劇場アニメ「ルックバック」押山監督が語る 「絵描きやクリエイターの賛歌」に込めた想い
漫画家・藤本タツキが漫画家を描いた「漫画家モノ」としての側面を持つ「ルックバック」。そんな作品の劇場アニメ化にあたり、押山清高が監督を務めたのは必然と言えるかもしれない。『電脳コイル』で作画監督を務めたのち、『エヴァンゲリヲン新劇場版:破』や宮粼駿監督作品『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』など数々のアニメ作品の原画を描いた押山は、紛れもなく「絵描き」のアニメ監督だからだ。通常のアニメと異なる「ルックバック」の制作プロセスには、絵描きとしての”共通点”、漫画とアニメの”違い”、その両方が大きく関わっていた。
※この記事は2024年6月25日に発売された雑誌「Rolling Stone Japan vol.27」に掲載されたものです。
押山監督による描き下ろしのイラストを使用した「Rolling Stone Japan」バックカバー
映画化をめぐる、藤本タツキとの対話
ー原作「ルックバック」はもともと読んでいましたか?
押山 はい。発表された当時に読んでいました。それ以前から『チェンソーマン』を読んでいたので「藤本さんはこんなに系統が違う作品でも才能を発揮しちゃうんだ」と、ちょっと嫉妬しました(笑)。
「ルックバック」
藤本タツキ
集英社ジャンプコミックス
発売中
ーそんな『ルックバック』の映画化依頼が届き、どのように感じましたか?
押山 人気マンガ原作ということで、「原作をそのまま映像化するだけなら、モチベーションが湧かないな」と企画の話が持ち込まれた際に思いました。でも、原作では焦点が当てられていない部分にフォーカスするなど、一見原作通りに見えて実は全く違う切り口の見せ方ができるということを発見したことや、アニメーションでしか描けない作る意味などを見出した事で、「この作品に向き合う理由ができた」と感じました。そのあと、藤本さんは「好きなようにやっていいです」というスタンスだったのも後押しになりました。
ー映画の制作にあたって藤本さんとコミュニケーションはありましたか?
押山 2回打ち合わせをしました。最初にお会いしたときは、原作で解釈が分かれる部分について「藤本さんとしてはどういう結論を持って描いていますか?」とか、辻褄が合わないようなところについて「作画ミスですか? それとも意図したものですか?」といった質問を色々させてもらいました。次にお会いしたのは、絵コンテをラフに仕上げた後ですね。「この方向で絵コンテを完成まで進めていいですか?」「原作者としてこういう表現は許容できますか?」という確認をさせてもらいました。藤本さんは、「現場でそれがいいと思ったら、それでOKです」っていう感じで、とても現場をリスペクトしてくださっていました。
ー「ルックバック」は絵描きの物語であり、藤本さんと押山監督も分野は違えども同じ絵描きです。その点は映画に影響を与えたと思いますか?
押山 まず、漫画家が漫画家の話を描いている作品なので、作者自身かなり思い入れを持って描いた作品であることは想像できました。それを映像化するにあたっては、我々も絵描きなもんですから、藤本さんが原作「ルックバック」に自身を投影したように、僕も自分を投影してこの映画を作りました。その上で、これまでアニメーション表現の業界に身を置いてきた経験で見つけた価値を描きました。
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
目指したのは個人制作のようなアニメ
ー映画「ルックバック」は58分の仕上がりということで、1巻読切の原作に通じる”読後感”がありました。
押山 依頼をいただいた段階からコンパクトに作る事は決まっていて、何なら当初は短編映画として映画祭に持って行きやすくする想定でした。しかし作品の質を求めていくうちに、短編尺に収めるのは難しいとなり、結局中途半端な60分の作品になってしまった(笑)。
ー尺が伸びていったポイントはどこにありますか?
