兵庫県宝塚市に本拠地を置く宝塚歌劇団で「いじめ問題」が明らかになった(写真:PIXTA)

宝塚歌劇団の25歳の現役劇団員が9月に転落死した問題で、外部弁護士による調査チームは「いじめやパワハラはなかった」という報告書を発表しました。これを受けて宝塚歌劇団の木場健之理事長は、長時間労働で生徒を死に追いやった責任により引責辞任を表明しました。

これで幕引きとしたい宝塚歌劇団と、改めて調査を要求する遺族側の代理人弁護士の間の温度差が際立った一連の対応に、もやもやを感じた人が多かったようです。

この件に関しては各種メディアで詳しく報道をしています。それらの報道からもやもやのポイントを挙げさせていただくと、以下の論点が世間をざわつかせているようです。

・ 外部調査といっても、1つの弁護士事務所の9人の弁護士が報告書に携わっている状況は第三者調査とは言いがたい

・ 被害者の証言が報告書で取り上げられていない

・ ヘアアイロンのやけどについて「(通常の使用で)よくあること」と論点をすり替えている

・ 66人の宙組生のうち4人が聞き取りを拒否している

これで宝塚問題は幕引き?

この問題は、世間を騒がせた時期がジャニーズ事務所と同じタイミングだったので、対応の違いを感じる方も多かったはずです。ジャニーズの場合は事務所が完敗し、所属タレントは苦境に立たされています。

一方の宝塚問題は、場合によってはこれで幕引きとなりそうです。この違いはいったい何なのでしょうか? この記事では事件の中身ではなく、会見からもやもやがなぜ生まれるのかについて考察したいと思います。

2つの問題で後味の違いを生んだ最大の原因は、両社のビジネスモデルの違いにあります。ジャニーズ事務所のビジネスモデルは、テレビ局など大手メディアを使って所属タレントを売り出し、国内の大手スポンサーのCMに出演し、それらの露出を通じて人気タレントが育つビジネスモデルになっています。メディアとスポンサーの力を借りないと新人タレントはスターになれない。これが基本的なメカニズムです。


11月14日に宝塚歌劇団が発表した調査報告書は、概要版でも36ページに及んだ(編集部撮影)

一方の宝塚歌劇団は、ビジネスモデルが自己完結しています。学校に所属した生徒たちを独自のカリキュラムで育成し、劇団に所属させることでスターが生まれます。卒業までは宝塚というハコの中で活動し、宝塚歌劇団に利益をもたらす。これが基本的なビジネスモデルです。

ガバナンスがジャニーズを変えた

2つの問題が違う展開を見せた最大の理由は、ビジネスモデルにあります。ジャニーズの場合、大手スポンサーや大手メディアが一斉に見放したことで問題が深刻化したわけですが、一方の宝塚歌劇団は似た外圧がほぼ起きない構造にあります。

念のために別の違いを指摘をしておくと、宝塚歌劇団ではいじめはなかったのかもしれません。調査が甘いという懸念はありますが、事実が十分に解明されていないので私たちにはわからないのです。

ここがジャニーズと違う点ですが、この記事では疑惑が本当だったのかどうかを論じることはしません。当事者からの報告が生む、その後の空気がなぜ違うのかという点について、深掘りしていきます。

ジャニーズ問題でメディアやスポンサーが手のひらを返した最大の理由が、その多くが上場企業であり、ガバナンスルールに抗うことができないという事情にあります。人権を踏みにじるような愚行は、グローバルなビジネスをする企業体として容認できないという事情が、ジャニーズ問題について当初は予想しなかったような展開を生んだわけです。

一方の宝塚歌劇団は、ジャニーズよりも歌舞伎や大相撲と同質の構造です。宝塚歌劇団の親会社は阪急グループという大企業ですし、NHKでも中継されています。その点は上場企業の松竹と縁が深い歌舞伎界も同じで、親会社はないけれどもNHKに依存しているという点では、大相撲にも何らかの監視装置は付いています。

要するに監視装置はあれど、ビジネスとしては完結していて、外圧に関係なく成立するというのがこの3つの事業体の共通構造です。

事件の多くは「コップの中の嵐」

宝塚歌劇団と同様に、歌舞伎界や大相撲にも、いじめやパワハラは公式にはほとんどありません。たまに何かが事件化しますが、多くの場合はコップの中の嵐が起きて終わりです。

