天皇陛下がムーンウォーク!“親友”語る留学秘話「普通の学生生活を…」 雅子さま友人も「かっこいい方だな」 両陛下イギリスご訪問

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日本時間23日午前2時前、イギリスに到着された天皇皇后両陛下。ホテルの前では、出迎えた人々と握手を交わし、沿道からの声にも笑顔で手を振られた。陛下は長い間、お二人そろってのイギリス訪問に強い思いをにじませてこられた。

2001年、陛下お一人でイギリスを訪問された際には「今回は単身で来ることになりましたけれども、次回はぜひ2人で一緒に来ることができたらと思っております」と述べられていた。

両陛下にとってイギリスは、若い日々を過ごされた思い出深い場所。Mr.サンデーは、両陛下とイギリスとの関係を知る人々を取材した。明かされた秘話から、イギリスへの強い思いが見えてきた。

2年4カ月間のイギリス留学

日本の皇室とイギリス王室の交流は今から155年前、ビクトリア女王の次男、アルフレッド王子が来日し、明治天皇が歓待したことに始まる。しかし、第2次世界大戦で敵国同士となり、その交流は途絶えてしまう。

戦後、その関係回復に大きな足跡を残したのが、エリザベス女王の戴冠式に昭和天皇の名代として参列された上皇さまだった。先の大戦からわずか8年、イギリス国内には日本に対する厳しい国民感情が色濃く残っていたが、エリザベス女王は一緒に競馬を観戦するなど上皇さまを温かく迎えた。その後も、皇室とイギリス王室は交流の歴史を紡いできた。

陛下のイギリス滞在は、1983年6月から2年4カ月間。1983年の入学式から陛下の留学の様子を取材し続けた、イギリス在住のフォトジャーナリストの加藤節雄氏は、入学式のことを次のように振り返る。

「一人一人名前を呼んでくるんですよね。(陛下の)番になったら『ヒズ・ロイヤル・ハイネス・プリンスナルヒト!』って、大きな声で(周囲で)『うわー!』っていう声が上がって。その『わー!』っていう声を聞いて、(陛下は)少しリラックスしたみたいで、ニコニコってしましてね」

入学式で加藤氏がシャッターを切り、話題になった1枚の写真がある。陛下がかぶった四角い帽子に、隣の女性が手を伸ばしている。

「(四角い帽子を)かぶろうとした時に(陛下が)うまくかぶれなかった。ジーンさんっていう人なんですけども、彼女が隣にいて帽子をちゃんと直してくれるわけですよね。その場面をぱっと撮りまして、すぐ新聞社に流したんですけども。早くも恋人ができたっていう、そういう噂になっているんですね」

陛下にとって初の寮生活。部屋には、名女優、ジェーン・フォンダのポスターが貼られ、コインランドリーでの洗濯も初めてのご経験だった。

「初めてここを使用した時に大失敗をしでかした。あたりは泡だらけである。よく見ると泡は明らかに私が使用した洗濯機から流出している。洗濯物の詰めすぎであった」
(『テムズとともに 英国の二年間』徳仁親王著・紀伊國屋書店刊より)

パブでは、ビール片手に乾杯。ロンドンで行われた日本のイベントにも積極的に参加された。加藤氏は「屋台を見て歩いたり、それから盆踊りやったんですけども、見よう見まねだと思うんですけど、一緒に踊るんですよね。こういうのは日本ではなかなか見られない光景だと思う」と振り返る。

映像には、町の中で自転車に乗ったり、洋服店で買い物をされる様子も残されている。そして、陛下が街を歩かれれば、日本人が歓声をあげることもあった。

「私と顔を合わせた日本からの観光客も最初は目を疑ったらしい。若い女性から目の前で『ウッソー!』と言われた時は、『ウッソー!』の本義を知らず、どう反応していいか迷った」
(『テムズとともに――英国の二年間』徳仁親王著・紀伊國屋書店刊より)

かけがえのない友人たちとの出会い

その中で最も重要な体験となったのが、かけがえのない友人たちとの出会い。陛下はイギリス訪問前の会見で、「当時、私が弦楽四重奏のグループを作ることができたのも、朝の食堂での一学生との出会いがきっかけでした」と述べられていた。