押山 原作自体が「行間のある作品」というか、台詞ではあまり語らない漫画なんですよね。そこが大きかったと思います。漫画は自分のペースで読めるから、感情に浸りたいところで立ち止まっていられるんですけど、映像はどんどん流れていってしまう。そういう点で、漫画と映像では時間の使い方がかなり違います。映像の場合、1シーンがひとまとまりに見えるためには1分半くらいの尺感が一つの基準なのですが、そうした感覚に則って場面ごとに行間を足していったら結構尺が伸びてしまいました。例えば雨の中で藤野が踊るように走るシーンがありますよね。あれは漫画だと数コマなんですけど、あれを数カットで終わらせてしまったらあまりにもったいないじゃないですか。
ーまさに。以前、別のインタビューで藤本さんにお話を伺った際、漫画のコマ割りと映像の違いについてお話しされていたのを思い出しました。
押山 逆に2人の感情をもっと丹念に積み上げて感動のピークをもっと高い位置に引き上げるなど、『ルックバック』で1時間半の映画を作れることも全然できるんですけど、クオリティーをコントロールしながらいきなり長編尺にトライするのはハードルが高かったので、こういうふうにコンパクトに作らせてもらえてありがたかったですね。この映画は「個人制作のようにアニメを作りたい」という僕の思いがこもった作品にもなっていると思います。
ー制作発表時、藤本さんのTwitterアカウント「ながやま こはる」から「監督がほぼ一人で全部描いているらしい」との投稿が出されましたが、それは本当なのでしょうか?
押山 1人で全部描いてはいませんが、ほとんど僕が描いているというのは、間違いではありません。もちろん原画スタッフの皆さんの力なくしてはスケジュール内にこのクオリティで完成できませんでしたし、特に多大なる貢献をしていただいた原画さんもいらっしゃいます。その上で商業映画としては類を見ないくらい1人の人間がたくさん描いている作品になっていると思います。
ーその理由は?
押山 今回、一般的なアニメルックではなく、絵描きの手癖や線のニュアンスを許容する「マンガ寄りの絵柄」を採用したことが影響しています。例えば二重まぶたを描くとき、アニメでは機械的な一本の線になるんですけど、漫画ではその時の絵描きの気分やエモーション、構図によってタッチの本数や角度が変わるんですよね。でも、アニメでそれをやるには、関わる人数が増えると本当にまとまりのないものになってしまって、藤野が藤野じゃなくなってきてしまう。だから、一人の作家が漫画を描くように、一人の絵描きがアニメーションを大量に描かざるを得ない状況に陥ってしまいました(笑)。
ーなるほど(笑)。映画を観てすごく印象的だったのは、藤野が初めて行った京本の家で4コマを描くシーンの表情です。原作以上に「絵を描く喜び」にフォーカスされていると感じました。
押山 この映画自体、「絵描きやクリエイターの賛歌になればいいな」という想いで作りました。あのシーンについては、僕は藤野をある意味漫画の神様に愛された幸運な子供として描きたくて「まるで息を吸うように、楽しんで漫画を描いてしまったんだろうな」という気持ちで描きました。
ー通常のアニメと違うという点では、背景美術もそうですよね。本編の背景美術は独特なタッチになっています。一方、劇中の書籍に描かれている背景美術については、レジェンドクリエイターたちが担当していて、こちらは僕らが見慣れた「アニメの背景美術」になっている。この逆転がおもしろかったです。
押山 キャラクターだけじゃなく背景美術にも、「漫画の背景」を想起させるエッセンスを取り入れたいと思ったんです。アニメの背景って通常は絵の具で仕上げるものなんですけど、そこに線画で描かれる「漫画の背景」ならではのタッチを可能な限り加えています。そしてハリコミの背景美術に関しては、まさしくアニメ界を代表するレジェンドの方々に描いて欲しいと考え、最低限のリクエストだけ伝えた上で「いつもの背景美術の感じで描いてください」と、好きなように描いてもらいました。いい感じで本編の背景と差別化できたと思います。
ー背景といえば、「ルックバック」には具体的な地名や実在する施設が出てくるほか、藤本さんの出身地である秋田県にかほ市をモデルとしたと思われるシーンもありますよね。
押山 本当はロケハンしたかったんですけど、残念ながらできませんでした。ただ、原作通り実在の地名は使用していますが、実在の場所をリアルに再現しようとはしていません。山形の芸術工科大学をモデルとした箇所も学校名を使用していなかったり建物や廊下などデザインから変えています。あまりに現実に寄せてしまうと、絵による表現やフィクションの魅力を損なうと思い、僕の基準で現実と差別化しています。リアルを突き詰めると、藤野の家の住所までバレてしまいますからね。そういう作品にはしたくなかったんです。
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
原作と異なる新たな設定や追加シーン
ー「ルックバック」は押山監督にとって、これまで手がけてきた中で最も大規模な作品だと思います。本作を監督するにあたり、何かしらリファレンスやベンチマークとなる作品などはありましたか?
