MIYAVI 撮影=菊池貴裕

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MIYAVIといえば“サムライ・ギタリスト”として、世界のステージでギターを掻き鳴らしながら叫ぶ姿は唯一無二。俳優になったときのスクリーンのなかでの存在感、さらには難民キャンプを訪れ、音楽を通して親善大使として活動する姿など、地球全域を舞台に戦いを挑み、活動を繰り広げている日本のアーティスト。マルチで全能、常に新しい扉をこじ開けていくカッコいいスーパーヒーローであるMIYAVIが、“二部作”としてリリースする3年ぶりのアルバム『Lost In Love, Found In Pain』で、これまで見せなかった新境地を自ら開拓。4月3日、まずはその前編となる『Lost In Love』を発売したMIYAVIに、今作の変化について直撃した。こんなMIYAVI、いままで見たことがなかった――。

――3年ぶりのアルバムはDuality=二面性がコンセプトということですが、このテーマを選んだ理由は?

いま3年ぶりって言ったけど、本当はこのアルバム自体、去年出そうとしてたんですよね。

――実際に作業も進行していたんですか?

ある程度デモはそろっていて。それで、いざ本チャンのレコーディングしようかってなった時に、“もうちょい時間かけない?”っていう話が出て。ちょうどレーベルも移籍して、アーティストとして次のステップへの作品を作るってなったときに、歌詞やストーリー全体の世界観も含めて、もっと突き詰められるんじゃないか、曲も、もっといろんな人とセッションをしていって、作品の世界観自体をもっと掘っていってもいいんじゃないか、となり、またそこからどんどん広げていった感じです。

――MIYAVIというアーティストとして、もっとパーソナルなところを含め、ディープなところを表現してみてもいいんじゃないかと。

そう。だから(アルバムの)コライトのリストを見てもらったら分かると思うんだけど、今回はたくさんの共作者やプロデューサーとセッションしています。 (次作の)『Found In Pain』も、また新たな製作陣が加わります。自分はアーティストとして、聴く人たちにとって勇気を与えられる存在でありたい。単純に言うと、MIYAVIを観たり、聴いたりして元気になってもらいたい、頑張って生きようと思ってもらいたい。これは、難民支援の親善大使としての活動にも通じています。

――ライブでも難民キャンプでも、音楽で生きる希望を与える活動をしてきてましたよね。

でも、それだけだと短絡的というか。言ってしまえば、“Be Strong!”、“Oh Yeah!”だけで終わっちゃうというか、“頑張って生きようぜ! それじゃ!”でオーケーというか。

――極論を言っちゃうと、そうなりますね。

MIYAVIのパブリックイメージも、そういうものがあるのかなって。ギター弾いて“Yeah! Let’s go!!!! 一つになろう!”って、いつもみんなを鼓舞してるみたいな。

――確実にありますね。

それと同軸で、例えば自分はロックスターとして官能的でセクシャルなパフォーマンスもする訳で。

――ファッションのポートレートではそういう部分が特に匂い立つ感じがしますね。

そこはいつもの自分とは切り離せないものだし。これは昔ね、俳優の綾野剛ちゃんが俺のライブを観に来てくれたときに言ってくれたんだけど、“MIYAVIちゃん、天使と悪魔が存在してるね”って。

――それ、めちゃくちゃ鋭いライブ評ですね。

そん時は、“なに言ってんだ?”って思ったんだけど(笑)。いま思えば、自分のステージにおけるポジティブなメッセージ性と、ロックスターとしての激しさや存在の仕方のギャップ、その振り幅の温度差をたぶん彼はそう表現したんだと思う。それで、今回アルバムを作るってなったときに、綺麗な部分も汚い部分も、光と闇じゃないけど、アーティストとして、人間としての一部分だけ切り取るんではなくて、できるだけ大きく多面体で表現したいと思ったんです。理性と本能。これってある種人間にしか持ち得ないものじゃないですか。そういう、人が持つ、持たざるを得ない二面性の狭間で揺れ動くバランスや葛藤など、精神的な部分も含めて、大きなテーマとして描きたいと思いました。

