Roberto Alagna(C)Gregor Hohenberg, Sony

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押しも押されもせぬオペラ界のスーパースター ロベルト・アラーニャ。昨年は映画『テノール!人生はハーモニー』にも出演し、話題をさらった。そのアラーニャが、18年ぶりに来日。プッチーニ没後100年を記念して、『THE GREAT PUCCINI』と題したオール・プッチーニ・プログラムでのオーケストラ付ソロ・コンサートを繰り広げる。

希代のスーパーテノールも今年60歳。円熟期を迎え、大好きな国、日本でこのエキサイティングなステージに挑む。来日を前に意気込みを語った。

プッチーニは間違いなく天才 そのオペラは”映画的な”魅力にあふれている

Roberto Alagna (C)Sony Music Entertainment

--今回のオール・プッチーニ・プログラムでは、初期のオペラ作品のアリアから時系列的にほぼ全作品のテノールアリアを歌われるということですが、聴きどころを挙げるとすると、どのようなところでしょうか。

すべてです! なぜなら、プッチーニのオペラはすべてが「物語」だからです。プッチーニのオペラは様々な人々が描かれており、まさにバルザックの「人間喜劇」のシリーズのようなものです。全作品のアリアを歌っていくと必然的に多種多様な人間が描かれることになるのです。そういう意味でも、一人のテノールが一晩にしてプッチーニが描いたあらゆるタイプのオペラ・アリアを歌うことは大きな挑戦であり、とても興味深いと思っています。

--アラーニャさんだからこそ実現可能なプログラムといえますね。

プッチーニのアリアを歌うということは、全般的に音楽的にも肉体的にもハードなものが要求されます。加えて、今回のプログラムを歌う難しさは、若い年齢の声に適している作品、たとえば『ラ・ボエーム』や『ジャンニ・スキッキ』そして『マノン・レスコー』のような作品から始まって、『トスカ』や『トゥーランドット』『西部の娘』などの、いわゆる成熟した声が求められるアリア群を一緒に歌い、さらに『蝶々夫人』のピンカートンのような役柄も一つの流れの中で歌うというところにあります。

私のキャリアはプッチーニとともに歩んできたといっても過言ではなく、40年間の歌手人生の中でプッチーニを歌わなかった年はないと言ってもよいくらいです。この挑戦は長いキャリアをともに歩んできたプッチーニという偉大なる作曲家へのオマージュでもあり、私自身が果たすべき使命だと感じています。それを日本の皆さまの前で御披露できるのが何よりも嬉しいですし、一つの挑戦に対して皆さまに評価を頂けたら嬉しく思っています。

Roberto Alagna (C)Sofia Philharmonic

--アラーニャさんが考えるプッチーニの音楽の美しさ、作品の魅力はどのようなところでしょうか?

プッチーニは間違いなく天才です。現代で最も上演されるオペラ作品をいくつかあげるとすると、その中には必ず『蝶々夫人』『トスカ』『ラ・ボエーム』などのプッチーニのオペラ作品があげられますね。それはなぜかと言うと、プッチーニの生みだす音楽はいつの時代にも褪せることのない普遍性とドラマティックな感情に満ちており、聴衆の心の琴線に触れる要素にあふれているからなのです。それは、ある意味で“映画的な”魅力に近いものと言っても良いかもしれません。ここにプッチーニの偉大さがあります。

さらに言い換えれば、それは自然な人間性の表現であり、どの人々の感情の中にも存在するドラマなのです。決して神話の世界のストーリーや歴史上の偉大な人物が登場するような大それた物語でなく、ごく普通の市井に生きる人々が描かれたものなのです。『ラ・ボエーム』も『外套』や『マノン・レスコー』もそうですよね。だから彼の音楽は一般の人々の心に触れるのだと思います。

--プッチーニの描きだすキャラクターは “人間プッチーニ” の姿そのものに肉薄するものでもありますね。

その通りです。特にプッチーニは女性たちに多くのインスピレーションを得ていました。彼が人生で出会った女性たちをモデルにしている作品もいくつかあります。プッチーニのオペラに出てくる男性たちは、どれもプッチーニ自身が自らに内包していた分身のようなものなのです。その姿は愛情深かったり、優しかったり、時に途轍もないプレーボーイだったり、野心に満ちていたり……。それらのペルソナが、ロドルフォだったり、マリオだったり、カラフだったりと、それぞれの登場人物に投影されているのです。それはある意味プッチーニの人生の断章そのものであり、プッチーニその人を語っていると思います。

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広い年齢のキャラクターを演じ、歌うこと

Roberto Alagna (C)Stella Vitchénian

--アラーニャさんは60歳を迎えられたわけですが、ロドルフォのような青年の役から始まり、幅広い年齢のキャラクターを演じ、歌うということにどのような思いを抱いていますか?

