東洋大学陸上競技部の酒井俊幸監督を支える妻の瑞穂コーチ(右)。陸上指導者の同志として自宅でも意見をかわしているという【写真:編集部】

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東洋大学陸上競技部(長距離部門)酒井俊幸監督&瑞穂コーチインタビュー中編

 大学陸上界では珍しい指導者夫婦がいる。箱根駅伝の常連校で通算4回の優勝を誇る東洋大学陸上競技部を2009年から率いる酒井俊幸監督と、監督補佐としてチームを支えながら18年から競歩選手を指導する妻の瑞穂コーチだ。今回の第100回箱根駅伝でも東洋大は下馬評を覆して総合4位となり、19年連続シード権を獲得している。夫婦揃って日本を代表する多くのランナーを育て、世界の舞台を見据えて指導を続けているが、インタビュー中編では、監督就任後のチーム内での2人の関係性を追う。箱根駅伝で19年連続シード獲得という安定感の裏には、酒井監督を同志として支える妻の存在があった。(取材・文=牧野 豊)

 ◇ ◇ ◇

 2009年4月、酒井俊幸は母校・東洋大学の監督として、妻・瑞穂は監督補佐として指導を開始。チームは箱根駅伝で初の総合優勝を果たしたばかりだったが、2人がまず取り組んだのは、選手たちの日常生活における意識改革だった。

 瑞穂が当時を振り返る。

「当時の大学の学長と理事から言われたのは、『東洋大学(の建学理念)は哲学の大学として始まったので、心を大事にする教育、本質を見抜ける人材育成に取り組み、東洋大学の伝統をつないでほしい』ということ。その上で箱根駅伝の総合優勝を目指してほしいと。それを聞いて、高校教諭だった私たち2人に話があった理由を理解しました。それは今でも変わらず、大学側と私たちとの約束事として大切にしている部分です」

 その言葉から見ると、2人は依頼主の方針に沿ってチームづくりを実践する「仕事人」のような姿勢で、業務を引き受けたと言える。

 では、具体的にその指導内容はどういうものなのか。俊幸が説明する。

「平常授業時は学業を優先すること、日常での挨拶はもちろん、例えば、気づいた者が寮近辺の落ち葉を拾う、汚れている床を拭くといった行動を強制ではなく、習慣化できるように教えていくことです。学生スポーツですから競技成績の浮き沈みは当然ありますが、日常生活における基礎・基盤は長きにわたり、そのチームの礎になるものです」

 2人は就任当時、全国でトップクラスの成績を収めていた同大学野球部の元監督・高橋昭雄(2022年逝去)から、玄関やトイレ、寮回りといった公共部分の清潔度などを例に挙げながら、その重要性について教示してもらったという。「本当に強いチームはやはり、日常生活がしっかりしていることを目の当たりにしました」と俊幸は振り返る。

「心を大事にする教育」を実践するため、2人は監督と監督補佐、それぞれの役割に徹してきた。

 基本は俊幸が練習と学生生活全般、瑞穂は俊幸がカバーしにくい日常生活の指導を担い、体調面・心理面の相談に乗っている。俊幸が表舞台に立つことがほとんどだったが、瑞穂が果たしてきた役割も大きかった。

競歩コーチとして世界大会メダリストを育成

 瑞穂は寮生活の中で学生同士で言いにくいことを代わりに指摘したり、風紀が乱れた時には生活指導に徹した時期もあった。嫌われ役にも見られるが、何も好んでやったわけではなく、「それが役割(仕事)」だったからだ。ただ、それがチームを支える強固な礎になったことは、11年連続の総合3位以内、19年連続シード権獲得という箱根駅伝での比類なき長期的好成績が示している。

 また、俊幸が絶対数の少ない競歩選手を長距離の選手たちと一緒に指導するようにした時も、「監督補佐」の立場を越えることはしなかった。元々競歩選手であり、競歩の指導者として全国区の選手の育成経験がある瑞穂だが、「もし私が選手に直接技術的なアドバイスをして、それが夫と異なる内容だったら、選手は混乱します。練習を見ていて、歩型について思うことがあっても、絶対に言いませんでした」。