――なるほど。

『Lost In Love』、『Found In Pain』というタイトルになる前のアイデアとしてGemini(二面)という言葉やAndrogynous(両性具有)という言葉が出ていて、陰陽のマーク(太陰太極図)じゃないけど、そこまで自分のなかでPRIMITIVE=原始的な部分とREASON=理性的な部分を共存させたアルバムにしようと考えていました。

Lost In Love=愛の中で見失う。自分が愛するものの中で自分を見失うことのほうが多いんじゃないかと思って。好きなものに自分を捧げる過程の中で気づかないうちに自分で自分をコントロールできなくなる。

――それを二部作にして出そうという構想は?

やっぱり昨今の音楽社会、消費の仕方が昔よりもどんどん早くなってる気がしていて。告知の仕方もそう。告知したその日にリリースするとか、昔じゃありえなかった。僕的に新しい流れは受け入れているし、それに抗うつもりは毛頭ないんだけど、単純にこちらもじっくり味わいながら出したいし、みんなにも聴いてほしいなと。

――昔では考えられないですけど、いまはありますよね。

メディアの在り方が変わってくるのと同時に、リスナーの音楽の聴き方も変わってくるのは当然。なんだけど、やっぱり作り手の本音としては、すごく咀嚼をして、味わって感じてほしい。こちら側もそのプロセスをゆっくりと味わいたいですよね。だから、こういう(取材を受ける等の)プロモーションも、きっちり時間をかけて二部作のアルバムとしてやっていく。あと、なによりも二部作にすることによって、ストーリー全体に深みが出ると思った部分もあります。

――二面性をアルバム毎に分けることによって。

はい。テーマ自体、両極端なコントラストが大事な作品なので。

――ではその二部作を『Lost In Love, Found In Pain』というタイトルで表した理由は?

普通はこれ、逆だと思ってて。『Lost In Pain, Found In Love』、痛みの中で見失い、愛に包まれ救われるっていう。

――そう! まずそこがひっかかったんですよね。

でも、Lost In Love、愛の中で見失う。自分が好きなもの、人でも街でもモノでも夢でも、自分が愛するもの、言ってしまえば愛さざるを得ないもの。その中で自分を見失うことのほうが多いんじゃないかと思って。例えば、好きなゲームでも食事でも、恋愛でも、好きなものに自分を捧げる過程の中で気づかないうちに自分で自分をコントロールできなくなる。自分自身を見失うのって、そういうときのほうが多かったりするんじゃないかな。

――たしかに! そうやって自分で自分をダメにしていくというか。

自分もそうだけど、結局、自分自身を見つけるのは、Found In Pain、痛みの中。トレーニングもそうだし、苦しい時間のなかで本質的なものを見つけていく。そのなかでこそ削ぎ落とさなければいけないことや今やるべきことが見えてくる。もちろん苦しいし痛みが伴うから僕たちは避けたがるんだけど、逆に自分が進化するとか成長するという意味では、その痛みや苦しみというプロセスを経ないとたどり着けない。試行錯誤をして、苦しんでもがいて、その先にこそ新しい自分、新しい境地がある、そういった部分をこのタイトルでは表しています。

――MIYAVIさんらしさを感じる深い意味を含んだタイトルだったんですね。

物事って、昨日正しかったことが今日は正しくなかったりするじゃないですか。今なんて特にソーシャルメディアの普及で昔の発言も全部アーカイブにされる。結局、人の判断って、まわりの比較対象ありきで成立してる。欲求の変化に関して言えば、単純に例えば、いまお腹減ったと思ってレストランに行ったとしても、食べた後はその“お腹減った”という気持ちは消えてどこかにいってしまってる。

