試写室で映画『先生を流産させる会』試写会が行われ、元文部官僚で映画評論家の寺脇研氏、内藤瑛亮監督がトークショーを行った。
愛知県の中学校生徒が「先生を流産させる会」を結成し、妊娠した女性教論の給食に異物を混入したり、いすの背もたれのねじを緩めたりしたという、実際の事件をベースに製作された本作。そのショッキングなタイトルはネットを中心に激しいバッシングにさらされた。「実際に観てみたけど、そんなに言われるものかなというのが正直なところ。結局、映画を観ていない人がバッシングをしているんじゃないの?」と切り出した寺脇氏に、内藤監督は「確かに観ていない人からのバッシングが多かった」と同意する。
また「このタイトルは確信犯でしょ」という寺脇の指摘に内藤監督は、「『先生を殺す会』よりも、『先生を流産させる会』という方がまがまがしく、おぞましい。この想像もつかない悪意に満ちたこの言葉に衝撃を受けたことが製作のきっかけ」と述懐。寺脇氏は「今は漫画や小説に頼ることが多いけども、昔は実話を映画化するなんてことはよくあった。登場人物と社会はどういう関係なのかと考えることが出来る、そういう映画が観たいよね。そういう意味ではこれは観る側も参加できる映画だと思う」と監督の姿勢を擁護した。
愛知県で起きた事件は、実際は男子生徒たちによるものであったが、本作では女子生徒の物語として脚色されている。その理由について「『先生を流産させる会』という言葉をテーマにした映画を作るためには、妊娠を嫌悪しているキャラクターでないといけない。この時期の女の子は妊娠できる身体になりつつあるので、女の先生を将来の姿として見ることもできるし、先生は生徒たちを過去の自分として見ることが出来るようにもなるかなと思って、女の子に変えました」と説明した。
妊娠した女性教師を「あいつセックスをしたんだよ、キモい」と嫌悪し「生まれる前に死んだ子どもなんて、いないも同然じゃない」と平然と語る生徒に「わたしは教師である前に女なんだ」と毅然(きぜん)と立ち向かう教師。「物語が終わった後『先生を流産させる会』という言葉をどう感じますか? と問い掛けたい」と内藤監督が語る通り、この悪意を内包した物語の先に、逆説的に見えてくるものは何なのか。その答えはスクリーンの中にある。(取材・文:壬生智裕)
映画『先生を流産させる会』は5月26日より渋谷ユーロスペースにて公開