K-POP MCの古家正亨さんと日本人K-POPアイドルの高田健太さん/ 撮影=ヤナセタマミ/ヘア&メーク=NAO(高田)、荻堂優花(Artesano・古家)

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4月2日に「BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち」を出版した韓流ナビゲーター・古家正亨さんと、1月に「日本人が韓国に渡ってK-POPアイドルになった話。」を出版した日本人K-POPアイドル・高田健太さん。高田さんの著書内で実現したお二人の対談企画より、書籍未掲載部分を公開いたします!K-POPの傍観者と当事者、それぞれの視点からK-POPの過去と未来について深く語ってもらいました。

【写真】K-POPの未来について語る古家正亨さんと高田健太さん

■ファン目線として“K-POPは韓国で韓国人が作るもの”っていうイメージがあった

――お二人の最初の出会いは、いつですか?

健太:僕はもう、直接お会いする前から一方通行でステージの上にいる古家さんのことは見てました。一番最初は確か、BEAST(現:HIGHLIGHT)さんのファンミーティング。客席のファンを指名するみたいなコーナーで、ギグァンさんが僕を指名してくれたんです。

古家:覚えてますよ!あれって、指名されたんですか?

健太:はい、あれが僕です(笑)。その時に、古家さんにも「あそこの男の子」みたいに言われてます(笑)。

古家:そうだったんですね。その時から、既にアイドルを目指してたんですか?

健太:目指してましたが、韓国に行くつもりはなく日本で目指そうと思っていました。というのも、やっぱりその当時はまだK-POPアイドルを目指すルートみたいなものが明確ではなかったんですね。10代ということもあり、そういう部分で悩んでました。

古家:確かに、その頃はまだK-POP第2世代(※K-POPを大きく年代分けした場合の、2000年代前半〜2010年代前半を指す)で、本当にごく限られた人だけが韓国に渡っていた時代。自ら門を叩くか逆オファーを受けるか、そういうパターンしかなかったんですよね。

健太:そうですね、オーディションとかもほぼ非公開だったし。

古家:しかも、当時は就労の問題がありました。外国人が出られるメディアは限られていて、事務所としても年間で何社かとしかお仕事できないといった縛りがあったんです。そんな中、タイ出身メンバーのニックンがいる2PMがある種のブレイクスルーとなって、第2.5世代ぐらいから外国人が活躍しやすくなりました。それでも日本人はまだ少なかったですし、当時のK-POPファンって今に比べると外国人メンバーに対する関心が低くて、特に日本人がK-POPグループにいることに対して魅力を感じない方が多かったように思います。

健太:わかります。僕もファン目線として“K-POPは韓国で韓国人が作るもの”っていうイメージでしたし、そのほうが魅力を感じるというのがファンの中でもどこかしらであったんだと思います。

古家:その後、それこそ第3世代(※2010年代前半〜2019年頃)のTWICEとかが出てきた頃からすごく風向きが変わってきた中で、健太くんもうまくその潮流に乗れた部分はあったんじゃないですか?

健太:そうなんですかね?僕が韓国で「PRODUCE 101 Season2」に出演したのが2017年でした。その前年、2016年にやっていたガールズ版のSeason1には日本人の方が2人出てたんです。それがちょうど僕が韓国に渡ったくらいの時で、すごく勇気をもらったんですね。だから「次もあったら絶対にこの番組に出たい」と目指すようになりました。そしてありがたいことにSeason2に出られることになったんですけど、それがたまたま日本人は1人だけだったっていう。

古家:それは、韓国に渡ってどれくらい経った時期だったんですか?

健太:ちょうど1年ぐらいです。

古家:結構かかったんですね。

健太:その後、番組内でデビューすることはできなかったですが、派生グループの「JBJ」としてデビューすることができました。まさか派生グループができるとは思ってなかったですし、それをファンの方が作ってくれて、しかも大手2社がやりたいと言ってくれて…本当に信じられなかったです。結果的に多くのファンの皆さんから熱い応援をいただきました。そして、JBJとしてデビューした状態で古家さんにMCをしていただいたわけですよ。僕は本当にあの時、一つの夢が叶ったと思ったんです。K-POPアイドルにとって、古家さんという存在はなんていうか…

古家:お父さん?(笑)

健太:一緒にお仕事した後はお父さん的存在になっていくけど、最初は“K-POPアイドルが夢見る存在”なんですよ。

古家:あはは(笑)。

健太:これは本当に、盛ってるとかじゃないですよ!(笑)みんな言ってますから。日本人メンバーに限らずK-POPアイドルの子たちにとって、日本で活動する時の古家さんという存在は、芸能人が芸能人に憧れるみたいな感覚があるんです。古家さんがKARAさんや少女時代さんの日本での活動を支えてきたことが、後の僕たち第3・4世代のK-POPアイドルにとってのベースを作っていただいたと思ってるので、JBJで古家さんとご一緒するってなった時にめちゃくちゃ緊張しましたし、嬉しかったです。

古家:それを最初に言われた時、すごく嬉しかった記憶があります。

健太:それに僕、以前はスケジュールの時にナイーブになってしまうタイプだったんです。サンギュンと二人で活動するようになってから、会社のミスとかもあって余計に神経を使わなくちゃいけないことが増えたりして。それで現場でもピリピリしていた時に、古家さんのほうから「大丈夫?」「最近どう?」と声をかけていただいて、これじゃだめだって気付けたんですね。ずっと見ていた古家さんから先に言っていただいたことで、僕の中で解けた部分がありました。

■それぞれの立ち位置を見つけていく過程を見ていると、本当に涙が出ます

――最近、K-POP界で活躍する日本人メンバーが増えています。お二人は、この現状をどのように見ていますか?