――お腹が減ったという欲求が満たされて。

そう。これって僕たちって自然にやってるけど、すごいドラスティックな変化だなと思う。さっきの自分と今の自分が全く別のことを求めてるってすごくないですか。時間や状態が変化することよって自分の気持ちや欲求が変化していく。それこそ、いまは正義だと思ってることが10年後には正義ではなくなっていたり。その逆も然り。10年前なら問題にならなかったことが、いまだと問題になったりする。物事を時間軸で捉えた時に、変化していくのは当たり前のことだから、その瞬間の一点だけを捉えて、僕たちは断言していくことはできない。変容していくものだというのがある種の答えなのかなと。これってまさに仏教的な考えですよね。気持ち、感覚的なものだけでなく、形あるものも全ては変わっていく。それらを包括して表現できるタイトルは他にはないかなってことで、このタイトルになりました。移りゆくプロセスや失う過程も肯定的に示せるという意味でも。

――総括すると、人間は変わっていくもの、それを肯定的に表した意味なんですね。

“人間だもの”じゃないけど(笑)、考えてみれば自分が昔いたDué le quartz(※MIYAVIが在籍していたヴィジュアル系バンド)でテーマにしていたのも同じ“二面性”で。

――バンド名自体が“二つの水晶”という意味で、人間が誰しもが持っている二面性をテーマに掲げてましたもんね!

決して特殊なテーマではなく、すごく普遍的というかアーティストとしてこれまでもこのテーマとは向き合ってきました。今回は、よりフォーカスして、いろんな角度から人間としての強さと弱さ、葛藤ともがいてる過程を描きました。なので歌詞はめっちゃ時間をかけました。

――そうなんですね。

子育てと一緒で、“それやっちゃダメ”って言うのは簡単だし、それが一番手っ取り早いんだけど、それでは子供たちは本当の意味で成長できない。親としては“そこは危険だから行っちゃダメ”って言いたいんだけど、行きたいならまず行かせてみる。そこで失敗して、初めて子供は気づいて、自分の肌で感じて、学んでいく。そこのさじ加減がすごく難しい。メッセージにしても一緒で “頑張れ!”って励まされても頑張れない人もいる。代わりに、自分が頑張る過程をどう提示するかによって伝わることもたくさんあると思っています。人生を肯定的に生きるというメッセージは(いままでやってきたことと)ブレはないんだけども、それを伝える表現として“弱い自分の姿”を投影したり、そこにあるストーリーと感情の起伏を描くことに今回は重きをおきました。まさに、それがアートが成し得る表現方法だと思うから。

――歌詞の描き方がこれまでと違っていたのは、そういうことだったんですね。

強さのなかに弱さは含まれてる。例えば実際、俺のなかにも常に弱い自分はいて、その弱さというものが、さらに強くなろうとするモチベーションの一つでもあります。だから、強さと弱さっていつも背中合わせで共存してる。その弱さを提示して、それにどうやって対峙していくのか、どう克服していくのか。そこのプロセスを表現することによって、核心のメッセージが浮き彫りになっていくのかなって。

立ち返った時、こういう音楽を必要としてくれてる人、こういう音楽があることで強くいられる人たちに届く作品を作りたいと思う。そこに尽きる。

――弱さにやられていく様子から克服するまでのプロセスが丁寧に描かれているからこそ、歌詞を含めた楽曲の世界観が『Lost In Love』はダークな印象をまず最初に受けたんですよね。

そうですね、基本ダークだと思います。頭のイントロから(笑)。

――そんな印象をもったアルバムもなかったし、こんな歌詞はいままで書いてこなかったですよね?

それこそ2枚あるからできるのかな、と思います。

――なるほど!

むしろ1曲だけだったら無理。アルバムっていう大きなキャンバス、しかもそれが今回は二部作っていうところで、曲ごとに違った色、白も黒もピンクも赤も描ける。そういう感覚です。あとは、やっぱり立ち返った時、こういう音楽を必要としてくれてる人、こういう音楽があることで強くいられる人たちに届く作品を作りたいと思っています。そこに尽きるよね。

――こんな自分の弱さまでさらけ出してメッセージを届けたいのは、ファンの人たちであると。

なので今回は楽曲の世界観、そこにすべての比重を置いて作りました。

――そこに振り切ったからこそ、いろんな作家さんとコライトしていったんですね。

そうですね。あと、自分でギター弾いてない曲もあるし。

――えーっ! そこもいままでと違う!

