知的障害を持つ自閉症の娘さんとの生活の様子をブログで発信しているブロガーの桜井奈々さん。手が繋げない、ベビーカーにも乗れない娘さんとスーパーに買い物に行くことすらままならず、日常生活が次第に崩壊していきます。(全3回中の1回)

【写真】「暗黒の日々」と語る知的障がいの診断が出る前の娘さんの写真(全14枚)

診断名がつくまでは「暗黒の日々」だった

生後2か月の頃。とにかく手のかからない赤ちゃんだった

── 娘さんの障害がわかった経緯について教えてください。

桜井さん:最初は1歳半の集団検診のときです。検診ではいろいろなブースを巡るんですけど、回っていくうちに名前を呼ばれるのが最後になっていき。「なんでだろう?」と思っていたんです。でも最後に残されて、医師から「発達の遅れの様子を見る必要がある」と言われました。

── 発育に関してお母さんからも気になる点はあったのですか?

桜井さん:実は薄々感じていたんです。赤ちゃんなのに、あまり泣かず良く寝る子で感情的な反応が少ないというか人に関心がない様子もあり、1歳半まで全然、手がかからなかったので。何か違うなと(笑)。周りの子を見て、娘は圧倒的に何もできないなって。母子手帳に発育のチェック項目があるのですが、できないことが多くて、ほとんど「いいえ」に丸をしていました。

さらに集団検診でのこともあったので「決定的に何かあるんだな」と思いました。私は何か問題があれば早く知りたいし、ズバッと言ってもらいたいので「娘には障害があるんですか?」と聞いたのですが、明言はしてくれませんでした。あとから考えたら「きちんと検査をおこなったうえで」ということだったと思いますが、「まだなんとも申し上げられません。とりあえず様子を見てください」とだけ告げられました。だから、こちらはどうしたらいいのかわからず、ただ困惑するだけでした。

──「どこの病院で検査を受けるように」など、保健師さんから具体的な指導はあったのでしょうか?

桜井さん:いや、それが何もなくて。「とりあえず様子を見てください」と。発育に対して気になる点があると指摘はしてくださるんですけど、その後のフォロー体制がないというか。当時はそこそこ大きい都市に住んでいたんですが、「市内で診られる病院がないので、ご自身で病院を探してください」と、突然荒波に投げ出された感じでしたね(笑)。

厳密に言うとまったくないわけではなくて、発育に気になるところがある親子向けのグループの集いが月1回程度ありました。でも、定員は5人で、空きはありませんでしたから、もはやないに等しい感じで。「そういう場に参加したいなら、民間のものを探してください」と言われました。そもそも娘がどういう状態なのかもわからないのに、「自分で調べてください」「また半年、1年後にフォローアップに来てください」と言われて。「その間はずっと待つだけですか?」と聞くと「そうですね」と。初めての子育てでただでさえ右も左もわからないのに、不安だけ煽られて放置されたみたいで、途方に暮れました。

「あー、これが現実か。これが世の中なのか」って。指摘するならフォローしてくれるだろうと期待してしまった、自分の世間知らずを痛感しました。くよくよしてばかりいられないので、近隣の市で病院の予約を取ろうとしたのですが、受診は最短で半年後と言われてしまいました。

1歳3か月。動き出したら後を追いかける毎日が始まった

赤ちゃんのころは寝ているだけで手がかからなかった娘が、1歳半を過ぎて歩き始めてからはどんどん大変になってしまい。手が繋げない、コミュニケーションがとれない、じっとしていられない。10歳くらいまで本当に大変でした。拘束されるものはすべて嫌がるので、私ひとりではどこにも連れて行けなかったんです。抱っこしようにもえび反りになるし、ベビーカーにも座っていられないから、スーパーにすら行けません。もう日常生活が崩壊しました(笑)。

そんな子育てが始まると、孤立するというか、もう「闇」でしたね。週末などに、ほかの家族連れを見るのが嫌で、つらくなってしまう。家で娘と2人だけなら比較するものはありませんが、外のご家族を見てしまうと別世界。ママ友なんかできる暇もなく、ベビー雑誌を読んでは「月齢でできることが娘と違う…」と落ち込んだり。最終的に、娘が2歳10か月のときに医師から知的障害ありの「広汎性発達障害」と診断がつきました。

── ようやく診断が告げられたときのお気持ちはいかがでしたか?

