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米国で短命に終わったクルマたち

米国でわずか1年しか売られなかったクルマは数多い。限定生産モデルもあれば、何らかの欠陥によって販売が打ち切られたものもある。

【画像】米国を象徴する伝説的マッスルカー【フォード・マスタング「ボス302」と「マッハ1」を写真で見る】 全32枚

例えば、マクラーレン・エルバは最高出力815psを発生し、0-100km/h加速をわずか2.8秒で走破する限定生産のスーパーカーだ。フォードの高級車部門リンカーンは、ピックアップトラックの高級化に挑戦したがあっけなく失敗に終わる。新興企業コーダは販売開始から1年で破産申請することになった。


1年で米国から撤退したモデルを42台紹介する。

このように、1年で販売が終了したのにはさまざまな理由がある。今回は、少量生産の希少車からエキゾチックな欧州車、無名の不人気車まで、無慈悲な米国市場で短命に終わったモデルを年代順に紹介する。

クライスラーC-300(1955年)

高級車であり、レース用のホモロゲーション・スペシャルでもあったクライスラーC-300。NASCARレースに参加するために発売され、最高出力300psの331立方インチ(5.4L)V8エンジンを搭載する、1955年の市販車の中で最もパワフルなモデルだ。

同年の限定モデルであり、大半のライバルとは対照的に、ボンネットオーナメント、巨大バンパー、フィンなど華美な装飾やクロームメッキはほとんど施されていない。シンプルでクリーンなラインを追求した、不朽のデザインだ。


クライスラーC-300(1955年)

C-300というネーミングは1957年の300Cに引き継がれたが、そちらはまったく新しい「フォワード・ルック」デザインを採用している。

シボレー・コルベット・スティングレイZ06(1963年)

2001年以降、コルベットの「Z06」モデルは数多く登場しているが、1963年に発売されたオリジナルモデルは1年限りのものである。市販車をレース仕様に近づけるために特別開発されたZ06パッケージでは、大容量燃料タンク、強力なブレーキ、大型アンチロールバーと硬いサスペンションを装備している。

パワートレインとして、最高出力360psを発生する327立方インチ(5.4L)V8エンジンのフューエルインジェクション仕様を搭載。当初クーペのみ導入されたが、後にコンバーチブルも追加され、1963年に合計199台のZO6が生産された。


シボレー・コルベット・スティングレイZ06(1963年)

フォード・フェアレーン・サンダーボルト(1964年)

1964年、ドラッグレースは米国で大きな注目を集めるレースとなっていた。フォードがドラッグレースに参戦するための少量生産のスペシャルカーを作ったことも、その重要性の指標となるだろう。フェアレーン・サンダーボルトはドラッグレースのために生まれたモデルで、1964年にわずか100台が生産された。その内訳は4速MT車が49台、AT車が51台。

サンダーボルトには、可能な限り軽量を追求するためにプレーンな2ドア・フェアレーンのボディが採用された。427立方インチ(7.0L)V8を搭載し、フォードは最高出力を控えめに425psと謳った。実際には、標準装備された多数のパフォーマンス・パーツのおかげで600ps近いパワーを発生する。


フォード・フェアレーン・サンダーボルト(1964年)

なお、100台のサンダーボルトはすべて、プロのレーシングドライバーにたったの1ドルで販売された。フォードが同車に開発費以上の宣伝価値を見出したからである。

シボレー・シェベルZ16(1965年)

シボレーはシェベルの「Z16」パッケージについて、ディーラー側にしっかり告知する気はなかったようだ。Z16はシェベルのハードトップ仕様をベースに、最高出力375psの396立方インチ(6.5L)V8エンジンを搭載している。

マンシー4速トランスミッションと強化サスペンション、標準のシェベルよりも1インチ幅の広い6インチ幅のスチールホイールも装備された。ボディカラーはレッド、イエロー、ブラックがあり、合計200台しか生産されなかった。


シボレー・シェベルZ16(1965年)

シェルビーGT350 R(1965年)

車名の「R」が、このマシンについて多くを物語っている。シェルビーはフォード・マスタングを必要最低限の装備にし、最高出力350psの289立方インチ(4.7L)V8エンジンを積んだ。出力数値は公式のものだが、400psに近いという説も多い。0-97km/h加速は5.5秒と、確かにハイパフォーマンスである。