押山 これといった作品はないですが、シーン単位で見れば参考にした作品はたくさんあります。特に洋画のエッセンスは結構随所に取り入れていますね。今回、原作に付け加えた設定として「藤野が映画好き」っていうものがあるんですよ。
ー藤野はいろんな映画のポスターを部屋の壁に貼っていますよね。季節ごとにポスターが変わっていくのもおもしろかったです。
押山 映画って漫画と違い画面が横に広いので、画面の左右の空間をどう使うかが重要になるんです。そうした漫画と映画の違いが現れる藤野の背中を見せる象徴的なアングルで、漫画には描かれない空間に藤野のキャラクター性を強化できる「映画好き」という設定を取り入れました。藤本さんも映画好きなので、重なる部分もありますしね。
ー藤野が持っている物語を作る能力と、「映画好き」という設定が通じてくるわけですね。
押山 藤本さん自身も漫画執筆に映画のエッセンスを取り入れていますし、僕もそれと同じようなことを映画版でやろうと考えたというのもあります。
ー映画版では他にも、藤野が漫画家デビューして間もない頃の部屋が新たに設定されていたり、『シャークキック』に空手の経験が活きていることがわかる絵が用意されていたりと、原作よりもリアリティーのレベルが上がっているように感じました。
押山 映像にすると、あらゆる意味で解像度が上がってしまうのと、隅々まで絵である以上、実写のように偶然的に画面に映りこむ奇跡は起こりにくいんです。作り手の意識次第でリアリティも奥行きもない世界になってしまいやすい。原作として「0から1」を生み出す時には様々な理由で作り込むことができなかった部分があると思いますが、映像化は「1から100」にできる魅力があると思います。それに、漫画原作で分かりづらい部分って、見せ方を強制してしまう映像ではそれよりもずっと分かりやすくしないと伝わらないんですよ。多くの人が一回観ただけである程度分かってもらえるぐらいにはハードルを下げておかないと、エンタメとしては成立しないと思って、そこは意識しながら作りましたね。
ー原作になかった要素としては、漫画家になった藤野が担当編集者と電話しているシーンが印象的でした。漫画では無音でしたが、映画版ではしっかりとセリフが用意されていますよね。
押山 あのシーンでは、一人で漫画を描いている藤野を「どこか不完全な存在」として描きたかったんです。藤野と京本は成長と共に歩む道が分かれていきましたが、本来はお互いの足りない部分を埋め合いながら、一つのペンネームを持つ漫画家になっていた。ジャンプで連載してアニメ化まで持っていったことで、藤野は客観的には成功している漫画家になったけれども、彼女自身は満たされている感じがしない。欠けた京本の存在をずっと引きずっていて、いつまでも京本の代わりとなるパートナーは現れない、ということを強調したかったんです。そのために、編集者にアシスタントへの不満を吐露しているという状況を作りました。
ー音楽についても伺いたいのですが、今回の劇伴と主題歌はどのようにディレクションされましたか?
