つまり、フワちゃんが面白いとされる部分の大半は、ただの子供っぽさからきているのではないでしょうか。

 あえて指摘するのもバカバカしい、放っておけという気持ちにさせる空白地帯でしか、フワちゃんというタレントは暴れることができないのですね。おそらく、彼女もそれを自覚している。

 そうした視聴者とフワちゃん自身、両者のネグレクトによってあの芸風は成立しているのです。

 フワちゃんは、炎上したYouTuberのローガン・ポールのように樹海の遺体を動画にあげません。そこまでの悪にはたどり着いていないし、そのつもりもないからです。

◆いつかはやってくる限界

 そうした大勢(たいせい)に影響のないところでのふざけた振る舞いをリピートし、増幅させることでキャラクターを強化している。

 それは、バラエティ番組でしか使えない錬金術のようなものだったのかもしれません。しかし、いつか限界がやってきます。

 今回の一件で、ネット上の冷めた、突き放すような批判がそれを示しているのでしょう。

<文/石黒隆之>

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。いつかストリートピアノで「お富さん」(春日八郎)を弾きたい。Twitter: @TakayukiIshigu4