現代遺伝学がもたらす民族主義の再燃という悪夢
かつて、ヒトゲノム計画は人種差別のない未来の一翼を担うものと受け止められましたが、今、現代遺伝学は社会の分断や人々の監視の道具として用いられています(metamorworks/PIXTA)
コペルニクスやガリレイ、ニュートン、ダーウィン、アインシュタインといった科学者の名前は、誰もが知っている。そして近代科学は16世紀から18世紀までにヨーロッパで誕生し、19世紀の進化論や20世紀の宇宙物理学も、ヨーロッパだけで築かれたとされている。
しかし、科学技術史が専門のウォーリック大学准教授、ジェイムズ・ポスケット氏によれば、このストーリーは「でっち上げ」であり、近代科学の発展にはアメリカやアジア、アフリカなど、世界中の人々が著しい貢献を果たしたという。
今回、日本語版が12月に刊行された『科学文明の起源』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。
完了が宣言されたヒトゲノム計画
2000年6月26日、ビル・クリントン大統領がホワイトハウスの東の間で記者会見を開いた。ドイツとフランス、日本の駐米大使が同席し、イギリス首相トニー・ブレアもビデオ回線を通じて参加した。
世界中の報道機関が見つめる中、クリントンは口を開いた。「ここに、ヒトゲノム全体の初の調査が完了したことを宣言します」。
続いて大統領は次のように説明した。「6カ国の1000人を超す研究者が、我々の驚くべき遺伝コードの全30億文字をほぼすべて解き明かしました」。
この10年前にアメリカ合衆国はヒトゲノム計画を始動させた。そして30億ドルもの経費を費やしながら、2000年夏までにはヒトゲノム全体の配列の概要が完成した。
ヒトゲノムの地図によって、がんやパーキンソン病などさまざまな病気の原因の解明が進むものと期待された。そうなれば医療が個人レベルでオーダーメイド化され、遺伝的要因のせいでリスクの高い人を発症前に特定できるようになる。
ヒトゲノム計画はアメリカ合衆国主導で進められたものの、実際には国際的な取り組みで、イギリスやフランス、ドイツや日本や中国の遺伝学者が配列決定に貢献した。各国の研究チームが、特定の染色体など、ヒトゲノム内の特定の領域を担当した。そしてそれらの結果を組み合わせることで、完全な遺伝子配列が完成した。
クリントンを含め多くの人にとって、ヒトゲノム計画は冷戦終結の象徴だった。ソ連の崩壊が始まったちょうどその頃に計画が始動し、関わった研究者は中国を含め各大陸におよんだ。
中国では1976年の毛沢東の死去ののちに経済開放が始まり、アメリカ合衆国との外交関係も発展した。「ヒトゲノム計画は世界中の全市民の生活向上を目指して進められた」とクリントンは訴えた。
ブレアも同じ考えで、「いまや世界共同体が国境を超えて、人類共通の価値観を守り、この科学的偉業を全人類のために役立てることに取り組んでいる」と語った。
「共通の人間性」という理想像
現代遺伝学の発展は、冷戦期の政治、とりわけ国家形成の過程によって大きく方向づけられた。それゆえヒトゲノム計画は、冷戦期の対立から新時代のグローバリゼーションへの移行の瞬間になったと考えたくなってしまう。
ビル・クリントンもトニー・ブレアも、ソ連崩壊後のグローバリゼーションの波にもっとも深く関わった政治家であるだけに、当然そのようにヒトゲノム計画を受け止めていた。
「遺伝学的に言うと、人種を問わずすべての人間は99.9%以上同じである」という考え方は、「共通の人間性」という理想像を追い求める人たちの心に強く響いた。ヒトゲノム計画は人種差別のない未来の一翼を担うものと受け止められた。
しかしここで話を終わらせるのは間違っているだろう。冷戦の終わりは歴史の終わりではなく、1990年代にグローバリゼーションが拡大したからといって世界がより平和になることはなかった。ヒトゲノム計画によって人種差別が終わることもなかった。
いまでは十二分に思い知らされているとおり、グローバリゼーションによって社会全体も科学もさらなる細分化が進み、以前よりも人々が分断されて不平等がますます拡大している。
期待されていたオーダーメイド医療はほぼ実現していないし、科学者のあいだでは遺伝子編集の倫理性をめぐる論争が続いている。
再び焚きつけられた民族主義
これらの問題はいずれも、2000年代を通した遺伝学の発展に影を落としている。ヒトゲノム計画が完了する間もなく、科学者や政治指導者は、人類全体をたった一つの標準的なゲノムで代表できるという考え方に異議を唱えはじめた。
そもそもヒトゲノム計画で配列が決定された遺伝物質の大部分は、ニューヨーク州バッファローに暮らすたった一人の男性、しかもほぼ間違いなく白人の提供したものだった。
それを踏まえて世界各国が独自の国民ゲノム計画を立ち上げた。イラン・ヒトゲノム計画(2000年始動)、インド・ゲノム多様性コンソーシアム(2003年始動)、トルコ・ゲノム計画(2010年始動)、ゲノム・ロシア計画(2015年始動)、漢民族ゲノムイニシアチブ(2017年始動)などである。
いずれのプロジェクトも、国家を再び人種の枠組みでとらえる民族主義を焚きつける結果となった。もっとも顕著である中国の例では、大多数を占める漢民族のみを対象としていて、もっと幅広い中国人集団の遺伝学的・民族的多様性が無視されている。
確かに冷戦は終わったかもしれないが、2000年代になっても遺伝学は1950年代と同じく国家形成の道具にすぎなかったのだ。それとともに各国政府は少数民族を目の敵にして、社会や政治のあらゆる問題の原因をなすりつけるようになった。
たとえばゲノム・ロシア計画では、「ロシア民族」と「非ロシア民族」をはっきりと区別している。後者の中には、1990年代に独立を懸けてロシア軍と戦ったチェチェン人など、ロシア政府が国の安全を脅かす者とみなす数々の少数民族が含まれる。
アメリカ合衆国も同様の遺伝子検査を利用して少数民族を狙い撃ちにしている。2020年初めに国土安全保障省が、メキシコとの国境を越えてやって来る移民のDNAサンプルを採取して、その分析結果を膨大な犯罪データベースに反映させる取り組みを始めた。
中国政府によるウイグル人の弾圧
国家による監視の道具として遺伝学を利用する所業は、2000年代にかけて中国でもどんどん増えていった。2016年に中国政府は、イスラム教徒が大多数を占める少数民族ウイグル族のDNAサンプルの採取を開始した。
ウイグル人を見つけ出して弾圧する行為はもっと幅広くおこなわれていて、その極めつきに、100万を超すウイグル人が中国北西部の新疆(しんきょう)一帯にある抑留施設に強制的に収容されている。
今日、現代遺伝学で約束されていた「共通の人間性」という理想像は、以前よりもますます手の届かないものになっているようだ。
(翻訳:水谷淳)
(ジェイムズ・ポスケット : ウォーリック大学准教授)