大手銀行員が借金地獄→破産寸前に…デパ地下の試食がご馳走の「超極貧生活」に転落した裏側【資産数億円の元メガバンカーの実話】

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知識次第でお金持ちになれるのならば、銀行員は全員お金持ちになっているはずだが、そうではない。そう語るのは、『新版いますぐ妻を社長にしなさい』(フォレスト出版)の著者・坂下仁氏です。元メガバンカーの坂下氏は株式取引における失敗により、借金地獄・極貧生活を経験しました。今回は書籍の一部を抜粋・編集し、当時のリアルな状況をご紹介します。

「お金のプロ」だって簡単に借金まみれになる

私は40歳を過ぎた頃に借金地獄に陥ったことがあります。その経験を通して私が学んだこと、それは「知識だけではお金持ちになれない」ということでした。もし、知識次第でお金持ちになれるのであれば、「お金のプロ」といわれる銀行員はみんなお金持ちになっているはずです。

しかし、お金持ちの銀行員を私は見たことがありません。むしろ、中途半端に金融商品やマーケットの知識に長けている分だけ、銀行員は経済的に自由になれない宿命にある、といったほうがいいでしょう。

そんな銀行員を地で行ったような男。それが私でした。当時の私は三大メガバンクのM銀行に勤める幹部行員で、「お金のプロ」のはしくれでした。30年近くにわたって、数百もの企業へのコンサルティング・財務指導・融資を手がけ、あまたの個人客に資産運用のアドバイスをしてきました。

もちろん数多くの企業・個人の成功例や破綻事例も目の当たりにしていますし、税務や財務、宅建をはじめとして、銀行・証券・保険にまたがるあらゆる資格も持っています。それなのに、私は経済的に自由になるどころか、金融知識とノウハウを総動員した結果、借金地獄に陥り、破産寸前にまで追い込まれてしまったのです。

素人が簡単に株で儲けられる時期が一番危ない

忘れもしない、2004年頃。「いずれ日本の経済は破綻する、財政も破綻する、年金も破綻する」という報道が新聞やテレビをにぎわすようになりました。

有名人が年金の掛金を支払っていなかったことも発覚し、芋づる式に政治家の年金未納が明るみに出る事態へと発展。社会保険庁(当時)のずさんな年金管理実態も次々と明らかになり、増えつづける国の財政赤字への不安は増すばかりでした。

評論家やコメンテーターも、追い討ちをかけるように繰り返し真顔で「破綻」を叫び続け、私は心底「まずい!」と震え上がりました。あおられて怖気づいてしまった小心者の私は必死に逃げ道を探しました。そんなとき、株で稼いでいた同僚の一人から、不動産関連株式への投資を勧められたのです。

たしかに、このまま普通に働くだけではラチがあきません。幸い、私は豊富な金融知識を持った銀行員です。まさに、日頃の財務分析や投資分析で鍛え上げた知識と経験を活かす絶好の機会です。自分にだって一財産築けるはずだ、と思ったのです。

こうして、株式投資に関する本やセミナーからむさぼるようにノウハウを吸収し、万全の態勢で勝負に打って出たのでした。しかし、いま考えると本当に恐ろしいことをやっていました。

最初のうちは連戦連勝で、面白いように儲けが膨らみました。しかし、これは私だけに限ったことではなかったのです。

この当時はマーケット全体が右肩上がりだったので、ずぶの素人でも簡単に株で儲けられた時期でした。それなのに、私はこれを自分の実力だと勘違いしてしまいました。調子に乗り、もっと手っ取り早く儲けてやろうと、より大きな取引にまで手を出してしまったのです。

株で儲けることは、プロでも無理な芸当

浮かれ気分は長くは続きません。なんと、2006年1月のライブドア・ショックをきっかけに新興株式市場がスルスルと値を下げ始めたのです。すっかり天狗になっていた私は、一時的な値下がりだと高をくくっていました。致命的な判断ミスです。

そこからは坂道を転がるように、信用取引の損失が拡大。順調に貯まりつづけていた私の貯金はあっという間に0になり、そこからさらにとんでもない額の借金へと膨れ上がっていったのです。当時、私の目は完全に曇りきっていました。知識とノウハウを駆使すれば、株で大儲けできると思い込んでいたのです。

その状態で、過去の市場データや専門家のコメント、新聞やテレビの報道だけを頼りに、無謀な財テクに走っていました。「お金のプロ」と思われがちな銀行員ですが、実際はただのサラリーマン。