他の人が弾いたギターや普通にサンプリングされた音源も入ってます。ギターじゃなくてピアノで始まったりする曲もあるし。

――それぐらい楽曲の世界観にフォーカスして作ったということですね。

そう。あとは楽曲における自分の在り方も少し変わった部分もあると思います。今回はボーカルワークもすごく時間かけました。

――そこ、めっちゃ凄かったです。メインボーカルの声色のバリエーション、歌唱法、エフェクトの使い方。さらにコーラスワークも凄いんですよ。この作品!

やっと言ってくれた(笑)。こんなにボーカルに労力を使ったのは初めてかもしれない。いままではどちらかというと、じゃあここでギターでどう歌うか?みたいことにずっと時間かけてたから。それももちろんやってはいるけど、今はそこだけにこだわらなくていいかなって。いまの自分の心境としてはそんな感じです。

――え? それ大きな変化だと思うんですけど。なんでそんな心境に?

多分、リリックやメッセージを伝える中で(マインドは)ギタリストだけというよりも、アーティスト。フロントマンという意識が強くなってきたんだと思います。

――それは、THE LAST ROCKSTARSがサイドにあって。そこにギタリストとしてのMIYAVIがいるからじゃないですか?

いや、それはないかなあ。やっぱりどんどん歌の重要性は感じてきていたし。あと親善大使としてスピーチするときや、俳優として自分のメッセージを伝えたり、ボイスアクティングもしているなかで、声の鳴りの大事さ、重要性を再認識していて。例えば自分はフランク・シナトラ、アレサ・フランクリンのように“声推し”でいけるものは持ってないから。そこは自分の歌の表現の仕方、声の鳴らし方や息の使い方でカバーして表現の幅を広げていくしかない。今回いろんな歌い方、自分の声の切り取り方をチャレンジしました。「Eat Eat Eat」では、Aメロ後半とBメロ、サビ全部違う歌い方をしてみたり、ファルセットでの多重ハーモニーも自分でやってみたり。そういう意味では、いま、新しい境地にまた立とうとしてる気がします。極端な話、ずっとギターを持たなくてもよくなってきてる。

ギターのために楽曲を作る訳じゃない。やっぱり心に残る、歌いたくなる、踊りたくなる曲を作りたい。そういう意味では、ギターから自由になってきた感覚はあります。

――これまでも転機はいろいろありましたけど“ギター持たなくてもよくなってきた”発言は今回初めて聞いたので、ここに書いておきますね(微笑)。

ファンの子たちもそうだけど、カラオケ行ってなにするのかっていったら、ギター弾くんじゃなくて歌うじゃない? まあみんな歌いたい、踊りたい、なんだよね。結局は。そこは変な意味じゃなく、人間の根本的な部分でもあると思う。

――それは日本のファンだけではなく、世界のファンの人たちもそうなんですか?

みんなそうでしょう。やっぱり歌いたい、踊りたい。ギターはもちろん自分にとっては強いアイデンティティだし、サウンドとしても自分の象徴ではあるんだけど、やっぱり楽曲やメッセージをよりブーストさせるものであって、必ずしもギターが主役ではないんだよね、悲しいかな。これだけの人数とコライトすると、いろんな人のエッセンスが入ってくるから普通はしっちゃかめっちゃかになる。なので、ソロアーティストって大体、ビヨンセでもカニエ(・ウエスト)もデヴィッド・ボウイもパートナーによっていろんな方向にいくことがある。実験的であると同時にサウンドの継続性という点では難しい部分もある。自分の場合、そこで“自分のワールド”として存在できるのは、自分のギターが核としてあるからだと思う。だけど、ギターのために楽曲を作る訳じゃない。やっぱり心に残る、歌いたくなる、踊りたくなる曲を作りたい。そう意味では、ギターから自由になってきた感覚はあります。良い意味で。

