サードパーティCookie廃止の取りやめ、ソーシャルメディアの分断、ユーザー行動の細分化など、デジタル上の環境はその複雑さを増している。広告を含めた従来のコミュニケーション手法をアップデートし、マーケティングドリブンな取り組みを加速させるため、2023年4月に「マーケティングデザインセンター」を設立したのが味の素だ。同社は消費者の信頼と購買につながるコミュニケーションをいかに設計し、実現させているのか。今回は、マーケティングデザインセンターのセンター長で執行役員常務の岡本達也氏と副センター長の向井育子氏に、味の素のコミュニケーションの根本にある戦略と理想のクリエイティブを生み出すための思考について話を聞いた。両氏が挙げた、消費者に受け入れられ、態度変容を起こすコミュニケーションを実現する重要な要素――それは、「妄想」や「憑依」レベルまで考え抜いた徹底的な消費者理解と、それに裏打ちされたクリエイティブの「面白さ」だ。

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DIGIDAY編集部(以下、DD):コンテンツや情報が溢れているいま、伝わるコミュニケーションを設計する上で重視していることはあるか。向井育子(以下、向井):コミュニケーションで重要視しているのは、生活者を見ることだ。我々がメーカーとして一方的に伝えるのではなく、生活者の気持ちを考え深掘りする必要がある。興味関心があることはなにか、そこに対しどのような表現をすれば態度変容が起きるのか、フラットな視点で考えている。態度変容を起こすには、面白いクリエイティビティが不可欠だ。我々のメッセージを単純に理論で押し通しても、消費者には届かない可能性が高い。押しつけのクリエイティブではなく、生活者が面白いと感じる表現を生み出すため、インサイトを調査するなど試行錯誤している。加えて、生活者の想いや考えを「妄想」するようなアイデアも大事にしている。岡本達也(以下、岡本):20年前、メディアは新聞やテレビのように受動的だったが、いまは態度や接触のありようも大きく変化した。消費者がさまざまな場面でどのような状態にあるのか、ある瞬間に、こういうクリエイティブなら受け入れてくれると想像し、設計できているかどうかがポイントになってくる。マーケティングデザインセンターのメンバーにも常に、「モーメントを捉える努力、生活者がその瞬間にどういう考えになるのか憑依するレベルまで考え抜くべきだ」と話している。そこまでしなければよいクリエイティブは作れず、最適なメディアプランニングも実現しないと考えているからだ。

岡本 達也/味の素株式会社執行役員常務 食品事業本部副事業本部長 兼 マーケティングデザインセンター長。

真摯なブランドの取り組みの先に、「面白い」が生まれる

DD:「妄想」や「憑依」が的を得て、モーメントを捉えた事例を教えてほしい。向井:「フードロスラ」が象徴的な事例だ。フードロスという社会課題に対しクリエイティビティを発揮し、徹底して面白さを追求した内容になっている。https://youtu.be/MYfDWluAD6s?feature=shared岡本:フードロスは真面目なテーマであり、そのまま伝えても耳を傾ける人はいない。私自身、「減塩」をテーマに商品開発やコミュニケーションを手がけた経験があるのでよく理解しているが、どれほど素晴らしいテーマであっても、消費者にメーカーからの「説教」のような話を届けていては、うんざりされてしまう。どうすれば生活者に受け入れもらえるのか、つまりクリエイティブを見た瞬間に面白いと感じてもらえるのかを突き詰めた結果完成したのが「フードロスラ」だった。DD:実際に拝見したが、とてもユニークでまさに「面白い」と感じさせられる内容だった。向井:クリエイティブの仕事でもっとも楽しいと感じるのは「好きにやってよい」と言われたときだ。通常はやるべきことをあらかじめ決め、その決めたことに沿っているかどうか確認しながら進行する。それではどうしても、クリエイティビティが発散しきれない。クリエイティビティが発揮されるポイントは、自由にできることだ。「フードロスラ」も、会社やブランドからの要望ではない、マーケティングデザインセンターによる自主提案のコミュニケーションプロジェクトのひとつ。社会課題というテーマこそ設定されていたものの、それ以外の制約はなく自由に手がけている。「あれがだめ」「これがだめ」という枷がなくなると、「あれが楽しい」「これが楽しい」と発想が自由に生まれてくる。この思考こそが、生活者に面白いと思われるコミュニケーションを作り出す原動力になる。自分たちで自由に考え取り組めると、どのようなコミュニケーションであってもどう向き合うべきか、どう伝えるべきかがスムーズに設計できる。さまざまなアイデアが生まれ、数多くの選択肢の中から取捨選択し、我々が目指す「面白いクリエイティブ」が完成する。