GT350 Rのその他の特徴としては、軽量化されたプレキシガラス製サイドウインドウ、アメリカン・レーシング製トルクスラスト・ホイール、グラスファイバー製フードスクープ、アルミニウム製リアルーバーなどが挙げられる。サーキット専用で、公道走行可能な仕様は販売されなかったが、それでも1965年に34台が売れた。


シェルビーGT350 R(1965年)

トライアンフTR250(1967年)

戦後、米国の消費者は英国製の小型スポーツカーに夢中になり、最も人気のあるモデルの1つがトライアンフのTRだった。トライアンフはTR4の大型エンジン版がウケると考え、1967年にTR250(TR5とも呼ばれる)を米国市場に導入した。

2.5Lのフューエルインジェクション直列6気筒エンジンは魅力的なパフォーマンスを発揮するが、米国では排ガス規制のためにインジェクションではなくツイン・キャブレターが装着された。その結果、最高出力は150psから111psへ低下し、0-97km/h加速は10.6秒と、決して褒められたものではなかった。


トライアンフTR250(1967年)

トライアンフは1年後、TR250と入れ替わる形で、よりパワフルでスタイリッシュなTR6を導入した。

シェルビーGT500 KR(1968年)

車名のKRとは「キング・オブ・ザ・ロード(King of the Road)」の略である。自分のクルマをそう呼ぶなら、相応の実力を備えていてほしいものだ。1968年型シェルビーGT500 KRは、心臓部に最高出力335psの428コブラジェットV8エンジンを搭載しているが、これでは不十分だった。このエンジンはノーマル状態で400ps以上のパワーと66kg-mという強大なトルクで知られていたのだ。

シェルビーはスクープ付きのグラスファイバー製ボンネット、ディスクブレーキ、木製ステアリングホイールを採用。ロールバーも用意された。ファストバック1053台、コンバーチブル517台の合計1570台が生産された。


シェルビーGT500 KR(1968年)

シボレー・カマロZL-1(1969年)

レースでの成功により、シボレーは強力な427立方インチ(7.0L)V8エンジンを開発し、1969年のカマロZL1に搭載した。このエンジンは他のV8よりも高回転でハードコアなものであったが、シボレーはドライバーの能力不足を懸念し、エンジンについては口を閉ざしていた。レーサーたちにひっそりと販売され、わずか69台しか作られなかった。

カマロZL-1を購入できた幸運な人たちは、425psのパワーを手にしたことになる。ドラッグランを196km/h、11.6秒でこなし、軽い改造で550psまでパワーアップすればさらに速くなる。エンジンは専用のクリーンルームで手作業により16時間かけて組み立てられた。


シボレー・カマロZL-1(1969年)

シボレー・コルベットZL1(1969年)

希少で生産台数の少ないシボレー・コルベットはたくさんあるが、ZL1は神話的な地位に近い。1969年に発売され、わずか2台しか生産されなかったこともその理由の1つだ。これは意図的な制限であり、これほどのパワーとパフォーマンスを消費者が手にすることを懸念してのものであった。

C3コルベットをベースにしたZL1パッケージは、427立方インチ(7.0L)V8を使用している。公式の最高出力は430psだが、実際には500ps近いというのは周知の事実だった。しかし、このエンジンの魅力はそれだけではない。標準的なスチール製V8エンジン「L88」の重さに対する指摘を受け、アルミ製としたのだ。


シボレー・コルベットZL1(1969年)

新車当時、たとえZL1の存在を知っていたとしても、L88搭載コルベットの2倍以上の価格を支払うことになる。

ダッジ・チャージャー・デイトナ(1969年)

ダッジ・チャージャー・デイトナを、輝かしいNASCAR参戦履歴を利用した単なるマーケティング活動と切り捨てるのは浅はかだ。風洞実験によってボディ形状が決定された初期のクルマの1つで、バンク付きサーキットで最高速度320km/hに達した。

デイトナには、トランクから23インチ(584mm)上に位置する背の高い巨大リアウイングが装備され、空力的にも外観的にも大きなインパクトを与えている。フロントはポップアップライト付きのユニークなメタルノーズで、リアはフラットなウィンドウがエアロダイナミクスに貢献している。


ダッジ・チャージャー・デイトナ(1969年)

