東洋大学陸上競技部の酒井俊幸監督(左)と瑞穂コーチ。長距離選手とともに競歩選手を指導、世界大会でのメダル獲得など着実な成果をあげている【写真:編集部】

写真拡大 (全2枚)

東洋大学陸上競技部(長距離部門)酒井俊幸監督&瑞穂コーチインタビュー後編

 大学陸上界では珍しい指導者夫婦がいる。箱根駅伝の常連校で通算4回の優勝を誇る東洋大学陸上競技部を2009年から率いる酒井俊幸監督と、監督補佐としてチームを支えながら18年から競歩選手を指導する妻の瑞穂コーチだ。今回の第100回箱根駅伝でも東洋大は下馬評を覆して総合4位となり、19年連続シード権を獲得している。夫婦揃って日本を代表する多くのランナーを育て、世界の舞台を見据えて指導を続けているが、インタビュー後編では、箱根駅伝優勝に3度導いた長距離陣の指導とともに、競歩選手を育ててきたメリットを明かした。五輪メダリストも輩出した競歩で得られた学びは長距離の指導にも生かされており、選手の「世界」を目指す意識の高さにもつながっているという。(取材・文=牧野 豊)

 ◇ ◇ ◇

 第100回大会で82回目の箱根駅伝出場となった東洋大学。2009年に酒井俊幸が監督に就任して以降、「世界」を意識して取り組む選手が増えていったが、それは「先んじて世界大会で活躍していた競歩勢の影響が大きかった」と振り返る。

 実は酒井監督、就任して間もない頃から長距離選手と一緒に競歩選手を指導してきた。

「東洋大学は伝統的に競歩の強豪でしたが、専任コーチが常駐しておらず、国際大会の代表を狙うレベルの選手でも外部クラブに練習に行くことが多かった。それならチームとして、長距離と一緒に練習したほうがいいのではと考えたのがきっかけでした」

 走る、歩くの違いはあるが、長い距離で速さを競う点に親和性はある。学校で練習できれば移動の負担も減り、何より同世代の選手たちと一体感を持って練習に取り組める。栄養指導や身体測定、フィジカルトレーニングなどを合同で行い、個別に行うメイン練習も長距離陣と同じタイムスケジュールを組んだ。

 2012年には当時2年生の西塔拓巳が20キロ競歩でロンドン五輪日本代表となり、翌年のモスクワ世界陸上選手権では6位入賞(後日、5位に繰り上げ)。ともに練習している仲間が世界で活躍する姿は、チーム内で良い刺激となり、選手の視線は高い位置に引き上げられる。設楽悠太(2014年卒/マラソン元日本記録保持者/西鉄)、服部勇馬(2016年卒/東京五輪マラソン代表/トヨタ自動車)らは、その流れの中で自然と世界を意識するようになっていったという。

 2016年リオデジャネイロ五輪では当時4年生の松永大介(現・富士通)が20キロ競歩で7位に入り、五輪では日本人史上初の入賞を果たした。

走ることが禁止の競歩で「走る要素」を取り入れた練習を実施

 競歩の元選手であり高校の指導者だった妻の酒井瑞穂は、夫の松永に対するアプローチ方法を新鮮に捉えていた。

「当時、オリンピックの20キロ競歩で入賞するのは日本勢にとって至難のレベルでした。その中で入賞を目標に掲げ、ラスト5キロのラップタイムを明確にし、そのタイムから逆算した練習を組んでいました。それを見て、長距離的な発想だなと感じたことを覚えています」

 練習内容も斬新だった。ざっくり言えば走ることが禁止されている競歩で「走る要素」を取り入れたものだった。酒井監督は「一部の指導者からは『それはないだろう』と笑われたこともありました。でも私自身は競歩の専門家でなかったので、目標達成のためにも思い切り試してみました。結果的にそれが形になったと思います」と回想しつつ、松永への指導は箱根駅伝における考え方がベースになっていたと説明する。