 もっとも自宅での夫婦の会話は、自然と陸上競技のことが中心になる。帰宅後でも選手の日常生活で気になる点があれば情報を共有し、競歩、長距離の競技面から栄養や貧血の症状など身体面に至るまで、俊幸が意見を求めることもあったという。

 ただ、2017年の年末、俊幸が長距離・駅伝と競歩の同時指導に限界を感じると、2018年春からは瑞穂に「競歩コーチ」という役割が加わる。

 2人の子供の母であり、学生駅伝強豪校の監督補佐であり、競歩コーチ。瑞穂は役割をそれぞれこなし、自身の経験が最も活かせる競歩指導では2人の選手を世界大会メダリストに成長させる。東京五輪、2022年世界陸上選手権20キロ競歩で銀メダルを獲得した池田向希(旭化成)、世界陸上選手権35キロ競歩2大会連続メダル獲得(2022年・銀、2023年・銅)の川野将虎(旭化成)の2人だ。

 現在は川野と学生の指導にあたっているが、自ら選手育成で経験した世界陸上選手権、五輪の舞台で指導者としても大いに刺激を受けている。日本女子体育大学を進学先にしたのは、女性がスポーツをすることに偏見があった時代に国際的陸上競技選手であり、日本女性初の五輪メダリストの人見絹枝(1928年アムステルダム五輪800メートル銀メダル)の出身校だったことも志望動機の1つ。日本で世界大会レベルの女性アスリートや指導者が増えることを願っている。

 俊幸と瑞穂は、究極の目標として「伝説に残るアスリート、記憶と記録に残る選手の育成」を掲げている。(文中敬称略)

■酒井俊幸(さかい・としゆき)

 1976年5月23日生まれ、福島県出身。学法石川高(福島)2年時に全国高校駅伝に出場。東洋大学時代は1年時から3年時まで箱根駅伝に出走し、2年時はシード権獲得に貢献。4年時は出走できなかったが、主将としてチームを引っ張った。卒業後はコニカミノルタに入社し、全日本実業団駅伝では2001年からの3連覇の中心選手として活躍を見せた。現役を引退し、2005年4月から母校である学法石川高の教諭に。2009年4月から母校・東洋大学陸上競技部(長距離)の監督となり、以来、箱根駅伝では総合優勝3回を含む10年連続総合3位以内の成績を残したのをはじめ、次回大会まで監督就任以来16年連続出場を継続中。学生三大駅伝の出雲駅伝(2011年)、全日本大学駅伝(2015年)でも大学史上初の優勝を飾っている。2017年まで指導していた競歩選手、長距離の卒業生を含め、五輪や世界陸上の日本代表選手を輩出している。

■酒井瑞穂(さかい・みずほ)

 福島県出身。旧姓・佐藤。福島西女高(現・福島西高)時代には国体3000メートル競歩で6位入賞、日本女子体育大学では日本学生選手権5000メートル競歩で2年連続入賞を果たしている。大学卒業後は福島県で公立高校の教員となり、国体の福島県チームの強化スタッフを務めるなど、高校生選手の育成にあたり、教え子のなかには東洋大に進学した2003年パリ世界選手権20キロ競歩に出場した松崎彰徳がいる。2003年に結婚後も仕事を続けていたが、2009年に俊幸が東洋大学監督に就任すると、教員職を辞し、家族で埼玉へ。東洋大学では監督補佐の立場で、主に選手たちの日常生活の指導を担当。2018年からは競歩コーチの肩書きも加わると、東京五輪銀メダルの池田向希と世界陸上2大会連続メダル獲得の川野将虎(ともに現・旭化成)を指導し、現在まで指導者として国際大会でメダル8個を獲得している。

(牧野 豊 / Yutaka Makino)

牧野 豊
1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「NBA新世紀」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。22年9月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。