「ひとり死の先輩」を看取って考えたシングル社会
「自宅でこのまま死なせてほしい」。筆者が、大学院生時代から約20年住んでいた間借り部屋の大家Kさんから聞いた最後の言葉でした(写真:koumaru/PIXTA)
未婚率全国トップの東京23区で進む「日本の未来」とは。孤独担当大臣も知らない、35歳から64歳の「都市型」の自由と孤独に焦点を当てた『東京ミドル期シングルの衝撃:「ひとり」社会のゆくえ』が上梓された。同書の著者の一人である酒井計史氏が、親密圏や「弱い絆」の具体例から、シングル社会が抱える課題を読み解く。
月に一度の長話を3時間正座で聞く
「自宅でこのまま死なせてほしい」。これは、私(筆者)が約10年前、大学院生時代から約20年住んでいた間借りの部屋の大家のKさんらしい最後の言葉であった。
Kさんは、昭和11年の東京生まれの東京育ちの未婚シングル男性であった。ご両親と杉並区の一軒家に暮らしていたが、ご両親を亡くされた後、勤めていた会社の役員ポストを最後に早期退職し、築50年の一軒家の2階の2部屋を大学生に間貸しして、悠々自適に暮らしていた。
Kさんは悪い人ではなかったが、少し虚栄心の強いクセのある人だった。サラリーマン時代の営業の武勇伝から、剣道の心得、邪馬台国四国説、仏教における悟りまでと、自分の幅広い興味中心の話題で、話しだすと止まらない。
月に一度、賃料等の支払いで1階のKさんの居室に現金払いに行くのだが、そこでは必ず長話となる。20代の若者が毎月それに耐えられるはずもない。
それだけが原因ではないだろうが、北側の部屋に入居する大学生・大学院生は次々と入れ替わり、やがてKさんの物置となった。南側の部屋に入居した私は2・3時間正座で黙って人の話を聞いていられるという特技のおかげで、Kさんが亡くなるまで約20年間居すわり続けた。
月に一度長話にお付き合いしなければいけないが、Kさんはこちらのプライバシーには決して干渉してこない。Kさんとは丁度良い距離感で約20年間、それ以上でもそれ以下でもない関係だった。それは、地方の郡部出身の私からすれば、ずっと都会っぽい人間関係であって、実家の親族・近所付き合いよりずっと弱くて、ずっと気楽な関係だった。
Kさんは風邪ひとつひかないような健康な人だった。しかし、80歳をむかえる年の9月、買い物帰りに転倒して、救急車で病院に運ばれ、入院を拒否して自宅に帰って来る、そういうことが何度か繰り返されるようになった。
Kさんは仏教思想に傾倒し、終末期医療のあり方には大いに疑問を抱いていた人だったので、私からすればKさんが入院を拒否するのは、当然のことと理解できた。
そうとはいえ、見るに見かね、10月に入ってすぐ、Kさんの了解は事前に得ずに、区の地域包括支援センターに相談した。身寄りがないとのことだったので、支援員の方に要介護認定の手続きをお願いしながら、何とかKさんを説得して、入院・治療を受けてもらう、それがだめならKさんの意識がなくなったら救急車で病院へという私の算段だった。
だが、支援員の方に入ってもらってから1週間ほどで、冒頭で紹介した「自宅でこのまま死なせてほしい」との言葉を最後に、翌朝、私がKさんの亡骸を発見した。
誰が「巻き込まれる」かわからない時代
結果的に、看取りケアとその後の対応を私が主にしたのだが、身寄りがあれば、こうしたことは家族・親族が中心とした親密圏が担うものである。今後、増加するミドル期シングルが高齢期に突入すれば、私とKさんの事例のように、言葉は悪いが、誰が「巻き込まれる」か、わからない時代となるかもしれない。
現在のいわゆる孤独死の事例では、Kさんと私とは逆の関係、店子が亡くなり大家あるいは不動産屋が「巻き込まれる」ということのほうが圧倒的に多いだろう。
そもそも親密圏とは、家族・親族や地方の地域共同体だけでなく、最近のより広い定義によれば「具体的な他者の生╱生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮を媒体とする、ある程度持続的な関係性を指すもの」(斎藤純一2003『親密圏のポリティクス』ナカニシヤ出版p.213)なので、私とKさんの関係性は、店子と大家という関係以上であって、「生╱生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮を媒体」にしていたといえるし、「ある程度持続的な関係性」であったともいえるので、親密圏といえなくはない。
近年は、こうした親密な関係性を従来の親密圏とは区別して「オルターナティブな親密圏」と呼ぶことがある。
「生命とくにその不安や困難に対する関心╱配慮」を引き受けるのは並大抵のことではないからこそ、その前提として親密な関係が必要だといえる。
だが、私とKさんの事例のように、「親密」という言葉からイメージするよりはずっと弱い関係であっても、身寄りのない大家を失った唯一の店子として、引き受けざるをえなかった。私が単なるお人好しといえばそれまでなのかもしれないが、読者のみなさんも私と同じ状況に置かれたとしたら、私のようにせざるをえないのではないか。
