百田尚樹「"子宮摘出"発言」どれほどヤバすぎたか
「ええ言うてるんちゃうで」と前置きしながら発言する百田尚樹氏(画像:YouTube番組「ニュースあさ8時!」より)
作家で日本保守党代表の百田尚樹氏の発言が、またもや物議を醸している。
百田氏は11月8日にYouTube番組の中で少子化対策について議論した際に、「女性は18歳から大学に行かせない」「25歳を超えて独身の場合は結婚できない法律にする」「(女性は)30(歳)超えたら子宮摘出する」といった発言を行ったのだ。
当然のことながら、これら一連の発言は大きな批判を浴びた。
翌9日に、百田氏は自身のXアカウントとYouTubeで謝罪を行うと同時に、メディアの取材に対しても謝罪を行った。
百田氏は、自身の発言は「SFである」「(これくらい無茶苦茶な)構造変化が必要である(といった、たとえ)」という前提だと断りを入れていたが、はたして「フィクション」であれば許される発言だったのだろうか。
百田氏発言を評価する「2つの視点」
百田氏の発言が許されるか否かについては、2つのレベルがあるように思う。
1: 発言自体に問題があるのか?
2: フィクションであること前提とした発言であれば問題はないのか?
百田氏の発言が、本音であれば問題であるということは、百田氏自身も認めている。だからこそ、百田氏は不適切な発言であったことを認めて謝罪をしたのであろう。
しかしながら、百田氏は当該発言が「SF」として発言をしたということを再三強調し、メディアが発言の一部を切り取ったことを批判もしている。
私の例の発言に対して取材した10社以上のメディアの記者の中で、私の発言の元動画(わずか3分)を見ていた人は1人もいなかった。 全員、悪意ある「切り取り」の発信を見て取材に来たのだった。(百田尚樹氏のXへのポストより)
報道陣に「私の発言の全文を見た人いますか?」と問いかける百田尚樹氏(画像:本人の公式Xより)
たしかに、問題の動画の中でも「これはええ言うてるんちゃうで」ということを繰り返し、「SF」として発言しているという断りも入っている。
発言に対するメディアの「切り取り」は、誤認や誤解を招くことも多く、問題が多いことは事実だ。しかしながら、現状ではそれを止めることはできない。公に情報発信する際は、切り取られても誤解を招かないように配慮しながら発言する必要がある。
百田氏の発言は、刺激的な用語や言い回しが多いので、切り取られやすいという側面があるのだが、多くの場合、百田氏自身もそれを前提として確信犯で発言を行っているようにも見える。
切り取りの件はさておき、あくまでも「フィクション」として語ったのであれば、問題はないのだろうか?
「島耕作」で物議を醸した描写
近しいケースとしては、今年の10月17日に講談社から発売されたマンガ雑誌『モーニング』に掲載された『社外取締役 島耕作』の描写が問題になり、講談社が謝罪に追い込まれた事件がある。
本作の中で、沖縄県の辺野古の米軍基地建設の反対運動について、登場人物の女性が「抗議する側もアルバイトでやっている人がたくさんいますよ。私も一日いくらの日当で雇われたことがありました」と発言しているが、デマを事実のように語っているという点が問題視されたのだ。
念のために補足しておくと、筆者は沖縄に4年間住んでおり、辺野古には2度行き、基地問題についても調べたことはあるが、反対運動をしている人がお金で雇われているという事実は確認できなかった。「ない」とは断言できないが、デマの可能性が高いと理解している。
本件について、「フィクションなのだから(作中人物の発言は)問題はない」「表現の自由だ」という意見もあったのだが、作者と講談社は謝罪をして、単行本化の際に内容を修正するという方針を示している。
筆者としては、フィクションであったとしても、風説の流布をしかねないような表現は好ましくないため、謝罪と表現の訂正は妥当な判断だったと考えている。
政治性は薄いのだが、2013年に村上春樹氏が『文藝春秋』に発表した短編小説『ドライブ・マイ・カー』の文中の表現が問題視されたことがあった。
小さく短く息をつき、火のついた煙草をそのまま窓の外に弾いて捨てた。たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう。(村上春樹『ドライブ・マイ・カー』より)
中頓別は北海道の実在の町だが、これに対して、中頓別町の町会議員、宮崎泰宗氏から「偏見と誤解が広がる」という抗議が出された。これを受けて、単行本では、町名は「上十二滝町」という架空の町名に改められている。
村上氏の小説の表現は、「深刻な問題」とまでは言えないと思うが、それでも修正を行ったことを考えると、「フィクションだから何を言ってもよい」ということにはならないだろう。
「百田氏発言」の解釈の難しさ
百田尚樹氏は、小説家でもあり、日本保守党の党首、すなわち政治家でもあるという点が、微妙なところである。
このたびの百田氏の発言は、政治家としての発言であることを考えると、単純な「創作物」として捉えることもできない。
もう1つ、参考になりそうな事例がある。少し古くなるが、2017年に作家の筒井康隆氏が、慰安婦少女の像に対して性的な侮辱をするような投稿をTwitterに行って物議を醸した件だ。
この投稿により、筒井氏の作品が韓国で出版停止になるに至った。そして日本でも激しい批判を浴びることとなった。筒井氏は謝罪してはいないが、投稿は削除したようだ(筒井氏本人は、「ツイッター社が不表示にしたらしい」と述べているが)。
筒井氏はこれまでも不謹慎な内容の小説を多々発表しており、投稿にも政治的なメッセージ性はない「フィクション」と捉えられたため、擁護的な意見も少なからず見られたし、筒井氏本人へのイメージダウンも比較的軽微なものにとどまった。
その後、筒井氏の作品はTikTokで再度注目され、時代を先取りする作家として再評価されるに至っている。
百田氏のホンネが透けて見えてしまっていた
一方で百田氏の場合は、政治家でもあるし、作家時代から保守派としての発言を繰り返してきたし、今回の発言は少子高齢化に対する対策を議論する中で出てきた発言だ。フィクションとして語ったとしても、百田氏の政治的な思想と切り離して捉えることは難しい。
もし百田氏が、このまま少子高齢化が極限まで進行した日本社会をディストピア的に語ったとしたら、ここまで問題にはなかっただろう。
百田氏の発言は、彼のホンネが透けて見えてしまっていた――少なくとも、視聴者の多くにはそのように見えてしまった。
例によって、当該発言を行った動画は削除されていない。本当に「発言が間違っていた」と思うのであれば、投稿は削除するはずである。百田氏の説明から推測すると、「発言には問題があったが、SFとして語っているから、削除までする必要はない」といったところだろうか。
トランプ氏は大統領に返り咲くことができたが、日本では、極端な発言をする政治家がアメリカほど支持を集めることはないだろう。
(西山 守 : マーケティングコンサルタント、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授)