最高出力425psの440立方インチ(7.2L)V8を搭載し、0-97km/h加速で5.2秒、公道仕様では最高速度220km/hに達する。

フォード・トリノ・タラデガ(1969年)

トリノ・タラデガは、1969年初頭にわずか数週間のみ販売された。ダッジ・デイトナに対するフォードの対抗馬であり、NASCARを念頭に置いたホモロゲーション・スペシャルであった。タラデガという車名は同名のスーパースピードウェイにちなんだものである。

生産台数は754台と、レース規定を満たすのに十分な数であった。標準的なトリノに比べて空力的に優れたフロントエンドを備えているほか、ドライバーの着座位置と重心を低くするためにシルの形状も変更されている。


フォード・トリノ・タラデガ(1969年)

428立方インチ(7.0L)のコブラジェットV8を搭載するが、レース仕様にはマスタング・ボス429で別途ホモロゲーションされたV8が採用された。

プリムス・バラクーダ440(1969年)

プリムスはバラクーダに可能な限り大きなエンジンを搭載することで、当時最速のマッスルカーの1台を作り上げた。最高出力375psを発生する440立方インチ(7.2L)V8は、パワーステアリングポンプ、ブレーキサーボ、エアコンを搭載するスペースがないほど巨大で、バラクーダ440はいわば妥協の産物でもあった。このため夏場は辛く、また運転のたびに上半身のワークアウトになる……。

バラクーダ440のもう1つの問題はそのデザインで、存在感の薄い地味なものと見なされた。トランスミッションはATが標準だったことも、エンスージアストにとってはデメリットだった。発売1年で、約400台しか生産されなかった。


プリムス・バラクーダ440(1969年)

ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム(1969年)

皮肉なことに、ポンティアック・ファイアーバード・トランザムはレースシリーズから名を取ったにもかかわらず、レースに出るためのホモロゲーションを得ることができなかった。これは排気量が400立方インチ(6.6L)と大きすぎたためである。しかし、ポンティアックとしてはそれほど気にしなかったようだ。最高出力の公称値は335psだが、実際にはそれ以上のパワーを発揮した。

マンシー製4速MTが人気だったが、3速ATも用意されていた。カメオ・ホワイトの塗装にチロル・ブルーのストライプが入るなど、外観上のユニークな特徴もあった。1969年に生産されたのはわずか697台で、そのうちコンバーチブルはわずか8台しかなく、史上最も希少なトランザムの1つとなっている。


ポンティアック・ファイヤーバード・トランザム(1969年)

AMCレベル・ザ・マシーン(1970年)

1969年のSC/ランブラーの成功に刺激されたAMCは、1年限りのモデル「ザ・マシーン」を夢見た。セールスポイントはこのグルーヴィーな名前だけではなく、最高出力340ps、最大トルク59kg-mの390立方インチ(6.4L)V8により実現される、0-97km/h加速6.4秒、最高速度200km/hというパフォーマンスだった。

AMCは当初1000台のみを生産し、すべてホワイト塗装でボンネットにはエレクトリックブルーのストライプが入っていた。これが完売した後、さまざまなカラーリングとともに追加ロットが生産された。生産台数は合計2326台とされている。


AMCレベル・ザ・マシーン(1970年)

クライスラー300ハースト(1970年)

ビッグパワー黄金時代のマッスルカーとしてはあまり知られていない1970年型クライスラー300ハーストは、1年の販売でわずか485台しか生産されなかった。ノーマル状態で375psを発生する440立方インチ(7.2リッター)V8など、書類上は素晴らしい要素が揃っていたのだが……。

「ハースト」の名を冠し、ボンネットとサイドの縁取りはゴールドで仕上げられた。一体型のリアスポイラーも装備されている。しかし、不利だったのはその重量で、ほぼ2トン(4400ポンド)に達し、パフォーマンスを鈍らせた。その結果、生産台数は予定されていた2000台のうち、4分の1にも届かなかった。


クライスラー300ハースト(1970年)

オールズモビル・ラリー350(1970年)

車名とは裏腹に、エンジンは最高出力350psではなく、310psのV8を搭載している。マッスルカーの保険料高騰に対応すべく投入されたモデルで、0-97km/h加速7.0秒、1/4マイル15.27秒という控えめな性能となっている。

