私たちが今、真剣に考えるべきことは「いかに情報を得るか」ではなく、「いかに情報を捨てるか」ではないでしょうか(写真:zon/PIXTA)

現代人が1日に浴びる情報量は、おおよそ江戸時代の1年分、平安時代の一生分といわれています。情報が増えすぎたことで、必要な情報にたどりつけない、ニセ情報に騙される、そんな事態が容易に生じうる時代だからこそ、私たちが今、真剣に考えるべきことは、「いかに情報を得るか」ではなく、「いかに情報を捨てるか」ではないでしょうか──。

トヨタ、TBS、アクセンチュア出身の戦略コンサルタントで、データサイエンティストでもある山本大平氏の新刊『消耗せずに成果が出る「情報の捨て方」』より、私たちを消耗させる99%の情報を捨て、その先の1%に集中するコツを紹介します。

共感情報に浸ると人間はバカになる

みなさんは「共感」という言葉をどのように捉えていますか? ポジティブな言葉として捉えていますか? それともネガティブな言葉として捉えていますか?

「あの上司の言うことには共感できる」「友人の意見に共感した」「その本の内容に共感する」。誰かの話を聞いて「共感しました!」、あるいは「共感してもらえてうれしかった」といったようなセリフを耳にすることがよくありますが、私はこの「共感情報」に浸っていると人間はどんどんバカになると思っています。

もっともここでいう「情報」とは、「日々の自分の行動の指針となるもの」、あるいは「自分が最適な判断を下すための材料」と定義しています。

そのため、「共感している状態」は自身の思考力も洞察力も停止している状態とネガティブに捉えています。つまり、共感が多い環境は自己成長できない環境ということです。

「共感」という言葉は、少し視点を変えれば「私が考えていたことに合致することを、あなたは言った」と、自分の考えの正しさを確認するための言葉ともいえます。

思考力を鍛えるために必要なこと

それでは、なぜ「共感」ばかりしていると思考力が低下し、成長が阻害されてしまうのでしょうか。

それは、人が一番成長するのは「何これ?」「よくわからない……」という、自分が理解できないモノに出合ったときだから。得体の知れないものや、理解が及ばないことに対して「なぜ?」と考えを巡らせることで、思考力が鍛えられ、成長していきます。

一方、「共感」は、自分の中にあるものとの共鳴にすぎません。「共感」している間は、人は「これまでの考えの域」を出ないのです。それゆえに、共感できるものばかりを求めていると洞察力は鍛えられず、自身の成長も鈍化してしまいます。

ここからいえることは2つあります。

まず1つ目。思考力を鍛えたいなら、「日頃、自分は“共感できるもの”とばかり接していないか?」、あるいは「『共感』を情報収集する際の判断基準にしていないか?」と、自問自答してみることです。

耳障りのいいことばかり言ってくれる上司や部下、あるいはコンサルに依存していませんか? 自分の意見と似たようなことばかりを受け入れてはいませんか? それにより「わかったつもり」になっていませんか?

「共感できるもの≒心地のよいもの」と接してばかりいると、自分自身の脳に汗をかいて考えることをしなくなります。自分の中で「共感インフレ」が起こっていないかと、普段から「自分チェック」をすることが必要です。

何かにつけて「共感した」と言いたがる人は、何を聞いても共感しようとするクセがついています。本当は「得体が知れないもの」「理解が及ばないこと」なのに、それを適当に自分の共感領域に合致させ「わかったつもり」になっていませんか?

これの何が危険かというと、「物事を歪曲して捉えるクセ」から抜け出せなくなることです。いつでもフラットに誰かの意見を聞けていますか? 無意識のうちに自分の都合の良いような解釈をしてしまっていませんか?

共感癖のある人は否定癖のある人と同様に、フラットに話を聞けず、自己肯定を優先して共感してしまうため、物事の本質を自力でつかめない人間になってしまいます。

そして、そのうち不要な情報と適切な情報の取捨選択すらできなくなってしまいます。そのため、共感基軸で判断をしていると人間はバカになってしまうのです。

それでも、人はみな共感したいし、共感されたい生き物。「うん、うん、わかるよ」という態度は、お互いに安心感を生みます。だからこそ「共感ビジネス」があふれているのですが、「共感」には上述したような思考力低下という落とし穴があることも覚えておくべきです。 

大切な人が悲しんでいたら一緒に悲しむ。喜んでいたら一緒に喜ぶ。プライベートなら問題ありません。しかし、仕事や学びの場でどんな情報でも自分の共感領域に引き寄せてしまうことは、「本当の意味での共感」とはまったく別のことなのです。

「一緒に考えてほしい」は失敗のもと

では、私たちはどのように思考すればよいのでしょうか?