劇的に資産を増やすノウハウを持っているわけでも、ましてや株の必勝法を知っているわけでもありません。銀行員だって当然のように借金地獄に陥ることがあるのです。

銀行員が体験した「お金のない生活」の恐怖

こうして、安易な蓄財を決意してからわずか数年で、なけなしの財産どころか妻の持参金までも使い果たし、私は莫大な借金を抱える身に転落してしまいました。親のために建てた家の借金返済にも行きづまり、親の年金を拝借して借金返済に回すという本末転倒なありさまです。

親父は呆れ果てながらも、そんな私の行く末を案じ、失意のうちにこの世を去っていきました。当然の報いですが、爪に火を点す節約生活が始まりました。食料品は賞味期限ギリギリの見切り品専門激安店でしか買いません。野菜売り場のダンボール箱に捨ててあるキャベツの外側の葉っぱは無料でもらえます。1尾30円のサンマは何よりのごちそうでした。

身にまとうのはフリーマーケットで見つけた総額300円の服。歯磨き粉は、チューブを絞りきった後にハサミで切り開き、内側に残ったものを歯ブラシにこすり付けて完全に使いきっていました。

私は昔から見栄っ張りで、スーパーやデパ地下で試食したら、必ずその品を買っていたものでした。でも、当時の私にとってデパ地下での試食はお誕生日のごちそうのようなもの。ひと回りすると腹八分になるので、買う必要もありません。

恥ずかしげもなく試食する私の姿を見た妻は「人って、ここまで変われるものなんだ……」と、呆れながらも感心しきりでした。しかし、何よりも衝撃的だったのは妻の変ぼうぶりでした。

私の妻のライフワークはファッションで、こぎれいな身だしなみが信条でした。その妻が、生活費を切り詰めたあげくにサンプル化粧品をかき集めて使い始めたときには、さしもの私も度肝を抜かれました。荒れ放題の彼女の素肌を見る度に、自らの所業の罪深さを悔いるのでした。妻から離縁状を叩きつけられなかったのが不思議なくらいです。こんな無様な姿は他人には見せられません。

メガバンクの幹部行員という私の立場上、万が一会社にバレようものなら大変です。まさに、身ぐるみはがされて全裸のままで真冬のシベリアに放り出されたような、寒々しい恐怖感でした。血も凍るようなあの感覚は一生忘れることはないでしょう。

お金を手に入れるとどう生活は変わるのか

しかし、それから5年で、私たちの生活は様変わりしました。当時、私は妻に100万円の宝石を3つプレゼントしたのですが、そのすべてが衝動買いだったのです。以前の私は、フリーマーケットで300円のシャツを吟味して、100円まで値切ったあげく買う決断ができなかった男です。

その男が、5年後には、妻を喜ばせたい一心で宝石を衝動買いしてしまっている。当時の極貧生活に懐かしさすら覚えてしまうほど、私たちの日常は平穏です。隔世の感という言葉は、このことをいうのかもしれません。

これほどまでに私たちの生活が変化したのは、手許にたえず富が流れ込んでくるようになったからです。経済的に自由になったことで、私たちの生活は物理的にも精神的にも一変しました。経済的に自由になると、数々の「制約」から解放されます。

経済的に自由になると、ストレスや負担を感じず、自分のやりたいことを心から楽しめるようになります。さらに、資金繰りや金策のようなストレス、病気や失業といった将来への不安などからも解放されるので、精神的にもゆとりが生まれます。精神的にゆとりが生まれると相手のことを思いやる余裕ができるので、夫婦ゲンカがなくなります。


たった5年間でこんなに劇的な変化を遂げることができた理由は、どん底に突き落とされて「お金の正体」に気づくことができたから。そして、そこから導き出した「妻を社長にする」という方法を実践したからです。

ざっくりいうと、私がサラリーマンを続けながら、夫婦でプライベートカンパニー(自分法人)をつくり、それまで主婦をしていた妻に社長に就いてもらいました。そして、法人ならではの節税メリットをフル活用したのです。そんなシンプルな方法で、借金地獄から抜け出せたのです。

坂下仁

お金のソムリエ協会会長

※本記事は『新版いますぐ妻を社長にしなさい』(フォレスト出版)の一部を抜粋し、THE GOLD ONLINE編集部が本文を一部改変しております。このメソッドによる結果に編集部は一切責任を負いません。自らの判断と責任により行っていただきますようお願いいたします。