押山 セリフが少なく背中で語りかけてくる原作ですが、映画館に縛りつけるからには、あらゆる方向で「観客に寄り添っていく映画」を作らなければならないと思い、音楽のウエイトが高い作品になることは最初からわかっていました。だから、音響監督の木村さんと一緒に「ここからここまでは、こういう音楽」とか「ここでちゃんと盛り上がって、このタイミングでアクセントを使ってください」といった、細かい点までオーダーさせてもらいました。音楽が重要な作品ということで、なるべく映像とシンクロする形で音楽をハメたかったんです。haruka nakamuraさんの音楽にはミュートピアノを使った繊細なエモーションを感じさせる魅力を感じていて、物語の感情に寄り添う音楽ということと、アニメーション表現に合わせて曲のキャラクターをハッキリとしたわかりやすいものにしてくださいとオーダーしました。セリフがなくても藤野の感情が伝わってくる素晴らしい音楽を作ってくれました。uraraさんが歌う主題歌「Light song」に関しては、多くの意味を内包する難しいオーダーを音楽にしてくださったと思います。
押山清高
1982年生まれ、福島県出身。株式会社ドリアン代表。2017年に永野優希とともにスタジオドリアンを設立。監督作品に『フリップフラッパーズ』(2016年)、主要スタッフを務めた作品に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)、『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)、『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』(2011年)、『風立ちぬ』(2013年)、『DEVILMAN crybaby』(2018年)、『フリクリ オルタナ』(2018年)、『フリクリ プログレ』(2018年)がある。第96回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞した『君たちはどう生きるか』(2023年)には原画スタッフの一員として参加した。「ルックバック」は劇場アニメ初監督作となる。また、「スタジオドリアン添削室」でイラストの添削やインターネットコミュニティの「アトリエドリアン」を運営する。
劇場アニメ「ルックバック」
Amazon Prime Videoで世界独占配信中
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0DH2CBHJ7/ref=atv_dp_share_cu_r
原作:藤本タツキ「ルックバック」(集英社ジャンプコミックス刊)
出演:河合優実(藤野役)、吉田美月喜(京本役)
監督·脚本·キャラクターデザイン:押山清高
美術監督:さめしまきよし
美術監督補佐:針粼義士·大森崇
色彩設計:楠本麻耶
撮影監督:出水田和人
編集:廣瀬清志
音響監督:木村絵理子
音楽:haruka nakamura
主題歌:「Light song」by haruka nakamura うた:urara
アニメーション制作:スタジオドリアン
押山監督による描き下ろしのイラストを使用した「Rolling Stone Japan」バックカバー
映画化をめぐる、藤本タツキとの対話
ー原作「ルックバック」はもともと読んでいましたか?
押山 はい。発表された当時に読んでいました。それ以前から『チェンソーマン』を読んでいたので「藤本さんはこんなに系統が違う作品でも才能を発揮しちゃうんだ」と、ちょっと嫉妬しました(笑)。
「ルックバック」
藤本タツキ
集英社ジャンプコミックス
発売中
ーそんな『ルックバック』の映画化依頼が届き、どのように感じましたか?
押山 人気マンガ原作ということで、「原作をそのまま映像化するだけなら、モチベーションが湧かないな」と企画の話が持ち込まれた際に思いました。でも、原作では焦点が当てられていない部分にフォーカスするなど、一見原作通りに見えて実は全く違う切り口の見せ方ができるということを発見したことや、アニメーションでしか描けない作る意味などを見出した事で、「この作品に向き合う理由ができた」と感じました。そのあと、藤本さんは「好きなようにやっていいです」というスタンスだったのも後押しになりました。
ー映画の制作にあたって藤本さんとコミュニケーションはありましたか?
押山 2回打ち合わせをしました。最初にお会いしたときは、原作で解釈が分かれる部分について「藤本さんとしてはどういう結論を持って描いていますか?」とか、辻褄が合わないようなところについて「作画ミスですか? それとも意図したものですか?」といった質問を色々させてもらいました。次にお会いしたのは、絵コンテをラフに仕上げた後ですね。「この方向で絵コンテを完成まで進めていいですか?」「原作者としてこういう表現は許容できますか?」という確認をさせてもらいました。藤本さんは、「現場でそれがいいと思ったら、それでOKです」っていう感じで、とても現場をリスペクトしてくださっていました。
ー「ルックバック」は絵描きの物語であり、藤本さんと押山監督も分野は違えども同じ絵描きです。その点は映画に影響を与えたと思いますか?
