【インタビュー】戦禍から避難したウクライナ人GKが語る戦争で傷つく母国とサッカー
2022年2月24日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はウクライナに対して「特別軍事作戦」という名目で、ウクライナに対する軍事進攻を開始した。
開戦から2年半が経った現在でも、ロシアによる攻撃は続いている。多くのウクライナ人は戦禍から逃れるため、故郷から遠く離れた地での生活を余儀なくされている。
神奈川県横浜市に住むヤスロラフ・シュトンダ(ヤリク)さんもその一人だ。ヤリクさんは来日前、ウクライナ北東部の大都市ハルキウに住んでいた。ロシアと国境を接するハルキウ州は、ウクライナ侵攻の激戦地として知られており、いまも毎週のようにロシアによる攻撃が報じられている。
そうした情勢の中、当時ウクライナの強豪チームウクライナ1部FCメタリスト1925ハルキウ(以下メタリスト・ハルキウ)の下部組織に所属していたヤリクさんはサッカーを続けるため、2022年の11月に叔母の水谷アナスタシアさんが住む日本に避難民として入国。現在はJ2横浜FCのユースチームに練習生として参加している。
今回Qolyはヤリク選手に取材を実施。前編は戦渦の中のウクライナサッカーが直面する厳しい現実を一選手の視点から語ってもらった。
来日した経緯とは
──ウクライナではどのようなサッカーキャリアを歩んできましたか。
「小さいころに、故郷の小さな町でサッカーを始めました。
13歳のときにアンドリー・ルニン(スペイン1部レアル・マドリーのGK、ハルキウ出身)のお父さんにスカウトされて、(ロシア・ウクライナ)戦争が始まるまではメタリスト(・ハルキウ)の下部組織でプレーをしていました」
──ウクライナから来日した経緯を教えてください。
「戦争が始まってから、家族の中で『大好きなサッカーをすることができない』という話が多くなってきました。
そのとき、日本人の家族(叔母のアナスタシアさん一家)から『これまでずっとサッカーをやってきたのにもったいない。日本で続けた方がいいんじゃないか』と提案をしてもらい、日本行きが決まりました。
私は学生でスポーツ選手なので、ウクライナから出国できたため、チェコのおばあちゃんの家で約2週間暮らしました。その間に日本へのビザが下りたので、2022年の11月に日本に来ました」
戦争で一変したウクライナのサッカー
イギリス人労働者によって1800年代後半に持ち込まれ、150年近い歴史を持つウクライナのサッカー。
イタリア1部ACミランで活躍したFWアンドリュー・シェフチェンコやイングランド1部アーセナルDFオレクサンドル・ジンチェンコ、レアル・マドリーのルニンといった世界最高峰の選手を多く輩出している。さらにディナモ・キーウやシャフタール・ドネツクといった国内の強豪クラブもUEFAヨーロッパリーグなどの国際試合で存在感を示していた。
2012年には欧州選手権がポーランド、ウクライナで共催され、大会開催に向けて国内のスタジアムが新設、改修された。同選手権では世界中から観客を集め、ウクライナ国内は熱狂に包まれた。
こうした歴史的背景もあり、旧ソヴィエト連邦構成国の中でもウクライナ人のサッカー熱は飛び抜けている。
だが、そうした状況は2022年2月に始まったロシアの軍事侵攻で一変した。
相次ぐ空襲警報、停滞した物流網、スポンサー企業の撤退…ウクライナのサッカーはありとあらゆる困難に直面している。
──ウクライナは以前からロシアから攻撃を受けていましたが、全面侵攻(2022年2月)以前にその影響を感じたことはありますか。(注釈:厳密には正規軍による侵攻などは実施されていないが、新露派武装勢力への支援、サイバー攻撃などは2014年のヤヌコーヴィチ政権崩壊後から盛んに行われていた)
「戦争が始まる前、私がいたチームはユースのリーグで3位でした。その前のシーズンは優勝していて、チームもスポンサーもみんな頑張っていました。
これから『もっと勝とう、頑張ろう』という雰囲気で、誰も戦争のことは考えていませんでした...」