――そこはすごく意識が変わったところだと思いますね。

その結果、俺じゃないギターがいても音やフレーズが良ければいいよねって。自分自身のポジショニングが変わっていってると思います。

――ギタリストからフロントマンへと。

ボーカリスト、メッセンジャーに変わっていってるのかなと。

――メッセンジャーという意味では、これまでもたくさん言葉でエールを送ってきたMIYAVIさんですが、今作ほど精神性、内面をディープに掘り下げながらメッセージを書いた作品は、過去にはなかった気がします。

ここまで深く掘り下げられてなかったのかも。海外で戦うというのを念頭に作品を作ってたし、ギターミュージックとしてどうあるべきか、ギターでどう歌うか、ギターでどこまで聴いてくれる人を鼓舞できるか、あとはどうライブでみんなと楽しめるか。そういうことが重要だったから。だけど、それも自分の内面、弱さに一度フォーカスを当てないと、自分とは対峙できない。自分が持つ強さも光らない。そういった意味で今回のプロセスは必然的なものだったと感じています。

共存社会の中で、どっかで繋がって、どっかで依存しあってる。そこが強さでもあり、弱さでもある。人間1人のはずなのに人と繋がってることを感じたら安心する。

――なるほど。それでは、ここからはアルバムの楽曲について掘り下げていきたいと思います。先行配信シングル「Broken Fantasy」。こちらはギターリフに合わせて独特な首振りダンスのパフォが、この曲にキャッチーさを与えてくれていると思うんですが。あの振りはMIYAVIさん?

はい。なんか動きに関しては、すでにあるというか。自分の中に、本能的なものとしてこうかなっていうのが存在してる。やっぱりビートを聴いたら踊り出すのは本能的な行動なのかなと。

――これ、会場に集まったみんなでやったらインパクトありそう!

みんなやるかなぁ(笑)。

――この曲のすぐにも歌いたくなるような掛け合い、コーラスパートはライブを意識して作ったんですか?

はい、そこはコライトしていくなかで生まれた部分だけど、まず選曲の基準としてライブ映えする曲というのはありました。他のデモ楽曲の中にも普通にギターがカッコいい曲もいっぱいありましたが、基本、結果残ったものは画が見える楽曲。なかでも「Broken Fantasy」は思い入れがある曲で。(アルバム1曲目の)「Intro」で愛の中で見失う、その愛は人でありモノであり場所でありということを描いていて。2曲目の「Broken Fantasy」では、そしてその幻想は壊れたと。

――冒頭からそう言い切ってしまうんですよね。

これは夢に翻弄される自分。自分が追いかけてる夢っていうものと、女性を掛け合わせて表現しています。自分が追いかけてる時にしか振り向いてくれない。その追いかけてるプロセスに、自分がどんどん溺れていってしまう。ある種すごくマゾヒスティックだけど、これは恋愛に限らずあると思っていて。苦しいプロセスを自ら望むところは自分にもあるから、そういうことを歌った曲です。最終的に《幻想を壊したのは僕自身だったんだ》と言ってるところは、夢を諦めたともとれるし、夢を現実にしたともとれるように含みを持たせています。

――「Eat Eat Eat」はまさに自分のなかにある二つの顔がせめぎ合っているところが描かれています。

普段は気にしてなくって、例えば子供を起こす時とかに思うんだけど、夜寝る前は“寝たくない”って散々言ってるのに、朝起こすときは、“起きたくない、もっと寝たい”っていう(笑)この状況の変化って単純にすごいなって。自分の欲求がスイッチする瞬間。時に理性を本能が食い尽くしてしまう。その逆もしかりで。その対比を表現した楽曲です。

――次の「We Stay Up All Night (La Da Da Da)」はゾンビダンスを一緒に踊って、みんなで一丸となって歌いたくなるナンバーでした。

これと次の「Real Monster」は対になってる曲で、自分の心の中にある闇との対峙の仕方。誰かと何かを共有することで、自分は取り残されていないと感じられる。僕はとくにライブをするときにそれを感じるし、逆に言うとそこにやめられないライブの魅力があるのかも。

――自分は1人じゃないんだ、と?

