志村季世恵●バースセラピスト/一般社団法人「ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ」代表理事。 1962年生まれ。心にトラブルを抱える人、末期がんを患う人らに寄り添い、約30年で延べ4万人以上をカウンセリング。人の誕生やターミナルケアに携わる。著書に「エールは消えない」いのちをめぐる5つの物語(婦人之友社)『いのちのバトン』『さよならの先』(共に講談社文庫)、共著に『親と子が育てられるとき』(内田也哉子/岩波書店)など(撮影:尾形文繁)

樹木希林さんをはじめ、多くの人の最期の日々に寄り添うターミナルケアに従事してきた志村季世恵さん。

前編では、志村さんが今の仕事に導かれるまでの半生と、人が死を意識したときに、切実にかなえたいと思う願いやそのかなえ方について伺った。この後編では、現在、彼女が半生をかけて尽力している活動について、さらには、私たちがこの時代、人生後半をより幸せに生きるための極意について聞きました。

死ぬことは終わりじゃない

志村季世恵さんは、自身の仕事をバースセラピストと呼んでいる。多くの人の最期の時間を共にするなか、死ぬことは終わりじゃないと思うようになったことがその理由だ。前編記事で書いたとおり、彼女が最期の日々に寄り添った人の中には樹木希林さんなどもいる。

その志村季世恵さんがこの二十余年、人生を懸けて取り組んできたことがある。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という活動だ。

ドイツで生まれ、現在では、世界41カ国、130都市で開催されている、アートと福祉が融合したエンターテインメントのことである。季世恵さんは日本での創設時から携わり、活動を運営する社団法人の代表理事とすべてのプログラムのクリエーティブディレクターを務めている。

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは、直訳すれば、“真っ暗闇の中での対話”。どんなに目を凝らしても見えないほどの深い闇の中に、その時々のテーマや季節に合わせた遊び場が設営される。たとえば、森や公園、日本家屋やカフェなどだ。

参加者は数名のチームを組んで、その中を探検する。普段から目を使わない視覚障がい者がアテンド役となり、歩くことすらままならない、闇の世界の冒険をリードしてくれる。

つまり、誰もが目が見えない世界、その状態を生きることを体験できるというわけだ。

今春、話題を呼んだドラマ『ラストマン 全盲の捜査官』は、プロデューサーや主演の福山雅治氏をはじめ、多くのスタッフや演者が、このダイアログの世界を体験したという。また、福山氏が全盲の捜査官を演じる際の所作や行動などに対する監修も、ダイアログ・イン・ザ・ダークのアテンドスタッフが務めた。

「みなさん、いろんなことを感じてくださって、その体験はドラマにも反映されていましたね」

闇の世界で遊ぶ開放感

ダイアログ・イン・ザ・ダークの暗闇の中では、多くの体験者が語るように、さまざまなものに出会える。筆者も、すでに10回は体験しているが、毎回、新しい発見がある。

たとえば、深い闇の中は、入った瞬間は恐怖心が襲ってくるのに、前進するとその恐れはいつしか安堵に変わる。何も見えないことは、誰にも見られないことでもあるからか。自分や他者に対するあらゆる固定観念を取り払われ、いつの間にか自由に振る舞えるようになるのだ。

目が使えないと、その他の感覚が野生の動物のごとく鋭くなる。足元で踏む土や草の感触、野鳥の鳴き声、風の匂い……etc. その感覚を味わっていると、子どものような遊び心が湧いてくる。他の参加者も同じように感じるのか、歩を進めるほどに、それぞれが自由に遊び始めるから面白い。肩書きや年齢どころか、本名すら必要としない、闇の世界で遊ぶ開放感。みんなで心を開きあい、助け合いながら冒険する楽しさが味わえる。

視覚障がい者であるアテンドの頼もしさにも痺れる。闇の中でも、まるですべてが見えているかのように進んでいく。参加者の声と個性、気配をつねに把握していて、誰かが闇の中で困っていると、すぐに気づいて手を差し伸べてくれる。普段の生活では不便も多そうに見える彼らが暗闇では誰よりも頼もしい存在だ。