幸いなことに、Kさんが亡くなってから2カ月後に音信不通だったKさんの姪御さんが見つかった。その姪御さんご夫婦にすべてを引き継いで、私がKさん宅から退去したのは、Kさんが亡くなって半年後のことであった。
仕方なく「巻き込み型親密圏」
ひとり死の先輩Kさんの事例は、身内に代わる支援やケアをめぐって深刻な問題が私に降りかかってきた事例であり、家族を前提とした社会のしくみが社会の急激な変動に対応できなくなる未来を先取りしている出来事でもある。
さらに、興味深いことに、高齢期シングルKさんのケアを、ミドル期シングルの私が行うというのは、まさに書名の通り『東京ミドル期シングルの衝撃』を象徴するような出来事のひとつではなかったかとも思える。
ひとり死だけでなく、ひとり暮らしの高齢者の終末期のケアや死後の問題については、私のような身近な他人としての個人の場合、支援現場でホームヘルパーや支援員のような福祉専門職や行政の担当者の場合でも、短期間の親密性や、従来の親密性よりもずっと弱い関係性の身近にいる誰かが、無理をして「巻き込まれる」形で対応している現状があるだろう。それをあえて親密圏と呼ぶなら、「巻き込み型親密圏」とでも呼んだらよいだろうか。
誰かが無理をしている状況は決してよいことではなく、何らかの制度的な解決を目指したほうがよいに決まっている。だが、「巻き込み型親密圏」は、人間が人間らしくあるためには、ある程度仕方ないのではないか。
私は「巻き込まれた」側であるいっぽうで、ひとりで抱えきれずに、地域包括支援センターの支援員さんや往診を頼んだお医者さんを「巻き込み」、結果的に「Kさん看取りプロジェクト」のリーダーとして動いていたといえる。
その担当してくれた支援員さんは、Kさんとは1週間、時間にして数時間の接触だったのだが、支援員さんにも相当なストレスだったようだ。亡くなった当日夜に支援員さんのほうから労いのお電話をいただき30分も事の経過をふたりで回想した。お互い抱えきれない想いが吐き出された電話だったと思う。
さらにこの後、姪御さんご夫婦、不動産屋さん、Kさんの隣の家の古物商さんとともに、私のKさん宅退去と「Kさん宅処分プロジェクト」の一員として付き合うことにもなる。このように、Kさんの死をめぐって、巻き込まれ、巻き込み、一時的な社会関係が作られては消えていく。『東京ミドル期シングルの衝撃』第5章で、私はこうした関係性を「中間圏」として捉えられないかと提案したが、シングル社会のオルターナティブな親密圏の具体的な形の一つは、そのような性格のものかもしれない。
だが、決してきれいごとでは済まされない、できれば引き受けることはしたくないのだが、誰かが引き受けざるをえないことである。
制度的な解決は、公的あるいは民間のサービスとなるだろうが、それだけで本当によいのか。人の死にしっかり「巻き込まれる」人間が必要なのではないか。
Kさんの葬儀の日、火葬場の控室で、私はそうした到底答えの出ないことに考えめぐらせていた。区がつけてくれた葬儀屋さんの担当者さんは、私を唯一の遺族と勘違いし、Kさんのご遺体と私に真摯に向き合ってくれた。仕事ぶりが見事で非の打ち所がなかった。
だが、それは「巻き込まれた」のではない、紛れもないサービスとしてのプロの仕事だった。それに不満があったのではない。それだけで満たされなかったものが確かにあり、私はそれに人の死に「巻き込まれる」ことの意味を感じた。それは研究者の視点というより、私の宗教観とか死生観といった、もっと私的な感情から出てきたものだろう。
Kさんも筆者に「巻き込まれ」ていた
ところで、「自宅でこのまま死なせてほしい」は、終末期医療のあり方には大いに疑問を抱いていたKさんらしい最後の言葉だと先に書いたが、それは私の勝手な思い込みだったのかもしれないと後年気付いた。Kさんは一介の営業マンから役員まで出世した人だ。当時の私には、話の長いおじさんでしかなかったが、いっぽうで、それがKさんのサービス精神から来ていると感じることが何度かあった。
「自宅でこのまま死なせてほしい」は、入院して病院で亡くなることで、私に負担をかけまいとしての配慮だったのではないか。ほかに頼る人はいなかっただろうから、ある程度公的サービスを利用するとしても、入院の保証人、病院への手続きや支払い、入院期間中の自宅の管理など、多少なりとも私に負担がかかると考えていたのではないだろうか。
入院期間が長引くほど、私も病院に見舞い行く回数も増えるだろう。入院して亡くなるよりも、このまま自宅で亡くなるほうが、おそらく死を迎えるまでの期間は短くなる。そのほうが、私への負担は小さいと考えたのではないだろうか。Kさんも私に「巻き込まれ」ていたので、自分の死にあたって私に配慮しなければならなかったのではないか。
ひとり暮らしの高齢者の終末期ケアが制度的に整備され、Kさんがそうしたサービスを利用できたなら、生前に整理したかったことがもっとできたかもしれない。確かめようもないことだが、私も自分の最期を考えたとき、このまま生涯未婚で、母と妹が先に亡くなれば、親族は姪のみになる。まさにKさんは、私の「ひとり死の先輩」であり、私の未来の姿なのかもしれない。
(酒井 計史 : 社会学者、労働政策研究・研修機構リサーチアソシエイト)