うん。結局人ってそこじゃん? みんな共存社会の中で、どっかで繋がって、どっかで依存しあってる。そこが強さでもあり、弱さでもある。人間1人のはずなのに人と繋がってることを感じたら安心する。ソーシャルメディアもそうだよね。孤独への不安と共存することの喜びを「We Stay~」では書いてるかな。ライブでみんなが歌ってる画が見えます。

自分にとってもアーティストとしての新しい境地やから、そのプロセスを楽しんでほしい。昔のMIYAVIを好きだった子も、最近“サムライ・ギタリスト”として知った人も楽しめるだろうし。

――「Real Monster」はファルセットを使った歌で幕開けするところに衝撃を受けました。そこからラップ的に言葉を詰め込んだり、呪文を唱えていくと、最後は歌にエフェクトをかけてどんどんモンスター感が増していくような音像処理も面白かったです。

そういうことでいうと、「We Stay~」に戻るんだけど、これの(2Bの)《We don't wanna sleep》のところで1~2拍空けていて……。

――そう! 歌詞に合わせて。

さっき言わなかったじゃん(笑)。

――すいません(苦笑)。別にゾンビやモンスターが出てくる訳ではないのに、そういう音像に怖さを感じるのは、歌詞が自分と対峙しているからなんですかね。

結局怖いものの大部分って、自分のイマジネーションなんだなって。自分で怖いものを想像して作り出してる。要はそれとの対峙、それをどう乗り越えるか。自分もちっちゃい頃から、なにかが自分を見てるような感覚がずっとあった。それは明るい自分からしたら暗い自分なのかもしれないし、暗い自分からしたら明るい自分なのかもしれない。自分とは違う自分がどこかに存在してる感覚はずっとあった。みんなあると思う。いまこうやって俺としゃべってるときと、1人でお惣菜買いに行ってるときでは違うでしょ?

――お惣菜って(笑)。

お惣菜買う時にそんな笑ってないでしょ? 笑ってたら逆に怖いし(笑)、上司と喋るときと恋人と喋るときではやっぱりどこか違う面がある。

――それはほら、TPOに合わせて。

違う自分を使い分ける訳でしょ? そういうなかで、自分にとって弱い自分というのは一番コントロールできない自分であり、そこに対しての恐怖。その象徴を“怪物”と表しています。最終的に結局、その怪物は僕自身だったという歌。

――次の「Mirror Mirror」、これはライブ映えしそうなナンバーですね。

そうですね。でも、あまり俺はこれ歌いたくないです。

――えー! なんでですか?

ちょっと暗すぎ(笑)。

――言い方(笑)。歌、ギター、オーディエンスの合唱の三位一体感。そのバランスが抜群にいいなと思った曲なんですけどね。

これも少しキーを下げて作っています。ウィスパーっぽく歌いたくて。いままでは叫んでなんぼだったんだけど、それももういいやと思って。叫び疲れた(笑)。この曲は“鏡“がモチーフで、まさに弱い自分との対峙。どれだけ自分が嫌いで憎んでいても、あきらめることはできない。自分をやめてしまうことができないから、苦しんでる。

――悲鳴から始まる「Dancing With The Dark」も。

歌詞は“闇と踊る”という意味で、これも自分の作りだす恐怖との対峙を歌っています。このギターアルペジオとかはプロデューサーの持ってきたアイデアです。

――ピアノだけのアウトロで終わったあと、次の「Tragedy Of Us」に入るところもよかったですね。こちらは心に沁みるようなメランコリックナンバー。これを張らない声で歌っていくところがよかったです。変な言い方ですけど、スターではない側面のMAYAVIさんの独白を聴いてるような気持ちになりました。

