鹿児島県警本部長の「隠蔽疑惑」が話題に

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鹿児島県警本部長の「隠蔽疑惑」が話題に

 鹿児島県警本部長の「犯罪隠蔽(いんぺい)疑惑」が大きな注目を集めている。国家公務員法違反(守秘義務違反)容疑で逮捕された元県警生活安全部長が、自身の情報漏洩の動機として、「上司である県警本部長が身内の犯罪を隠蔽しようとしたことを見逃せなかった」旨を法廷で語ったのである。この元生活安全部長によれば、県警本部長は身内の警察官の「ストーカー」等の不祥事を隠そうとしたというのだ。

 これが本当ならば、「国家公務員法違反」の見え方もまったく変わってくる。元生活安全部長は、「情報を漏らした悪い奴」ではなく「正義の告発をしようとして潰された犠牲者」となるのだ。

 真相の究明はまだ先のことになるのだが、「警察の陰謀によって無実の人が陥れられる」という図式はさほど珍しくない。小説やドラマ、映画ではおなじみのパターンであるし、現実世界でもその被害に遭ったという人はこれまでにも数多くいた。その最たるものは強引な捜査、取り調べによって犯人に仕立て上げられた、いわゆる冤罪事件である。今回の舞台、鹿児島県警では有名な「志布志事件」という冤罪事件がある。異例の長期拘留や自白の強要によって罪のない人たちが犯罪者に仕立て上げられたのである。

鹿児島県警本部長の「隠蔽疑惑」が話題に

 元産経新聞記者の三枝玄太郎氏は、20年ほど前、栃木県警を担当していた時に、警察にマークされて危うく陥れられそうになった経験があるという。当時、三枝氏は警察に批判的な企画記事を連続して書いていた。

(※画像と記事本文は直接関係ありません)

 身内の不始末が許せない、と話を聞かせてくれる警察官から情報を得ることも少なくなかった。

 すると、ある日、おかしなタイミングで逮捕されそうになったというのだ。いまだ真相は不明ながらも、陰謀を思わせるに十分なその一部始終を三枝氏の著書『メディアはなぜ左傾化するのか 産経記者受難記』をもとに見てみよう。

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「土日休み」で犯人を逃がした警察

 記者人生で一番、警察の不祥事を書いたのは栃木県警で、だった。そして、その出所は全て県警内部だった。つまり夜回りの結果、仲良くなった刑事さんや警察職員だった。

 ある巡査部長さんの家ではこんなやりとりがあった。

事件記者になりたい一心で産経新聞に入社した著者は、現場での同業者たちに違和感を抱くようになる。なぜ彼らは特定の勢力や団体に甘いのか。左派メディアは、事実よりもイデオロギーを優先していないか。ある時は警察と大喧嘩をし、ある時は誤報に冷や汗をかき、ある時は記者クラブで顰蹙を買い、そしてある時は「産経は右翼」という偏見と闘い……現場を這いずり回った一人の記者の可笑しくも生々しい受難の記録。 『メディアはなぜ左傾化するのか 産経記者受難記』

「真岡(もおか)でさ、(女性への暴行の容疑で)逮捕状が出ている男がいてさ。出頭してきたんだ、署まで」

「へえ。初耳ですね」

「そうしたら、どうしたと思う? 真岡署の当直の連中、『今日は日曜日で刑事がいないから明日来てくれ』って言ったんだぜ」

「ええっ。そんなバカな」

 その男はそのまま逃走してしまい、逮捕に1週間ほどを要したという。身内の警察官のあまりに酷い体たらくに義憤を感じたある刑事が夜回りにやってきた僕にボソッと話したといういきさつだった。

 栃木県黒羽(くろばね)町(現・大田原市)の19歳の日産自動車工場の従業員だった須藤正和さんが2カ月あまりにわたり連れ回された末、殺害された事件も県警の不手際だった。県警は10回以上、須藤さんの両親から捜索の要請を受けていたにもかかわらず、まともにとりあわず、結果的に須藤さんは栃木県内で殺害されてしまった。

 このときも県警と両親の双方から話を聞いた末、企画記事にすることにした(この経緯はのちに『十九歳の無念 須藤正和さんリンチ殺人事件』という著書にまとめた)。

警察を尊敬していても見逃せないこと

 警察が憎かったわけではない。むしろ身命を賭して仕事に邁進する警察官を僕は心底尊敬していた。

 宇都宮中央署刑事課の大久保盛男巡査部長が、タクシー会社に立て籠もった暴力団組員に、突入時に散弾銃で撃たれ、殺害されたという事件が起きた(殉職後、警部に昇進)。このときは支局長に掛け合い、支局長名と東京本社編集局長名で弔電を出した。東京本社は快諾してくれた。大久保さんの業績を称える記事も書いた。無辜(むこ)の、名もない警察官たちに市民の安全は守られているのだ、という意識を強くしたものである。

 だが、須藤さん事件のときの県警の対応は正反対だった。一刻の猶予もない切迫した事態であるのは明らかなのに、どこの警察署も県警本部もほとんど何もしなかった。その不作為が許せなかった。「県警幹部に嫌われる」「取材がしにくくなる」とは露ほども考えなかった。そもそも県警幹部の大部分からは嫌われていたし、逆に現場の警察官からはそれなりに支持を得ていた自負はあったので、心配はしていなかった。出入り禁止を言い渡されたら、逆に「県警、本紙記者を出入り禁止処分」という記事にしてやろう、くらいに思っていた。県警も「あんな奴に言っても仕方がない」と諦めていたのか、以後、栃木県を去る2001年まで一度も出入り禁止は食らわなかった。