そのメンバーの一人が、フィリップ・ウィットモア氏だ。

「陛下はビオラを弾いてらっしゃいました。音楽家の知り合いにカルテット(四重奏)で、陛下と演奏してもらえないかと電話をかけて回ったんです」

そして実現したという、イギリスでの演奏会。

「一緒にリハーサルをしたり、演奏したりということはよくありました。とても楽しかったですよ」

「これが1991年に送ってくださったお手紙です」。ウィットモア氏は、陛下から1991年に届いたという手紙を見せてくれた。卒業してからはなかなか会う機会がなかったというが、ご修学から8年、イギリスを訪問された陛下から食事会に招待されたという。ウィットモア氏は「一緒にまた大学を訪れることができて、素晴らしかったです」と語った。

さらにもう一人、入学式で陛下の隣にいた、ご学友のキース・ジョージ氏にも話を聞いた。

「私は陛下を『ヒロ』と呼んでいます。初めて会ったときに、陛下がそう呼んでくれと言ったからです。私たちの関係について話していたら、陛下が言ったんです。君と僕は『SHIN-YU』だと」

「親友」と呼ぶキース氏だからこそ、陛下が語られていたことがある。

「陛下は特別扱いを望んでいたわけではなく、普通の学生生活を経験したかったんです。そして他の学生と同じように扱ってほしかった。だから私は、いつもそう接していました。それが私たちの友情がこれほど長く続いた理由の一つかもしれません」

マイケル・ジャクソンのムーンウォークを一緒に教わったこともあるという。

「ムーンウォークは私よりとても上手でした。陛下も楽しそうでしたよ」

イギリスで様々な経験を積まれた陛下。

「私が、楽しく――おそらく私の人生にとっても最も楽しい――一時期を送れたのも、彼らの協力と心遣いがあったればこそである」
(『テムズとともに――英国の二年間』徳仁親王著・紀伊國屋書店刊より)

こうした友人たちとの交流もあり、2年余りの留学で日本ではできない貴重な経験をされたという。フォトジャーナリストの加藤氏は、陛下が帰国される際の写真を見せてくれた。

「これ最後の写真なんですけども、堂々としてますよね。最初の入学式の時よりもずっと堂々としてる。彼はもう天皇になるという使命感を持っていましたから」

「原点になるような体験を持たれたのでは」

そして皇后・雅子さまもまた、外交官時代の1988年から2年間、オックスフォード大学に留学されていた。陛下のお妃候補として注目されたのもこの頃だった。

「すごくかっこいい方だなと思いました。かっこいいし、すてきだなというふうに思いました」

そう語るのは、雅子さまの東大時代の友人で、大和日英基金理事の土地陽子氏。

「すごくスポーツも万能でいらっしゃるので、日に焼けて、鮮やかな色の服とかをすごいかっこよく着こなしていらっしゃったので、そういう印象もあったと思います」

土地さんは、留学当時の雅子さまに会いに行ったことがあるという。

「最後の学期のところですごく勉強しておられたと思います。けれども、出てきていただいて、オックスフォードのカレッジを案内していただいたというのがあります」

雅子さまは勉強の合間を縫って、わざわざ大学構内を案内してくださったという。

雅子さまに続いて、オックスフォード大に留学したという土地さん。その直前に、雅子さまから、ある手紙が届いたという。

「本当に非常に美しい筆でお書きになっているんですけれども、勉強が大変だということを書かれていたということと、『1〜2学期をさぼってたせいもあってちょっと焦ってます』っていうことも書かれてた。ただ全体としては、オックスフォード非常に楽しんでますっていうことも書かれていて、きっとそうだろうなと思います」

そんなオックスフォードでの日々は、「ある意味原点になるような、そこからの人生の原点になるような、そのような体験を持たれたんじゃないかなと思います」と土地さんは語った。

そんな両陛下のイギリスご訪問は、日英両国の未来を見据えているという。関東学院大学の君塚直隆教授は、「さらなる次の代、日英の関係っていうものが引き継がれていくということ、これがやっぱり今後も見られると思います」と話している。
(「Mr.サンデー」6月24日放送より)