「介護のアルバイトで月収80万円」日本人看護師がオーストラリアで働いて驚いた「職場のユルさ」
※本稿は、上阪徹『安いニッポンからワーホリ! 最低時給2000円の国で夢を見つけた若者たち』(東洋経済新報社)の一部を再編集したものです。
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■日本の介護職の平均月収より3倍以上高い
タウンホールにある語学学校「MIT Institute(MIT)」の協力を得て、最初にシドニーでインタビューをさせてもらった若者は、藤田秀美さん(27歳)だ。2023年2月のNHK『クローズアップ現代』にも登場した人物である。
看護師として4年勤務した後、2022年4月にワーホリでオーストラリアにやってきた。NHKの番組に登場したのは、それから1年も経っていない翌年2月のことである。
藤田さんが番組で明らかにしたのは、驚くほどのアルバイト収入だった。スマホの画面に映し出されたのは、週給2488.36豪ドルという数字。日本円で、約22万4000円だ。週給である。月収にならせば、80万円以上の収入になる。
日本の介護職の平均月収は25万円ほど。ところがオーストラリアでは、時給のアルバイトで3倍以上になることもあるというのである。それにしても20代の若い介護職のアルバイトで月収が80万円なのだ。
実は藤田さんは2022年の秋にも日本テレビの『真相報道 バンキシャ!』にも出演して収入を明らかにしており、番組放映後にネット上で大きな話題になった。
だが藤田さん、収入を求めてオーストラリアに来たわけではまったくなかった。
■英語ができる看護師になりたい
「勤務していた病院には、外国人の患者さんもいました。ところが、英語でうまく対応することができなかったんです。病院全体でも英語を話せるスタッフはいなくて。これから自分にできることはなんだろう、と考えたとき、英語ができる看護師が浮かびました」
そう思い立ったのは、看護師1年目。2年目に留学エージェントへの相談を始め、ワーホリという制度を知った。4年目を終えたところを区切りにしようと考え、それまでに費用を貯めたり、英語をオンラインや通信講座で学んだり、と準備を進めた。
看護師の仕事はハードだと言われるが、そこから逃れることが目的だったわけではなかった。
「たしかに残業も多かったですし、辛さがなかったといえば嘘になります。でも、それ以上に看護師という仕事にやりがいを感じていました。英語ができるようになれば、もっと理想に近づくことができる。大事にしたのは、自分がどうなりたいか、でしたね」
藤田さんが参加したのは、留学エージェント、ワールドアベニューが企画した「海外看護有給インターンシッププログラム」だった。オーストラリアでは、誰でも介護の仕事ができるわけではない。「アシスタントナース」の資格が必要になるのだ。
■「もっと休みなさい。はい、ティーでも飲んで」
日本の看護師向けにその資格取得も含めたワーホリを企画したのが、このプログラム。資格取得後は、現地の介護士の派遣会社を通じて仕事も獲得ができるようになっている。実はコロナ禍前から、看護師に人気のプログラムだった。そして、藤田さんは驚くことになる。
「最初に時給を提示されたとき、えっ? こんなにもらっていいの? と思いました。むしろ、こんなにもらえるなら、がんばって働かないと、と思いましたね(笑)」
なんとも日本人らしい反応だが、働き始めて驚いたのは、収入だけではなかった。びっくりするほど働きやすかったからだ。
「オーストラリアでは働く人が、とても大事にされていました。残業はまったくないし、休憩もしっかり取る。社員は休日も取りやすい。アクセクもしていない。私が日本の感覚で働いていたら、『あなたマジメすぎよ。もっと休みなさい。はい、ティーでも飲んで』みたいな感じでした(笑)」
藤田さんの目的は、あくまで英語ができるようになることだった。だが、その英語にいきなり苦戦を強いられた。
「学校では先生がゆっくりしゃべってくれますが、外に出て生の英語をバーッと話されるとわからない。リスニングがダメで、何回も聞き直したりしていました」
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■介護職でも休みが取りやすい仕組みがある
そこで、語学学校に通ってアシスタントナースの資格取得を進めていた最中もアルバイトをすることにした。もっと英語を使える環境に身を置きたかったからだ。
「最初は日本食のオムライス屋さん。このときも時給は日本の倍以上ですから、びっくりして。キッチンでしたが、いろんな国の人がいたので、英語でコミュニケーションを取るように心掛けました」
アルバイトが面白くなり、パン、焼肉、さらにはバーでも働くようになった。この頃には、すでにアルバイトだけで月収が約40万円。病院に勤務していた頃の手取り金額を超えるようになった。
そしてアシスタントナースの資格を取得してからは、派遣会社を通じて介護の仕事をするようになる。多くは高級老人ホームへの派遣だ。
「老人ホームで直接、雇用されているスタッフが少なくて、どの施設も人手不足なんです。それで、どこどこの施設でスタッフが足りなくなった、となれば派遣会社に連絡が行き、私たちに打診が来る、という仕組みでした」
常勤している人たちは、休みが取りやすいと書いたが、それはつまりその代わりがすぐに見つかるシステムがある、ということを意味している。これがまさに、介護スタッフの派遣会社の存在だ。
■物価が高くても月50万円の貯金ができる
「ちょうと9月は派遣スタッフの人数が少なかったこともあって、1週間先までシフトが埋まってしまう、なんてこともありました。また、その後は急に連絡が来ることもありました。当日の朝4時に連絡があって、朝6時から来られないか、とか。仕事を断ったら申し訳ない、という気持ちもあって、手当たり次第に引き受けるようになりました」