「第87回(2011年)に早稲田大学が箱根駅伝で初めて11時間の壁を破り(10時間59分51秒)、その翌年にうちが10時間51分(36秒)まで行き、総合優勝の基準が1キロ3分を切るペースとなりました。基準が変われば、求められる技術的な要素も大きく変える必要が出てくる。現在では1キロ2分55秒を切らないと、総合優勝に届かない時代となり、なおさら技術面での探求が必要です。競歩の指導の時も、そういう考え方で取り組んでいました」

 とはいえ、競歩はベントニー(地面に接地する足側の膝が曲がる)、ロスオブコンタクト(両足が同時に地面から離れる)など違反行為が設けられており、歩型(フォーム)に制約がある。それだけ繊細な指導が求められるが、酒井監督は違和感なく指導にあたることができたのだろうか。

 その疑問に、瑞穂が答えてくれた。

「夫は以前、競歩は芸術、という言い方をしたくらい、競歩のことが好きだと思います。動作分析をよくするので、どのような動きをしたら速く歩けるのかなど、私が大学で競技をやっている時から質問を受けていました」

世界大会にも同行、競歩の指導は「長距離以上に難しい」

 競歩、長距離、短距離など、どのような動きで速く進むことができるのか――。酒井監督はそうした探究心を、指導者になる前から持ち合わせていたと言える。

 2018年以降、競歩の指導は正コーチに就任した瑞穂が中心に行い、川野将虎は世界陸上で2年連続、池田向希(ともに現・旭化成)は東京五輪と世界陸上でメダリストとなったが、酒井監督も現場に足を運び、進化する世界の動向から多くのことを吸収している。

「競歩の指導は、長距離以上に難しい。ちょっとした声がけでも、すぐに歩型が変わってしまうからです。その点、私が指導していた時は相談相手として妻の存在は大きかったですし、競歩の指導で学んだことは、長距離の指導に還元している部分はあります」

 夫婦で取り組む長距離と競歩の指導は、学生たちにとって「世界」への道標となっている。(文中敬称略)

■酒井俊幸(さかい・としゆき)

 1976年5月23日生まれ、福島県出身。学法石川高(福島)2年時に全国高校駅伝に出場。東洋大学時代は1年時から3年時まで箱根駅伝に出走し、2年時はシード権獲得に貢献。4年時は出走できなかったが、主将としてチームを引っ張った。卒業後はコニカミノルタに入社し、全日本実業団駅伝では2001年からの3連覇の中心選手として活躍を見せた。現役を引退し、2005年4月から母校である学法石川高の教諭に。2009年4月から母校・東洋大学陸上競技部(長距離)の監督となり、以来、箱根駅伝では総合優勝3回を含む10年連続総合3位以内の成績を残したのをはじめ、次回大会まで監督就任以来16年連続出場を継続中。学生三大駅伝の出雲駅伝(2011年)、全日本大学駅伝(2015年)でも大学史上初の優勝を飾っている。2017年まで指導していた競歩選手、長距離の卒業生を含め、五輪や世界陸上の日本代表選手を輩出している。

■酒井瑞穂(さかい・みずほ)

 福島県出身。旧姓・佐藤。福島西女高(現・福島西高)時代に国体3000メートル競歩で6位入賞、日本女子体育大学では日本学生選手権5000メートル競歩で2年連続入賞を果たしている。大学卒業後は福島県で公立高校の教員となり、国体の福島県チームの強化スタッフを務めるなど、高校生選手の育成にあたり、教え子のなかには東洋大に進学した2003年パリ世界選手権20キロ競歩に出場した松崎彰徳がいる。2003年に結婚後も仕事を続けていたが、2009年に俊幸が東洋大学監督に就任すると、教員職を辞し、家族で埼玉へ。東洋大学では監督補佐の立場で、主に選手たちの日常生活の指導を担当。2018年からは競歩コーチの肩書きも加わると、東京五輪銀メダルの池田向希と世界陸上2大会連続メダル獲得の川野将虎(ともに現・旭化成)を指導し、現在まで指導者として国際大会でメダル8個を獲得している。

(牧野 豊 / Yutaka Makino)

牧野 豊
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「NBA新世紀」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。