味の素の「科学」がコミュニケーションに一貫性をもたらす

岡本:もちろん、ただただ面白さだけを追求しているわけではない。大前提として真摯に取り組んでいるベースがあるからこそ、フードロスラのようなクリエイティブが「味の素は面白い取り組みをやっている」という感情につなげられる。実際、フードロス削減への取り組みは、味の素では「TOO GOOD TO WASTE」としてグループの直接の事業活動で発生するフードロスを2025年度で半減させ、グループが関わるフード・サプライチェーン全体では、2050年度までに半減させる目標を掲げ、2年ほど前から果敢にチャレンジしている。「面白い」と感じてくれた消費者に提示できる、いわば「真面目」な素地があるからこそ、面白さがより意味を持つ。DD:クリエイティブの面白さとブランドの取り組みや価値をバランスよく表現するのは容易ではない。味の素としてブランド、コミュニケーション、クリエイティブの一貫性をどのように実現しているのか。向井:自分たちの製品やサービスのユニークネスがどこにあるのかを明確に理解することに尽きる。ビジョンやブランドの本質的な価値を単なる絵空事として捉えるのではなく、コミュニケーションチームやクリエイティブチームが自分たちならではの視点で表現できるよう常にメンバーと話し合い、設計していく。そうしなければ、よいクリエイティブは作れない。

向井 育子/味の素株式会社食品事業本部 マーケティングデザインセンター副センター長 兼 コミュニケーションデザイン部長。

岡本:味の素には「アミノ酸」と「サイエンス」を掛け合わせた「アミノサイエンス」という造語があるが、自らのユニークネスを、必ず科学的アプローチによって明示しようとする姿勢もポイントだ。「おいしい」というビッグワードがある。漠然と、食感や香り、風味などが「おいしさ」を構成する要素となるのだろうと誰もが考えるが、我々はこれを科学的に解析し、把握するよう努めている。たとえば、ある製品に「もう少しチキンの焼いた風味が欲しい」となったとしよう。その場合、「『焦がしたチキン風味』を構成する物質がなにか」という分析を始める。そしてその物質を突き止め、素材として製品に取り入れる。科学的に把握できているからこそ、マーケターからクリエイターまでその製品の「おいしさ」がどう実現しているのか完全に理解した上で、コミュニケーションやクリエイティブを作ることができる。「おいしさ」の事実を踏まえれば、「CMではこのような表情で食べてもらおう」といった難しい表現も可能になる。DD:科学に裏打ちされた厚みのあるクリエイティブやコミュニケーションにおいて、デジタルはどのように貢献することができるだろうか。向井:現在のコミュニケーションは、いまこの瞬間に消費者が興味・関心を持つのに適したモーメントを見出し、そこからさらに次のモーメントへと水が流れるようにつなげていくことが求められる。コミュニケーションの起点になる瞬間、ちょうどいい瞬間、何かを感じる瞬間、とモーメントは膨大だが、デジタルはそれを容易に「あちこちに繋げられるもの」だと私は理解している。デジタルは縦横無尽にどこにでもいける柔軟性のある存在だ。あるときには着火剤のような役割を果たし、あるときには人の声を集めるための手段となる。デジタルの環境は不安定になっていると言われるが、だからこそデジタルの適応力の高さを最大限活用すべきだろう。

重要なのは「愛し、愛される」こと

DD:「よいコミュニケーション」とはなにか。おふたりが常に意識していることを教えてほしい。向井:マーケティングデザインセンターが結成された際、メンバー全員が自分の思いを紙に記入することになり、私は「愛し、愛される」と書いた。消費者にファンになってもらうためには、まず自分たちが相手を好きになるべきだという思いからだ。ファン作りはまず好きになることから、コミュニケーションも同じだ。相手のことが好きであればこそ、相手に受け入れてもらえる要素を見つけ出し、どうアプローチすればよいのか考えられる。岡本:コンシューマーブランドは消費者に支えられてはじめて成立する。つまり、ブランディングというのは好きな人に好きになってもらう仕事だと言える。そのためのコミュニケーションは、消費者のエモーションやシーン、さまざまなモーメントに応じて最適なメディアを活用し、心に入る設計をどうするが不可欠になる。デジタルではこうする、マスではこうするという手法論は重要ではない。うま味調味料の「味の素」 一粒に価値はないが、そこから作られる料理や生まれる会話、癒される気持ちはかけがえのない価値だ。その価値を生み出すきっかけを作り、さらにエンハンスするコミュニケーションこそが我々が求めているもの。それをどうすれば届けることができるのか、必死に考え続けていきたい。Written by 坂本凪沙、分島翔平Photo by 渡部幸和