押山 まず、漫画家が漫画家の話を描いている作品なので、作者自身かなり思い入れを持って描いた作品であることは想像できました。それを映像化するにあたっては、我々も絵描きなもんですから、藤本さんが原作「ルックバック」に自身を投影したように、僕も自分を投影してこの映画を作りました。その上で、これまでアニメーション表現の業界に身を置いてきた経験で見つけた価値を描きました。
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
目指したのは個人制作のようなアニメ
ー映画「ルックバック」は58分の仕上がりということで、1巻読切の原作に通じる”読後感”がありました。
押山 依頼をいただいた段階からコンパクトに作る事は決まっていて、何なら当初は短編映画として映画祭に持って行きやすくする想定でした。しかし作品の質を求めていくうちに、短編尺に収めるのは難しいとなり、結局中途半端な60分の作品になってしまった(笑)。
ー尺が伸びていったポイントはどこにありますか?
押山 原作自体が「行間のある作品」というか、台詞ではあまり語らない漫画なんですよね。そこが大きかったと思います。漫画は自分のペースで読めるから、感情に浸りたいところで立ち止まっていられるんですけど、映像はどんどん流れていってしまう。そういう点で、漫画と映像では時間の使い方がかなり違います。映像の場合、1シーンがひとまとまりに見えるためには1分半くらいの尺感が一つの基準なのですが、そうした感覚に則って場面ごとに行間を足していったら結構尺が伸びてしまいました。例えば雨の中で藤野が踊るように走るシーンがありますよね。あれは漫画だと数コマなんですけど、あれを数カットで終わらせてしまったらあまりにもったいないじゃないですか。
ーまさに。以前、別のインタビューで藤本さんにお話を伺った際、漫画のコマ割りと映像の違いについてお話しされていたのを思い出しました。
押山 逆に2人の感情をもっと丹念に積み上げて感動のピークをもっと高い位置に引き上げるなど、『ルックバック』で1時間半の映画を作れることも全然できるんですけど、クオリティーをコントロールしながらいきなり長編尺にトライするのはハードルが高かったので、こういうふうにコンパクトに作らせてもらえてありがたかったですね。この映画は「個人制作のようにアニメを作りたい」という僕の思いがこもった作品にもなっていると思います。
ー制作発表時、藤本さんのTwitterアカウント「ながやま こはる」から「監督がほぼ一人で全部描いているらしい」との投稿が出されましたが、それは本当なのでしょうか?
押山 1人で全部描いてはいませんが、ほとんど僕が描いているというのは、間違いではありません。もちろん原画スタッフの皆さんの力なくしてはスケジュール内にこのクオリティで完成できませんでしたし、特に多大なる貢献をしていただいた原画さんもいらっしゃいます。その上で商業映画としては類を見ないくらい1人の人間がたくさん描いている作品になっていると思います。
ーその理由は?