これもキーを下げて、このレンジでのボーカルワークにチャレンジしてみました。いいメロディーなんだけど、長い。ていうか、歌うパートが多い(笑)。少し前に、血のりつけた写真があったと思うんだけど(※「Broken Fantasy / Tragedy Of Us」ジャケット写真) あれは自分で自分の首をしめてるイメージでした。平和と暴力もそう。些細なことから大きな摩擦につながったりする。イスラエルとパレスチナの問題にしても、すごく無力感を感じながらも憤りを感じています。この歌自体の物語は「ロミオとジュリエット」なんですが、悲劇なのは二人のせいじゃない。彼らが普通に渋谷のセンター街で出会ったら結ばれてる訳じゃない?(笑) 結局、先祖のモンタギュー家とキャピュレット家のカルマで彼らは結ばれない。これっていまの難民問題や核廃棄にも言えるんですが、ロヒンギャ難民にしても現地だけの問題ではなくって、元々そこに住んでいた人たちを分断した先進国が残した問題であって。今から何代も上の話なんだけど、それが解決されてないから、次の世代に繰り越される。これは核の問題も、水、GMO(Genetically Modified Organism/遺伝子組み換え作物)も一緒で。結果、長い目でみると、そうやって自分たちで自分たちの首をしめてるというのを表現した写真で、この曲もそういうことを歌っています。カルマから逃れられずに、傷つけあってしまう自分たち。そんな歌です。

「Broken Fantasy/Tragedy Of Us」ジャケット写真

――すごい! 自分の悲劇から世界の悲劇の連鎖まで見えてくるという大きな歌詞なんですね。

自分にとってもすごく深い歌。なので、歌いずらい(笑)。

――これから慣れてください(微笑)。そうして最後が超メロウなバラード「Last Breath」。吐息を混ぜた歌い方、ファルセット、妖艶なフェイク、エアリーなコーラス。いままで見たことがないようなMIYAVIさんがたくさんいました。このまま最後の吐息を吐いたあと、死んでいくのかと思いましたよ。

いろんな意味で死にました(微笑)。楽曲的には、ほぼほぼデモのまま。いままでだったら出だしのピアノをギターに入れ替えとかもしてたんだけど、これはコントラストとして逆に前半は何も入れないおこうと思って。吐息を吐いた瞬間に凍りつくような静寂から、サビで暴風雨が吹いて全てをさらってしまうようなイメージでギターを弾きました。

――なす術もなく無慈悲なその感じをギターで表現してるところもエモーショナルでした。

この曲のテーマは決別。人でもモノでもそうだけど、捨てられないものってあるじゃないですか? そことの決別。それは、命ある生との決別ともとれるし、未練との訣別でもある。そういう決別する瞬間の美しさと切なさと危うさみたいなものを表現した曲です。これは俺、ライブですごいやりたい。

――演奏が終わった瞬間、呆然と立ち尽くして客席は天に召されそうですけど。

この曲がなかったら「Intro」みたいなインタールード的なものを最後につけてたと思う。この曲があったからこれで終われるなと思いました。

――このエンディングがどう次の『Found In Pain』につながっていくんですか?

知らん(笑)。これから頑張ります。

――『Lost In Love』、ファンの方々にはどんな風に楽しんでもらえたら嬉しいですか?

自分にとってもアーティストとしての新しい境地やから、そのプロセスを楽しんでほしいです。昔のMIYAVIを好きだった子でも、最近“サムライ・ギタリスト”として知った人も楽しめるだろうし。そういった意味では、自分のなかでは大きな作品だし、残る作品になるものだと思ってます。

――この二部作と5月8日にリリースされる『コードギアス 奪還のロゼ』のテーマ曲になったシングル「Running In My Head」は、まったく別もの考えた方がいいんですか?

もちろん『コードギアス 奪還のロゼ』のストーリー、楽曲の持っていきかたのイメージを聞いた上で作った曲だけど、テーマや世界観としては一緒で、そんなにかけ離れてはいないです。

――楽曲的には、この曲が一番ギターサウンド全開でしたよね?

こういう仕事のほうが激しい曲を作りがち? そういうものが求められてるからっていうのもあるのかも。この曲も含めて、今回のアルバムの楽曲はどれもすごくライブでも映えると思うから、みんなと一緒に大声で歌えるのを楽しみにしています。


取材・文=東條祥恵 撮影=菊池貴裕