桜井さん:やっと診断が出たと、すっきりしました。ホッとしたところが正直大きかったです。それまで娘のことで育て方の問題なのかと悩んだりもしたし、外出先で白い目で見られることも多くて。同じ月齢の子とようすが違うので、「親の教育ができていない」という目で周りから見られたりすることもしょっちゅうでしたから。診断がつかず、グレーの状態というのは本当に地獄でした。私自身も方向性をつかめず、娘とどう接していいのかわからない状態でしたから。育て方の問題ではないとわかり、救われました。

入園で障害児育児の現実を突きつけられた

2歳。実年齢より幼く見られることが多かった

── 幼稚園の入園を検討するとき、ご苦労なさったそうですね。

桜井さん:通わせたい幼稚園の候補が2つあり、プレスクールに通っていました。娘は周りのやることを真似するところがあったので、ほかのお子さんたちと同じことはやれていました。なので、こちらが申し出ない限り、先生は娘の障害に気づかなかっただろうと思います。でも、これからお世話になる園だから、正式に入園する前に先生に伝えておこうとしたら、その場で「じゃあうちは無理です」と断られました。

過去に同じような障害を持つお子さんが入園しトラブルが絶えなかったそうで…。ただ幼稚園としての立場もわかるので感情の板挟みになってしまい、つらかったです。障害を持っていても全員がトラブルを起こすわけではないですし、偏見ってこういうことかと。社会における障害児の現実を突きつけられた最初の出来事でした。

努力がたりず園に落ちたわけじゃない。ましてや、プレスクールにも問題なく通っていたのにと思うと、悲しくて。さらにそのとき「障害がある人は障害のある人の中でしか生きていかないから、親のエゴで健常児の中に入れる必要はないですよ」と言われて。その言葉を聞いて凍りついてしまって「私の思いは親のエゴだったのかな」と。親として、健常児の中で娘にできることがあったら一緒にやりたいなと思うことがエゴだったのかと。気持ちがズタズタになりました。

カメラ目線で写真を撮るのが難しい…

── 幼稚園から入園を断られてしまったことはショックですね。その後は、どうなさったのですか?

桜井さん:結局、申し込み期限ギリギリになって、知人が先生をしている隣の市の幼稚園に受け入れてもらうことができました。チャイルドシートに座らせるのが難しくて、通園するのもひと苦労でした。

── 幼稚園での娘さんの様子はいかがでしたか?

桜井さん:入園時はオムツがとれていなかったのですが、入園前に相談したら「オムツのままで入園して大丈夫ですよ」と言っていただき入園しました。園ではみんなでトイレに行く時間があり、なんと、入園1週間でオムツがとれました。娘は聴覚より視覚優位で、本人が見て納得したことはスムーズにいくところがあるので、幼稚園に行かせてよかったなと思えた出来事でした。ほかのお子さんの様子を自分の目で見られたからこそできたことだと思います。集団の力ってすごいと実感しました。

とはいえ、いろいろなことでつまずくことがあり、娘につき合って一喜一憂する日々が続きました。運動会も大変で。連れていってもまったく動けず。出番のときは抱えて連れて行きましたが、集中力もきれてしまい、演目にはあまり参加せず終わりました。「当日頑張って行っただけエライ!」と思いたかったですが、周囲は楽しそうに運動会に参加している光景が悲しく、グランドの隅で大号泣でした(笑)。私に余裕がなかったのだと思います。「みんなできているのにうちだけできない」と思い悩み、ものすごい孤立感でした。

── ときには健常児と同じに足並みをそろえないといけないというのは大変ですね。

桜井さん:幼稚園、小学校、中学校でもそれはありましたね。先生方が普段はハードルを下げてくれていても、何かするときは「普通」を求められるという場面は多いです。印象としては、特に中学生以降はその場面がかなり多いように思いました。

桜井奈々さん

PROFILE 桜井奈々さん

さくらい・なな。ブロガー。1982年10月24日生まれ。東京都出身。18歳の知的障害のある自閉症の娘と6歳男児のママ。障害ある子供の子育てを通して親なき後のために一人でも多くの支援者、協力者が必要と感じAmebaでブログを開設し、日々の子育ての様子を発信中。Amebaでブログのフォロワー数は12万人。

取材・文/加藤文惠 写真提供/桜井奈々