押山 今回、一般的なアニメルックではなく、絵描きの手癖や線のニュアンスを許容する「マンガ寄りの絵柄」を採用したことが影響しています。例えば二重まぶたを描くとき、アニメでは機械的な一本の線になるんですけど、漫画ではその時の絵描きの気分やエモーション、構図によってタッチの本数や角度が変わるんですよね。でも、アニメでそれをやるには、関わる人数が増えると本当にまとまりのないものになってしまって、藤野が藤野じゃなくなってきてしまう。だから、一人の作家が漫画を描くように、一人の絵描きがアニメーションを大量に描かざるを得ない状況に陥ってしまいました(笑)。
ーなるほど(笑)。映画を観てすごく印象的だったのは、藤野が初めて行った京本の家で4コマを描くシーンの表情です。原作以上に「絵を描く喜び」にフォーカスされていると感じました。
押山 この映画自体、「絵描きやクリエイターの賛歌になればいいな」という想いで作りました。あのシーンについては、僕は藤野をある意味漫画の神様に愛された幸運な子供として描きたくて「まるで息を吸うように、楽しんで漫画を描いてしまったんだろうな」という気持ちで描きました。
ー通常のアニメと違うという点では、背景美術もそうですよね。本編の背景美術は独特なタッチになっています。一方、劇中の書籍に描かれている背景美術については、レジェンドクリエイターたちが担当していて、こちらは僕らが見慣れた「アニメの背景美術」になっている。この逆転がおもしろかったです。
押山 キャラクターだけじゃなく背景美術にも、「漫画の背景」を想起させるエッセンスを取り入れたいと思ったんです。アニメの背景って通常は絵の具で仕上げるものなんですけど、そこに線画で描かれる「漫画の背景」ならではのタッチを可能な限り加えています。そしてハリコミの背景美術に関しては、まさしくアニメ界を代表するレジェンドの方々に描いて欲しいと考え、最低限のリクエストだけ伝えた上で「いつもの背景美術の感じで描いてください」と、好きなように描いてもらいました。いい感じで本編の背景と差別化できたと思います。
ー背景といえば、「ルックバック」には具体的な地名や実在する施設が出てくるほか、藤本さんの出身地である秋田県にかほ市をモデルとしたと思われるシーンもありますよね。
押山 本当はロケハンしたかったんですけど、残念ながらできませんでした。ただ、原作通り実在の地名は使用していますが、実在の場所をリアルに再現しようとはしていません。山形の芸術工科大学をモデルとした箇所も学校名を使用していなかったり建物や廊下などデザインから変えています。あまりに現実に寄せてしまうと、絵による表現やフィクションの魅力を損なうと思い、僕の基準で現実と差別化しています。リアルを突き詰めると、藤野の家の住所までバレてしまいますからね。そういう作品にはしたくなかったんです。
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
©藤本タツキ/集英社 ©2024「ルックバック」製作委員会
原作と異なる新たな設定や追加シーン
ー「ルックバック」は押山監督にとって、これまで手がけてきた中で最も大規模な作品だと思います。本作を監督するにあたり、何かしらリファレンスやベンチマークとなる作品などはありましたか?
押山 これといった作品はないですが、シーン単位で見れば参考にした作品はたくさんあります。特に洋画のエッセンスは結構随所に取り入れていますね。今回、原作に付け加えた設定として「藤野が映画好き」っていうものがあるんですよ。
ー藤野はいろんな映画のポスターを部屋の壁に貼っていますよね。季節ごとにポスターが変わっていくのもおもしろかったです。
押山 映画って漫画と違い画面が横に広いので、画面の左右の空間をどう使うかが重要になるんです。そうした漫画と映画の違いが現れる藤野の背中を見せる象徴的なアングルで、漫画には描かれない空間に藤野のキャラクター性を強化できる「映画好き」という設定を取り入れました。藤本さんも映画好きなので、重なる部分もありますしね。
ー藤野が持っている物語を作る能力と、「映画好き」という設定が通じてくるわけですね。
押山 藤本さん自身も漫画執筆に映画のエッセンスを取り入れていますし、僕もそれと同じようなことを映画版でやろうと考えたというのもあります。
ー映画版では他にも、藤野が漫画家デビューして間もない頃の部屋が新たに設定されていたり、『シャークキック』に空手の経験が活きていることがわかる絵が用意されていたりと、原作よりもリアリティーのレベルが上がっているように感じました。