今回ロドルフォを歌う際、30年前、40年前に歌っていたロドルフォの姿とはもちろん違うはずです。でも、それは表現の方法や型などにおいての成熟や変化であって、私自身の中では、以前と変わることなく希望と情熱にあふれた一人の若き詩人の姿を表現できたらと思っています。それは『マノン・レスコー』のデ・グリューにおいても、『外套』や『蝶々夫人』、そして『西部の娘』においても、どの役柄においても同じことが言えると思います。

--ほとんど上演されることのない初期作品の『妖精ヴィッリ』や『エドガール』のドラマティックなアリアも歌われる予定ですね。

初期の二つの作品『妖精ヴィッリ』『エドガール』のアリアも含めることで、まさにプッチーニ作品、プッチーニという作曲家のすべてを発見できるように構成しています。『妖精ヴィッリ』は最初期に書かれた作品ですが、内容的にも密度が濃く、オーケストレーションにも厚みがあり、声楽的にもとても難しい作品です。続く『エドガール』のアリアも大変ドラマティックな作品です。この最初の二作品をお聴き頂ければ、若き日のプッチーニの才能の萌芽というものを十分に感じていただけると思います。

インタビューの様子

--数ある役柄の中で、アラーニャさんにとってどの役柄がご自身に近い姿でしょうか?

若い頃はやはり『ラ・ボエーム』のロドルフォに自分を投影していた部分がありますね。それは私が彼に少し似た人生を歩んできたからでしょうか……。最初の妻は私が29歳のときに病気で亡くなり、私も30歳でした。当時、ボエームの日常そのもののようにボヘミアン的な生活をしていて、希望や歌う喜びはあるけれども、お金がなくて。それでもお互いが一緒にいられることに喜びを感じていました。

もう一つは『つばめ(ラ・ロンディネ)』です。『つばめ』はプッチーニ作品において、あまり重要とは考慮されてないことが多い作品ですが、私はとても偉大な作品だと考えていますし、主人公にもずいぶん自己投影してきました。

ちなみに『蝶々夫人』のピンカートンはという役柄は、人間的にあまり評価されていませんが、私は彼のことを“裁く”という気持ちを持ったことはありません。なぜなら、仮に「私が同じ状況に陥ったら、一体どういう行動をとるのか?」ということは、実際にそうなってみないと分からないですからね(笑)。実際、私自身、ある登場人物を歌う際は、まずその役柄を自分自身の姿とオーバーラップさせて同一視しながら、「そういう感情は誰でも持ち得るし、こういう出来事も誰にでも起こり得ることだよね……」とグッと自分自身に寄せながら、その人物の中に入っていくのが私自身の役の掴み方です。

>(NEXT)日本は、世界でキャリアを築くための勇気を与えてくれた

日本は、世界でキャリアを築くための勇気を与えてくれた

Roberto Alagna 2 (C)Simon Fowler

--1990年に『椿姫』で初来日されそれ以降も何回か来日されています。アラーニャさんにとって日本はどのような存在でしょうか?

日本は大好きな国です。最初の『椿姫』で来日した際に共演した日本の音楽家の皆さんのプロフェッショナルな姿勢に心打たれました。その後、オペラだけでなくリサイタルなども開催しましたが、日本のコンサートホールは音響が素晴らしく、お客様がいつもあたたかく迎えてくださったことが嬉しかったです。

そして何よりも、デビューしたてのごく若い頃に日本に呼ばれたということが、私に世界でキャリアを築いていくための勇気を与えてくれました。まだ若かった私の可能性を信じてくれた日本の聴衆の皆さんや共演者の皆さんからあたたかい評価を得たことが、当時キャリアを歩み始めた私自身に何よりも大きな自信を与えてくれたのです。

--テノールとして長いキャリアを築き、そして今なお第一線で活躍され続けています。その秘訣は何でしょうか?

つねに勉強と情熱を持ち続けることです。そして健康も大事です。この仕事を始めた時に、自分の魂の中に燃えさかる炎を感じたものですが、その炎は40年たった今でもますます燃えたぎっています。

もちろんキャリアの中で、何度も難しい時期はありました。でも、そういう時期も自分がより良くなるための糧になったと感じています。長いキャリアの中では紆余曲折がありますが、それをいかにして自らの中で有益なものにしてゆくかということが大切なのだと思います。

Roberto Alagna (C)Stella Vitchénian

--今、円熟期を迎え、ご自身の声についてどのように感じていますか?

声は人生のように美しいものだと思います。それは肉体の変化にも似ていて、例えば写真を見ると20歳の自分や30代、40代の頃の姿がまるで違うように、声においてもその変化の過程はとても興味深いものです。

私はよくテノールのエンリーコ・カルーソの声を聴くのですが、彼の1903年頃の力強い声ももちろん好きですが、亡くなる前の一年前の1920年の声にはナイーブさが加わっていたように感じています。私はその声もとても愛しています。カルーソは48歳で亡くなっていますが、「もし彼が60歳まで元気だったらどういう声だったのか?」、「さらに経験を積んでどんな声になっていたのか?」ということを自分自身で歌いながら想像することがあります。

人生は難しい時もあれば、美しい時もある--それを声で表現していくというのが歌い手の使命だと思っていますので、すべてが興味深いと受け止めています。弱さもあれば、強さもある--それが人間の声の美しさなのです。

Roberto Alagna (C)Simon Fowler

取材・文=朝岡久美子