宝塚も歌舞伎も大相撲も、一部の圧倒的なファンたちに支えられていて、彼ら彼女たちが推しつづける限りはビジネスとしての前提は影響を受けないのです。外部の一般人にもやもやが残っても、あくまで部外者に過ぎない。そういうことなのです。

もちろん程度問題で、本当に大事件が起きることもあります。大相撲では2007年に時津風部屋で新弟子がリンチ死する事件が起きました。この事件では死亡した新弟子に多数の外傷があり、救急車で搬送した消防本部は「不審死の疑いがある」と通報したのですが、病院の医師と地元警察が心不全で処理しようとしました。

遺体はそのまま火葬にされそうだったところを、遺族が地元に搬送して検死解剖を依頼したことでようやく事件化されました。完全犯罪一歩手前の事件でした。

大相撲では大半の問題が、部外者の立ち入れないアンタッチャブルな領域の中で処理されていきます。歌舞伎界も同様で、宝塚もその傾向がある。

カーテンの内側に入れない一般人は、これらの世界に違和感を覚えます。「何もなかったで終わるのか?」と怒りを感じるかもしれません。部外者にとっての救いは、彼らが感じたもやもやが、実はこれら3つのビジネスについて確実に悪影響を及ぼしているという事実です。

先にわかりやすいファクトから提示しておくと、大相撲は昭和の時代はプロ野球と並ぶ日本の2大スポーツでした。ちなみに相撲に詳しい方にこのように言うと「大相撲はビジネスでもスポーツでもなく神事だ」と反論しますが、あくまで実態について語らせていただきます。

減っていった相撲ファン

50年前の大相撲は、コンテンツ価値で見ると国民的な人気スポーツでした。番付上位の人気力士は、プロ野球のスター選手同様に国民的な人気を誇りました。昭和の時代には「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が生まれましたし、『少年サンデー』創刊号の表紙が長嶋茂雄で、『少年マガジン』創刊号の表紙が当時の人気大関の朝汐だったなど、大相撲人気のエピソードには事欠きませんでした。

しかし八百長問題などいろいろと世間を萎えさせる問題が表面化していき、一部の熱狂的なファン以外は徐々に興味を失っていきます。プロスポーツのコンテンツとしての事業規模の数字を調べると、一目瞭然です。1990年代にJリーグに抜かれたのは仕方ないとして、最近ではバスケットボールのBリーグにビジネス収益規模で抜かれました。

大相撲好きのいわゆる好角家は、どれほど周囲から雑音が入っても「それでもやはり大相撲は面白い」と擁護します。好角家やタニマチのおかげで、いくらスキャンダルが起きても大相撲の興行は安泰なのです。国民的な人気を勝ち取ることができなくなり、長期的に地位がずるずると低下しているが、存在感は残っているというのがビジネスとしての構造です。

歌舞伎も熱狂的なファンから見れば、その人気は不動です。一方で儲かって成長しているのかというとそうでもありません。歌舞伎俳優のスキャンダルは歌舞伎界の内部では早々に収束しますが、世間とは温度差が生まれています。このあたりの収支がプラスなのかマイナスなのかは、松竹の株価の推移を見ると何となく理解できるはずです。

巨大なムラ社会を外部はどう感じるか

一部の熱狂的なファンたちに支えられ、そのファンたちに夢を与える別世界であり、その内部は秘密のベールで覆われている。構造的には宝塚歌劇団も同じです。

その世界の外にいる一般の国民からみれば、何とももやもやした事件が起きたのに、内部の世界ではこのまま収束するかもしれません。1年も過ぎれば何もなかったように、また華やかな世界が繰り広げられるのです。

私個人としては、宝塚の新理事長になる人が会見で、遺族に対していじめの立証責任を要求してきた点に、世の中の常識とは違う別世界を感じました。ジャニーズ事務所の問題と違って、もやもやが晴れない宝塚問題は、このようなビジネス構造が生む閉じたムラ社会、それも巨大なムラ社会を私たち外部の人間がどう感じるのかという社会問題なのです。

(鈴木 貴博 : 経済評論家、百年コンサルティング代表)