押山 映像にすると、あらゆる意味で解像度が上がってしまうのと、隅々まで絵である以上、実写のように偶然的に画面に映りこむ奇跡は起こりにくいんです。作り手の意識次第でリアリティも奥行きもない世界になってしまいやすい。原作として「0から1」を生み出す時には様々な理由で作り込むことができなかった部分があると思いますが、映像化は「1から100」にできる魅力があると思います。それに、漫画原作で分かりづらい部分って、見せ方を強制してしまう映像ではそれよりもずっと分かりやすくしないと伝わらないんですよ。多くの人が一回観ただけである程度分かってもらえるぐらいにはハードルを下げておかないと、エンタメとしては成立しないと思って、そこは意識しながら作りましたね。
ー原作になかった要素としては、漫画家になった藤野が担当編集者と電話しているシーンが印象的でした。漫画では無音でしたが、映画版ではしっかりとセリフが用意されていますよね。
押山 あのシーンでは、一人で漫画を描いている藤野を「どこか不完全な存在」として描きたかったんです。藤野と京本は成長と共に歩む道が分かれていきましたが、本来はお互いの足りない部分を埋め合いながら、一つのペンネームを持つ漫画家になっていた。ジャンプで連載してアニメ化まで持っていったことで、藤野は客観的には成功している漫画家になったけれども、彼女自身は満たされている感じがしない。欠けた京本の存在をずっと引きずっていて、いつまでも京本の代わりとなるパートナーは現れない、ということを強調したかったんです。そのために、編集者にアシスタントへの不満を吐露しているという状況を作りました。
ー音楽についても伺いたいのですが、今回の劇伴と主題歌はどのようにディレクションされましたか?
押山 セリフが少なく背中で語りかけてくる原作ですが、映画館に縛りつけるからには、あらゆる方向で「観客に寄り添っていく映画」を作らなければならないと思い、音楽のウエイトが高い作品になることは最初からわかっていました。だから、音響監督の木村さんと一緒に「ここからここまでは、こういう音楽」とか「ここでちゃんと盛り上がって、このタイミングでアクセントを使ってください」といった、細かい点までオーダーさせてもらいました。音楽が重要な作品ということで、なるべく映像とシンクロする形で音楽をハメたかったんです。haruka nakamuraさんの音楽にはミュートピアノを使った繊細なエモーションを感じさせる魅力を感じていて、物語の感情に寄り添う音楽ということと、アニメーション表現に合わせて曲のキャラクターをハッキリとしたわかりやすいものにしてくださいとオーダーしました。セリフがなくても藤野の感情が伝わってくる素晴らしい音楽を作ってくれました。uraraさんが歌う主題歌「Light song」に関しては、多くの意味を内包する難しいオーダーを音楽にしてくださったと思います。
押山清高
1982年生まれ、福島県出身。株式会社ドリアン代表。2017年に永野優希とともにスタジオドリアンを設立。監督作品に『フリップフラッパーズ』(2016年)、主要スタッフを務めた作品に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)、『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)、『鋼の錬金術師 嘆きの丘(ミロス)の聖なる星』(2011年)、『風立ちぬ』(2013年)、『DEVILMAN crybaby』(2018年)、『フリクリ オルタナ』(2018年)、『フリクリ プログレ』(2018年)がある。第96回アカデミー賞で長編アニメーション賞を受賞した『君たちはどう生きるか』(2023年)には原画スタッフの一員として参加した。「ルックバック」は劇場アニメ初監督作となる。また、「スタジオドリアン添削室」でイラストの添削やインターネットコミュニティの「アトリエドリアン」を運営する。
劇場アニメ「ルックバック」
Amazon Prime Videoで世界独占配信中
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0DH2CBHJ7/ref=atv_dp_share_cu_r
原作:藤本タツキ「ルックバック」(集英社ジャンプコミックス刊)
出演:河合優実(藤野役)、吉田美月喜(京本役)
監督·脚本·キャラクターデザイン:押山清高
美術監督:さめしまきよし
美術監督補佐:針粼義士·大森崇
色彩設計:楠本麻耶
撮影監督:出水田和人
編集:廣瀬清志
音響監督:木村絵理子
音楽:haruka nakamura
主題歌:「Light song」by haruka nakamura うた:urara
アニメーション制作:スタジオドリアン