警察に罠に嵌められたか

 ある年の参院選の開票当日、遅くまで支局に残って票読みの手伝いをしたり、編集を手伝ったりしていたときのことである。いつもゲラ刷りが午後9時半ごろには出るのに、選挙シフトということで降版を延長したため、支局を出たのは、日付が変わった頃になった。

 道を挟んだ向かい側に車が停まっている。さして気にもせずに車を出したのだが、右折すると、その車も道に出てきた。目を凝らすとパトカーのようだ。二人乗っているのがバックミラー越しにも分かった。

「キープレフト、キープレフト」と声に出して呟きながら、40キロの制限速度をきっちり守って運転した。だが、パトカーはほどなくすると、赤色灯を回し、「前の車、停まりなさい」とスピーカーで呼びかけてくるではないか。車を停めると、40歳代後半くらいの男の警部補が降りてきた。続いて助手席から若い女性警察官も。

「酒飲んでるだろ、フラフラしてたぞ」と言って、アルコール検知用のストロー付きのビニール袋を目の前に突きつけた。

「フーッ」と言われた通り、息を吹き込んだが、その警部補は、「あれっ?」と言った。これが合図になった。

「あれって何よ。あなた、うちの支局の反対側でパトカー停めて待機してましたよね。狙ったのは僕でしょ。何が目的? 誰に頼まれた? Tさんか? T交通部長だろ」

警察批判がきっかけか

 これにはちょっとしたいきさつがあった。県内の国道4号線で酒気帯び運転のトラックが軽乗用車に突っ込んだ事故が起きた。乗っていた19歳の女の子は即死だった。

 担当の氏家署は運転手を逮捕せず、遺族に向かって「今日は暑いからビールを飲みたかったんでしょうよ」と信じられない言葉を吐いた。しかも病院の看護師には自慢げに「今日の事故は凄かったんだから」と酷い遺体の状態を得意げに具体的に喋った。そのそばに女の子の両親がいたことにも気づかずに。

 両親は怒髪天を衝く勢いで警察の対応に激怒した。しかも自らも脚の骨を折って入院中だったトラックの運転手は、警察にも無断で勝手に退院し、東京都内の病院に転院し、それを氏家署は把握していなかった。

 産経新聞の県版で警察の対応を非難するトーンで3回の企画記事を書いた。すると当時のT交通部長が遺族の家に謝りに来ると聞いた。

「車庫で張り込みしても良いですか?」

 遺族の快諾を得た僕は車庫の車の陰に隠れて交通部長の来訪を待った。しばらくすると、黒塗りのセダンが滑り込んできた。交通部長の専用車だった。

 降りてきたところで「部長!」と声をかけて、シャッターを押した。

「おい、何するんだ。やめろ」

 交通部長は激高し、顔を歪めて手を前に突き出した。そのときの様子がカメラに収められた。結局、この滑稽な写真は掲載しなかったが、T部長が相当、僕を逆恨みしていたのは人づてに聞いていた。だからTさんに頼まれたのか、と訊いたのだ。

 僕は仲の良い朝日新聞の後輩記者を呼び出して、わざと警察官の前で、

「酷い話だ。社会的に抹殺されそうになったんだ。選挙の開票日だから打ち上げで酒でも飲んだ、と思って狙ったんだろう。おあいにく様、僕は酒を飲まないんだ。下戸だから。朝日で書いてくれよ。言論弾圧だって」

 と話しかけたりした。

 警部補は「誤解だ。信じてくれ」と繰り返した。女性警察官は「違うって言ってるのに!」と泣き出してしまった。

誤解か陰謀か

 最終的に午前3時ごろまで後輩記者は付き合ってくれたが、とりあえず、お開きになって、翌日からは別の取材に専念し、記者クラブにようやく帰ったころには昼近くになっていた。クラブに入るや否や、着任したての広報室長が隣室からすっ飛んできた。

「誤解だからね。そんな言論弾圧なんてしていないから。T部長は関係ないから」

 デンスケ賭博の語源とされる、県警が誇る昭和の名刑事、増田伝助の息子だと言われている人だった。豪放磊落なデンスケの倅にしては、能吏で几帳面なタイプに見えた。僕がパトカーの乗務員に吐いた言葉が、ほぼ正しく広報室に伝わっているのに苦笑した。

「関係ないか知らんけど、まあ、そういうことなんだな、とこちらは思ってますから」と言うと、「また〜」と言って弱り切った顔で部屋に戻って行った。

 だからといって「本紙記者、県警に酒気帯び運転をでっち上げられる」といった記事を書いたわけでもない。こういうことは警察を回っていれば、ままあることで、嵌めようとしたのかもしれないし、こちらの被害妄想かもしれない。突き詰めても詮(せん)がないのだ。

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 三枝氏が述べている通り、この一件の真相は不明である。ただ、警察が「やる気」になればあらゆることが可能だということは、頭の片隅に入れながらニュースを見たほうがいいのではないか。

三枝玄太郎(さいぐさげんたろう)
1967(昭和42)年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1991年、産経新聞社入社。警視庁、国税庁、国土交通省などを担当。2019年に退職し、フリーライターに。著書に『三度のメシより事件が好きな元新聞記者が教える 事件報道の裏側』『十九歳の無念 須藤正和さんリンチ殺人事件』など。