健太:僕が2017年にデビューするまでは本当にまだまだ少なくて、注目を浴びることも多かったんですよね。でも、ちょうどコロナ禍だった2020年には、日本人だけで1年間に約20人がデビューしたと聞いて驚きました。第2・3世代(※2019年頃まで)にデビューした日本人を全員合わせても10〜15人らしいので、これは本当に戦国時代になったなと。逆に言えば、フラットにはなってると思います。僕がデビューした頃の外国人メンバーは、よく言えばチヤホヤされる枠、悪く言えばできない仕事もあったりして区別される枠。でも今はそこがフラットになって、外国人とか関係なくできるお仕事も増えてるだろうし、そういった意味でも戦国時代だなってすごく思います。

古家:最近見てて思うのが、日本人メンバーでも韓国語がもうネイティブレベルですよね。それはつまり、外国人メンバーであっても、あくまでK-POPのアイドルグループを構成する要員の一人としか見られなくなったということで、それだけ求められてるレベルも上がっていると思うんです。パフォーマンスにしても、以前だったら韓国語が苦手な日本人は歌のパートが少なめで、その分ダンスの見せ場が多いみたいなこともあったけど、今はもうちゃんと歌えて当然、踊れて当然、トークも韓国語でちゃんとできて当たり前みたいな。健太くんが「戦国時代」と表現していたけど、できて当たり前になってるというのはすごく大変なことだろうなと思います。ただ、やはり「外国人だから」というのも未だにいたるところで感じますね。

健太:これは本当に話しづらい部分でもありますけど、音楽と国の問題は分けて考えたいという人はすごくたくさんいて、ただそれってやっぱり理想論にはなっちゃうと思うんです。日韓関係が悪化した2019年には、そういった情勢的な理由で、僕も決まっていたレギュラーがキャンセルになるということがありました。その当時ってタクシーで日本語を喋っただけで悪口を言われたり、コンビニに行ったら「NO JAPAN」のステッカーが貼ってあったり、すごく肩身が狭くなった状態で「僕たちがここにいていいのか」みたいな環境だったんです。でも今は逆に日本ブームで、多くの韓国人が日本食や日本の文化、J-POPが好きっていう日本に対して好意的な状況において、日本人K-POPアイドルとして活動することはもはや特別視されないというのをすごく感じます。

古家:あと、僕がMCなどの仕事をしていて不思議だったのが、K-POPグループに外国人メンバーを入れるそもそもの目的っていうのは、外国での活動を見据えた一つの方法論だったわけじゃないですか。例えばタイに行ってタイ語で話せるメンバーがいることによって活動しやすくなるわけで、日本市場なんて特にそうですよね。だけど、第3世代ぐらいからその風向きがすごく変わったような気がしていて、日本活動においても、逆に日本人メンバーが積極的に喋らなかったりするんです。多分、各芸能事務所の戦略だと思うんですけど、そうなってくると日本人メンバーは「自分がどういう立ち位置にいるべきなのか」を、表には出さないけど悩んでいたんじゃないのかなと思います。

健太:僕も、立ち位置に悩んだことはありました。僕がきっかけでK-POP好きになったというファンの方もたくさんいらっしゃって、本当にありがたいことなんですけど、でも推しは僕じゃないってことが多くて。それがすごく悲しかったし、こんな頑張ってるのに…と悩んだりもしました。でも、僕をきっかけにグループを知ってもらうことで結果的には自分のためにもなると思えた時に、それがすごくプラスに動いて。KENTA・SANGGYUNでは日本人と韓国人しかいないから、僕がサンギュンを生かす立場になろうと考えるようになってからは、MCのやり方も変わりました。基本は僕が喋るけど、面白いところや可愛いところは全部サンギュンに振る。僕は全体のMCとして印象に残るだけでいい思ったら気持ちもすごく楽になったし、結果的にそれがいい方向に転んだので良かったなと思っています。

古家:こういう苦労もあるんですよね。

健太:でもこれって1対1だからできることであって、グループの人数が増えて5対1とか6対1になると、ただ単に日本人がMCをやってるという見え方になっちゃう。違うグループの子たちは、また違う大変さがあると思いますね。

古家:きっと日本人メンバーのみんなは、それぞれの立ち位置をデビューと同時には見つけられてないんだと思います。その立ち位置というものを、それぞれが置かれている状況の中で見つけていく過程を見ていると、本当に涙が出ますね。ただでさえ外国人として韓国に行って苦労しているのに、更に苦労しなきゃいけないわけですから。そういうことを、最近つくづく感じています。

(後半に続く)

※高田健太の「高」は「はしごだか」が正式表記