松田聖子

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NewJeansのハニが熱唱

 K-POPガールズグループ・NewJeansのメンバー、ハニが東京で歌った松田聖子の「青い珊瑚礁」の余波がいまだに韓国で続いている。韓国最大の音楽チャート「メロン」に828位で初登場した同曲は、7月に入ると200位台、7月20日時点では114位と急上昇。韓国カラオケ機器大手・クムヨンエンターテインメントの日本曲チャートではついに1位を獲得するほどだ。

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 日韓の音楽事情に詳しいエンタメライターがこう話す。

「6月26日と27日に東京ドームで『青い珊瑚礁』を披露したハニが、オタクコールの大歓声を受けたことに、韓国の大手メディアが驚き、続々と分析ニュースを配信しています。日本での反響については、“希望にあふれていた1980年代への郷愁を呼び起こした”、“経済的に困難を抱える中高年世代の懐古”などと評しています。

松田聖子

 韓国での反響については、“韓国でも大ヒットした1995年公開の映画『Love Letter』の重要なシーンで、『青い珊瑚礁』の歌が流れたため、当時の記憶を蘇らせた”、“K-POP歌手が海外で大きな話題となったのは単純に気分が良いこと”、“K-POPの包容力を見せた”、などという見解のほか、“『青い珊瑚礁』自体、韓国人が好む曲”という見方もありました」

 海外でヒットしている日本の楽曲を集計したビルボードJAPANのチャート「Global Japan Songs excl. Japan」で、「青い珊瑚礁」は11日付で8位、18日付でも9位にランクイン。国別では韓国で2週連続2位に浮上するなど、韓国を“青く”染めている。

 最近では61歳の日本人男性が、ハニの歌う「青い珊瑚礁」のYouTube動画に「がんで闘病中ですが、ハニの歌を聞いて勇気をもらいました。がんに打ち勝ちます」と投稿したところ、韓国人ファンが「頑張って克服してください」「完治されることをお祈りします」と激励。その心温まる内容が、韓国で記事配信された。

 中高年世代の間で昭和の郷愁を呼び起こした「青い珊瑚礁」は、1980年7月にリリースされた。リゾート感あふれるメロディーは海外への憧れを歌った桜田淳子「サンタモニカの風」(79年)、サーカス「アメリカン・フィーリング」(同)、八神純子「パープルタウン」(80年)、杏里「思いきりアメリカン」(82年)などの系譜に連なる。

 日本で海外旅行が自由化されたのは1964年だが、80年代に入ると若い女性層の観光客が急激に増えた。また、85年のプラザ合意以降の急激な円高によって、海外旅行熱はさらに高揚し、バブル期に突入していった。飛行機の前で同曲を歌った松田聖子はそんな時代の象徴だ。

自由で開放的で憧れの存在

 一方、韓国の1980年代前半は苦難に満ちていた。79年の朴正煕大統領射殺事件を機に全斗煥軍事政権が軍の実権を握る。民衆蜂起となった光州事件を弾圧すると、各地の民主化運動を取り締まり、言論を厳しく統制した。その後、大々的な民主化運動により87年に大統領直接選挙によって、盧泰愚が大統領に就任。88年にソウル五輪が開催され、89年になって海外旅行が自由化された。

 韓国のジャーナリストは「韓国の中高年世代にとって1980年代の日本のポップカルチャーは、自由で開放的でまぶしい憧れの存在です。一方で、その時代の日本のヒット曲は韓国の暗い時代を思い起こしてしまうことにも繋がるため、心境は複雑ですね」と打ち明ける。

 21世紀に入ると韓国のポップカルチャーの世界的人気が次第に高まっていく。日本でもK-POPアーティストが、東京ドームクラスの会場でコンサートを開催することは珍しくなくなった。NewJeansの東京ドーム公演は、通常のコンサートではなく「Bunnies Camp 2024 Tokyo Dome」と題したファンミーティング。それでいきなり9万1200人余を集めた動員力は、すさまじいというほかない。前出の音楽ライターはこう指摘する。

「NewJeansが所属するADOR(アドア)代表でプロデューサーのミン・ヒジンは、メンバーのハニが『青い珊瑚礁』を歌えば、日本の音楽市場だけではなくメディアにも強い影響を与えられると踏んだのでしょう。実際、歌謡番組やバラエティー番組に出演して視聴者に笑顔を振りまく何倍もの爆発力がありました。

 また、日本のポップカルチャーを代表する美術家の村上隆、藤原ヒロシという2大巨匠とのコラボも、既存のK-POPプロデューサーとは発想が根本的に異なります。それは日本のファッションにも及んでいて、足に怪我をしていたヘリンが韓国の歌謡番組で復帰した際、日本のセレクトショップ『ビームス』のバンダナを頭に巻いてステージに上がりました。ミン・ヒジン代表の“日本愛”を感じさせます」

 韓国の大手紙「京郷新聞」の元東京特派員で現作家のユン・ヒイル氏がこう話す。

「韓国のメディアが『青い珊瑚礁』を連日取り上げているのは、K-POP歌手による日本の懐メロ歌唱がこれほどの大反響となったのは初めてだからでしょう。個人的に『青い珊瑚礁』を初めて聞き始めたのは1990年代半ば。 当時、日本文化について本格的に勉強していた時期で、この曲を聞いてすっかりハマってしまいました」

 その一方でこうも明かした。

「『青い珊瑚礁』について韓国の若者層からは『1980年代、日本には松田聖子のようなレベルの高いアーティストと音楽があったのに、なぜ世界市場を掌握できなかったのか』『自国市場に満足して、グローバル化しようとする努力が足りなかったためではないだろうか』などの声が上がっています」

 確かにバブル崩壊後、日本は失われた30年を経験しグルーバル市場に積極的に挑もうとする音楽家は少なかったかもしれない。

 ただ、近年、ニュートロ(新たな古いもの)ブームに乗って大貫妙子「都会」(1977年)、松原みき「真夜中のドア」(79年)、山下達郎「RIDE ON TIME」(80年)、EPO「DOWN TOWN」(同)、NewJeansのへインが東京ドーム公演でカバーした竹内まりや「プラスティック・ラヴ」(84年)など、シティポップと呼ばれる当時のサウンドが世界的な人気を集めている。

 最近のアーティストとしては、YOASOBI、Ado、Creepy Nuts、King Gnuのグローバルな活躍もよく知られている。

「青い珊瑚礁」が時空を越えて日韓の音楽ファンを結びつけたことをきっかけに、新旧取り混ぜたK-POPとJ-POPのコラボが意外な速度で進むかもしれない。

デイリー新潮編集部