企業が問題解決に行き詰まると、経営コンサルタントに頼ることがあります。弊社の仕事も、外部の知見や発想を必要とする企業があるから成り立っています。

しかし、本音はコンサルを必要としない世の中であってほしいのです。なぜなら、私自身は事業会社を経てからコンサルタントになっており、特に最初にいた会社が「とにかく自分でなんとかする」というスタンスの会社だったので、コンサルになるまでは(なってからも)、コンサルビジネスには懐疑的だからです(笑)。

本当はすべての企業が自ら課題を見つけ、自ら解決策を見出せることができれば、それに越したことはない、と考えています。

そして、この「誰かに頼る」は、企業の問題解決だけに限ったことではありません。

世の中には、個人の悩みや自己啓発、キャリア相談、資産形成、ビジネス戦略など、さまざまな分野でコンサルタントが存在します。悩みの種類だけコンサルもいて、そういったビジネスが成り立っているという事実を踏まえると、それだけ多くの方々が、誰かに悩みを解決してほしいと思っているとも言い換えられます。

そういった種々のコンサルに頼るなとは言いませんが、コンサルに頼るとしても、「まずは自分の頭で考えること」を放棄してはいけないと思うのです。

例えば、「コンサルを雇ったから安心」と考えるのは、「医者にかかったから安心」と同義です。それでは人生の舵を他人に渡すことになりますから。成長著しいクライアントほど、コンサルの提案を鵜呑みにしないものです。

何にでも言えることですが、決断し実行するのは「自分自身」だということです。弊社の仕事では「私たちはこう考えています。あなたならどう考えますか?」と聞いてくださるクライアントもいますが、この順序があるべき姿ではないでしょうか。

まずは自分たちで考えてみる。そしてそのうえで誰かの意見を聞いて、適切な情報をアップデートし、また考える。

そしてその情報の定義は、いわずもがな、知識になる情報ではなく、知恵となった洞察のある情報です。それが仕事や学びの場での「情報の捨て方」ではないでしょうか。

逆に、考えもせずに丸投げする企業は、どんなに成果を出してきたコンサルを雇ったとしても必ず失敗に終わります。なので、個人が他者の意見を求める際にも、「まず自分で考える」、つまり「コンサルを捨てる」が鉄則だと考えています。

「まず自分で考える」練習を

課題解決の際の思考法として重要なことは、次の2つです。 

まず、「WHY(なぜ)フェーズ」と「HOW(どうやって)フェーズ」を分けて考えること。ある問題の真因を特定するのが「WHYフェーズ」、解決策を考えるのが「HOWフェーズ」と捉えてください。 

みなさんは問題解決するにあたって、この2つのフェーズを明確に区分できていますか? 

例えば、話が噛み合わない会議は、9割方、このフェーズ固定がないまま会議が進行されています。WHYの話とHOWの話がごちゃ混ぜで議論されているのですから、不毛な会議になるのは必然です。

この話をシンプルにするために、例を挙げて説明しましょう。隣の人に「鉛筆、貸して?」と言われたとします。しかし、あなたは鉛筆を持っていません。

ここで、「ごめんなさい、鉛筆はありません」と答える人は、目的の本質を捉えていません。なぜ「鉛筆を貸して?」なのか。真因は「書くものを持っていないから」です。そのため、「鉛筆がないのでボールペンでもいいですか?」と応えられれば、相手の目的を達成できるかもしれません。

表面的な要求(=HOW)にとらわれず、その背後にある本質的な目的(=WHY)を理解した状態で、あなたなりのHOWを提案する必要があります。これらの所作が難解な課題でもできるようになってくると、思考の質が格段に上がっていきます。

最近の生成AIブームを考えてみましょう。当社でも「最新の生成AIを導入したい」(=HOW)というクライアントからの依頼が増えています。

多くの場合、その目的は「効率化」です。さらに突き詰めると、「原価低減」や「人件費の削減」が真の目的(=WHY)です。では、生成AIの導入が必ずしも効率化を達成するかというと、そうではありません。

たとえ導入したとしても、そのソフトやシステムを使いこなせる人材が少ない場合は、その分当初よりコストが膨らみます。特に、技術的なノウハウが必要になる場合、永遠にそのコストを圧縮できない状態に陥ります。

そしてこの生成AI活用術のブームが過ぎ去ったら(細かいノウハウを必要としない技術が追加されたら)、かけた予算は水の泡です。そしてその時代はすぐそこまで来ています。

この場合は、AIのアルゴリズムを経営陣が理解する必要があります。なので弊社では、そのような相談がきた場合は、まずは導入コストをかけたことによる最悪のシナリオと、AIのアルゴリズムを簡素化して教えるようにしています。よくないと知っていて、高いシステムやコンサル人員を提供するコンサル会社もあるようですが……。 

つまり、目的の本質を見失わずに、自分の頭で根っこの部分を理解してから、最適な手段を選ぶことが必要ということです。

捨てきった先に残るのは「自分の思考」


さて、もうおわかりかと思いますが、「コンサルを捨てる」の裏側には、要するに「自分で考える機会を捨てない」があります。何事においても、一瞬で解決できる「魔法の杖」を与えてくれる人はいません。そもそも、そんな杖自体が存在しませんから。

さんざん自分で考えてみて、ようやく「試してみる価値のある解決策」が見えてきます。それすらも、試したらダメかもしれない。ダメならダメで、さらなる打開策を練る。

成果を出せる人間こそ、この地道な思考と作業をくり返します。当事者として人生の舵をあやつり、航行していくとは、こういうことなのだと思います。

(山本 大平 : 経営コンサルタント、F6 Design代表取締役)