これでは一部のエンスージアストには通用しないため、他の面で目立たせる必要があった。そこでオールズモビルは、ボディだけでなくバンパーにも鮮烈なセブリングイエローのペイントを施した。


オールズモビル・ラリー350(1970年)

現在ではカラードバンパーが主流だが、1970年当時は人気がなく、多くのディーラーがラリー350の純正仕様のイエローバンパーを下位グレードのクロームメッキ品と交換した。それでも販売は厳しく、わずか3547台しか生産されず、買い手が見つからないまま1971年に入ってもディーラーには大量の在庫が残っていた。

オールズモビルW31(1970年)

オールズモビル・ラリー350の兄弟車であるW31は、1970年当時、もっと希少で無名のモデルであった。比較的小型のエンジンを搭載しているが、それでも350立方インチ(5.7L)V8エンジンの力強さは健在だった。最高出力325psを発生し、ハースト・コンペティション・シフター付きの3速MTで0-97km/h加速6.1秒を記録したが、最高速度は185km/hと控えめだった。

オプションとして4速MTが設定され、リアディファレンシャルのレシオも変更できた。改良型サスペンションが標準装備されたが、1年間の販売台数はわずか116台だった。


オールズモビルW31(1970年)

プリムスAARクーダ(1970年)

単年生産された多くのクルマと同様、プリムスAARクーダはレース用のホモロゲーションモデルとして誕生した。スポーツ・カー・クラブ・オブ・アメリカのトランザム・シリーズに出場するために作られ、2724台すべて5週間で完成した。

「AAR」の名はダン・ガーニー氏創設のチーム、オール・アメリカン・レーシング(All American Racing)に由来し、ガーニー氏もトランザム・シリーズにクーダで参戦した。このクルマの特徴は、ダックテールのリアスポイラー、リアホイールのすぐ前から出るサイドマフラー、一体成形スクープ付きのグラスファイバー製ボンネットなど。


プリムスAARクーダ(1970年)

340立方インチ(5.6L)V8により、0-97km/h加速を5.8秒、1/4マイルを14.4秒で走破する。

プリムス・ロードランナー・スーパーバード(1970年)

プリムス・ロードランナーも決して小さくはないが、スーパーバードはまったく異次元の車だ。まるで本棚のような巨大なリアウイングと、ヘッドライトをリトラクタブル化したエアロダイナミクス・ノーズを組み合わせている。

ボンネットの下には最高出力425psの426立方インチ(7.0L)V8が搭載されているが、これはエアロパーツと同様、NASCAR競技用のホモロゲーションだった。公道仕様の0-97km/h加速は5.5秒、最高速度は240km/hに達する。1年限定で販売され、その生産台数は当初の想定(1920台)を上回る2783台。


プリムス・ロードランナー・スーパーバード(1970年)

AMCホーネットSC/360(1971年)

他社がまだまだ巨大なマッスルカーに熱中している頃、AMCははるかにコンパクトなホーネットSC/360を開発した。既存の2ドアモデルを出発点として、最高出力245psの360立方インチ(5.9L)V8を搭載。パワーは他のマッスルカーより控えめかもしれないが、重量を抑えたことでパフォーマンス向上につながった。

ホーネットSC/360のハンドリングは、ライバルに比べて非常に優れている。1/4マイルは14秒以内だったので、ドラッグレースでも存在感を発揮した。しかし、AMCの狙いが消費者に理解されなかったこと、石油危機が迫っていたことが重なり、販売台数はわずか784台にとどまった。


AMCホーネットSC/360(1971年)

ダッジ・チャージャー・スーパービー(1971年)

オリジナルのスーパービーは1968年から1970年まで販売されたが、チャージャー・スーパービーは1971年にのみ販売された。新しいBプラットフォームをベースとし、チャージャーR/Tの下に位置する、より手頃なパフォーマンスモデルとしてラインナップされた。

とはいえ、340立方インチ(5.6L)から440立方インチ(7.2L)までのV8エンジンを搭載し、最高出力は275〜425psと十分に刺戟的であった。


ダッジ・チャージャー・スーパービー(1971年)

魅力的な価格設定、十分なパワー、充実した装備仕様、そしてボディに描かれた派手なグラフィックが相まって、販売に苦労することはなかった。1年で5054台が生産されている。

(記事は後編に続きます)