これは他の仕事もそうだが、オーストラリアでは休日や夜間に働くと、時給が割増しになる。だが、日本で看護師をしていた感覚でいえば、休日や夜間に働くことは、なんてことはなかった。
「というか、英語を学びに来ているので、意味のない時間を作りたくなかったんです。働きに出ることで、英語を話す機会を獲得することができるんですよね。家で何もせずにのんびり過ごすよりも、どんどん働きに行って英語も使うのが自分にはいいな、と思って、それで目一杯働くようになったんです」
そうは言っても、無理をしていたわけではない。そもそもの時給が日本円で4000円超だった。これに、夜勤や休日勤務は割増しがつく。しかも、仕事は日本の看護師ほどハードでもない。物価の高いシドニーでも毎月40万円、50万円と貯金ができるようになった。
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■夢は訪問介護ステーションを自分で作ること
そしてお金ができたことで、もっといろんなことができるのではないか、と思えるようになったと語る。
「NHKの取材で話した『訪問看護ステーションを自分で作ってみたい』というのも、そうです。どこかに属するのではなく、自分で建てていく、なんて夢は日本では持てなかったと思いました」
目指すは、残業がない、休みが取りやすい、といったオーストラリアの働きやすさを取り入れた訪問看護施設だ。
2022年11月、藤田さんが出演した日本テレビの『真相報道 バンキシャ!』は、バイト先の同僚の知り合いからの依頼だった。
「オーストラリアのワーホリ事情を取材したいから、という話があって、もしよかったら気軽にインタビューを受けてくれないか、と。電話でコメントするくらいのものだと思っていたら、怒濤(どとう)の取材で1日密着とかになって。驚きました」
番組はYouTubeにもアップされ、一気にネットで拡散。これが大きくバズって大きな話題になった。その後、NHKの出演の話が来た。
「一度、しゃべっていますから、もういいんじゃないかと思っていたんですが、聞きたいということでしたので。でも、私と同じような稼ぎの人はたくさんいたんですよ。稼いだお金を使って旅行にバンバン行っていた人もいたし。それこそ、私以上に稼いでいる人もいました」
■介護職からかねての希望だった病院勤務へ
2023年3月末でワーホリの期間は過ぎたが、まだまだ国には必要な人手が足りないと判断したオーストラリア政府が「パンデミックビザ」を出した。ワーホリで来ていた若者たちも雇用先が決まっていれば、そのビザで最長1年の滞在延長が可能になったのだ。そのビザを使い、藤田さんは、新しいチャレンジに挑んでいた。
「ワーホリに来た目的は英語、もっといえば医療現場で使う英語だったんです。ただ、老人ホームだとどうしても身の回りの介助が中心になります。病名や薬に触れたりする機会や看護師さんとやりとりする機会も少ない。それで、やっぱり病院で働きたいと思うようになったんです」
持っているアシスタントナースの資格では、介護の仕事しかできない。しかし、それでも「病院で働きたい」という思いをあきらめなかった。
「日本で看護師をしていたという経験をアピールしながら、どうにか働かせてもらえないか、と就活をしたんです。50ほどの病院に履歴書を送ったら、会ってもらえる病院があって。まさに6月から看護師の補助として働かせてもらっています」
実は総収入は下がった。それでも、目標だった医療現場で英語を使う日々が実現した。今は毎日、必死に医療英語を学びながら日々を過ごしている。
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■「シャイで人見知り」が変わった理由
「私はもともとシャイで、人見知りで、外国人なんてとても話せない、というタイプだったんです」
日本にいるときにオンラインで英語を学んだりして、ずいぶん変わったというが、海外に出てさらに変わった。
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「誰も知らない人ばかりの中でも、自分次第でどうにでもなれるんだ、とわかったんです。それならもう、本当に動いたもの勝ちだな、と。それこそ、ワーホリは自分でお金を貯めてやってきて、時間も終わりが区切られているわけですから。1分1秒も惜しい、と今は思っています」
その藤田さん、実はNHKの番組出演をきっかけに、本人も想像もしていなかったという驚きの出来事が起きることになる。
「大事なことは、目的です。自分の将来にどんなふうに活かしたいのか、という目的があれば、楽しいし、がんばれる。稼ぎながら、得られるものも大きくなる。目的を定めてきたときに、ワーホリはより充実すると思います」
そして藤田さんは、オーストラリアで見つけた自らの夢を、実現することが決まっている。ワーホリが、まさに人生を変えたのだ。
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上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。雑誌や書籍、Webメディアなどで執筆やインタビューを手がける。著者に代わって本を書くブックライターとして、担当した書籍は100冊超。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『マインド・リセット』(三笠書房)、『10倍速く書ける 超スピード文章術』(ダイヤモンド社)、『JALの心づかい』(河出書房新社)、『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?』(あさ出版)など多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。ブックライターを育てる「上阪徹のブックライター塾」を主宰。
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(ブックライター 上阪 徹)