ハルキウの日常が破壊され
ロシアとウクライナの国境近くの都市であるハルキウは、ロシア軍による全面侵攻が開始して以降、絶えずロシア軍の攻撃に晒され続けている。
EURO2012の試合会場としても利用されていたハリコフスタジアムも、ロシア軍の攻撃によって破壊された。この惨状は、ウクライナサッカー協会会長を務めるアンドリュー・シェフチェンコ氏によって、今年開催されたEURO2024の中でも伝えられ、ヨーロッパサッカー界に大きな衝撃が走った。
──戦争が始まって、来日するまではどのような状況でしたか。
「戦争が始まったときは、ロケットや戦闘機について、まったく未知の状態だったのでとても怖い気持ちで過ごしていました。
ハルキウはロシアと近いので、ロシア軍が侵入した時期もありました。そのときは人生で感じたことがないような怖さで、自分がどうすればいいのかまったく分かりませんでした。
もちろん、だんだんこうした状況には慣れてきます。とはいえ、あすはどうなるか分からないことへの不安がすごかったです。避難場所やシェルターに避難することもあり、そういったときは怖い気持ちになりましたね。
特に、ハルキウに住む友達のアパートがロケット弾で破壊された瞬間を見たときは、すごくショックを受けました。
幸い、攻撃を受けたときに友達はいなかったのですが、その家はみんなでお泊りをした思い出もある場所で、『よく行っていた、生活していた場所』が破壊されたことに対するストレスは、これまで感じたことがないものでした」
──メタリスト・ハルキウのスタジアムや施設が破壊されているニュースもありました。
「トレーニングセンターが攻撃された光景を見たときはとても悲しかったです。
ここも子供のころの色んな思い出がある場所だったので、ショックを受けましたし、泣きそうにもなりました」
──戦争の影響でメタリストはスポンサー集めにも苦労していると聞きます。
「いまのウクライナのリーグは、本来のホームタウンでプレーすることができないチームが増えていて、スポンサーが入らなくて解散するチームも沢山あります。
だから、いま難しい状況で頑張っているウクライナの選手たちをリスペクトしています」
──ハルキウはロシアとのつながりも深い地域で、親戚や友達がいるという人も珍しくないと聞きます。複雑な感情はありますか。
「その感情を表現することはとても難しいです。
例えば、ウクライナとロシアの両方にルーツのある家族は、家の中でトラブルが起こり、一切話さなくなった家もあると聞きました。
みんな自分の考えがあるので、気持ちを伝えることはとても難しいと思います」
希望を与えたウクライナ代表
母国ウクライナは未だ苦しい状況にある中、EURO2024やオリンピックでウクライナ代表チームは母国を背負い戦い続けている。
サッカー熱の高いウクライナ人にとって、国際試合で活躍する彼らの勇姿には大きく心を動かされるという。
──ハルキウはいまも攻撃のニュースが続いています。
「いままで暮らしている場所が攻撃されている映像を見ることは、とても気持ちが落ち込みます。
友達や家族とは安否の確認の連絡を毎日取っていますが、心が壊れてしまうので、そういうニュースは極力見ないようにしています」
──戦争後もウクライナ代表はEURO2024やオリンピックに出場しました。
「戦争が始まって以降、ウクライナの人たちは(国際試合で)自分の国が出ているということをすごく大事だと思うようになりました。いまは私もウクライナ代表チームがどれくらい頑張っているか、絶対見るようにしています。
特にオリンピックでは友達も出ていたので、すごく高いテンションで頑張って応援していましたよ」
ロシアによる全面侵攻が始まって2年半。国際試合への出場や国内リーグは辛うじて実施されているものの、ウクライナサッカーが直面する現実は我々の想像以上に重い。
伊東純也、佐野海舟の性加害報道はどう違う?週刊誌報道、新聞報道の信ぴょう性の見極め方を元警察担当記者に聞く
後編では、そのような状況の中でプロサッカー選手になるため異国の地で挑戦を続けるヤリクさんの横浜FCでの研さんの日々について触れていく。