ここは日頃気づきにくい人の魅力に出会い、新しい自分に出会える場所なのだ。

「初めてダイアログを日本で開催した時、お客さんが泣きながら会場から出てきたんです。『どうして泣いているの?』と聞いたら、『人が好きだと気づいたから』っておっしゃっていました。暗闇の中は不安だから、人と肩が触れたり、ぶつかったりすることすらうれしくて安心したんですって。普段、満員電車では見知らぬ人とぶつかるたびに舌打ちして悪態をついていた、そんな自分を嫌悪していたのに。『ホントは、人の存在はありがたいものなんだと気づけたから泣けた』と。私、それを聞いて、すごく嬉しかったんです」

死への恐怖心を和らげてくれるものとは

季世恵さんがダイアログ・イン・ザ・ダークの設立に関わったのは1999年に日本で初開催をする以前からだ。既に縁あって依頼を受けた人のターミナルケアに従事しながら、薬剤師であり整体師だった当時の夫、故・志村紘章氏と設立した薬局と治療院を併設した「癒しの森」にてメンタルケアを担当していた。


「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の扉(撮影:尾形文繁)

訪れる患者さんたちの様々な心の病に寄り添い、気がつけば、予約は1年半待ちに。唯一無二のセラピストになっていた。その後、志村氏との死別を経て「癒しの森」は閉院したものの、彼女のケアやセラピーを求める人はますます増えて行った。

そんな時、ダイアログ・イン・ザ・ダークは常設展へと発展する。そもそもダイアログ・イン・ザ・ダークは1995年に当時は知人だった金井真介氏(現在の夫)がドイツで生まれ人気を博していたダイアログ・イン・ザ・ダークについての新聞記事を見つけ、これをぜひ日本でもやりたいと季世恵さんに相談を持ちかけたのがきっかけだ。

「面白そうだけど、正直、日本で実現するのは難しいと思っていました。現状、社会に受け入れ態勢がないかなと。でも、真介さんの熱意に背中を押されて、この船に乗ってみようと思いました。実際、実現させるまではとてつもなく労力がかかったし、オープンしてからもずっと大変。正直、今も大変です。でも、続けるほどに、ダイアログは今の時代、みんなにとって必要なものだなと感じています」

ダイアログ・イン・ザ・ダークに関わったことも、それを創り上げ、常設展に発展し今では視覚障がい者だけでなく、様々なマイノリティの人が関わるダイバーシティのミュージアムとなり世の中に浸透させる役割を担ったことも、ある種の運命のように感じている。

なぜなら、人々がダイアログを体験して感じられることや得られることは、季世恵さんがそれまでケアをしてきた数多の人々から聞いたことにとても近かったからだという。

「それは、肩書きや病などのラベルにとらわれず、“ただの自分”として、心のままに生き、大切な人を大切にするということです。

暗闇の中で遊んでいると、誰しも自然と“ただの自分”に戻れます。素直に誰かと向き合えたり、助け合えたりもする。だから、人が好きだと気づけて、すると自分のことも好きになれるんですよね」

これは、季世恵さんが出会った方々が心の病を卒業する時や、ターミナルケアを通して出会った方々が生きることに向き直った時の心境と同じなのだという。


(撮影:尾形文繁)

「自分も他人も等しく愛せるようになると、不思議なことに心の病は癒えていくんです。人生に対する後悔の念は晴れて、死への恐怖も和らいでいく。たとえ、残された時間がわずかでも、生きることに前向きになれるんですね。

人が自分自身を取り戻すプロセスは、私のケアでなくてもダイアログを体験してもらうことでもたどり着ける。それならば、私が1人で多くの方を抱えるよりも、ダイアログがもっと浸透すれば、そこで遭遇した人たち同士で、素晴らしい相互作用が起こるのではないかなと」

出会いによって良い化学反応が起こるのは、参加者同士だけではない。

「アテンドである、視覚障がい者についての理解も深まります。普段の彼らは、弱い存在だと思われがちですけど、闇の中では頼もしい。人間は誰しも強い部分と弱い部分があって、それはみんな同じです。何かを持っていようと持っていなかろうと、優劣も上下関係もない。ダイアログを通じて、ホントはみんな平等だし、助け合えることにも気づける。これこそが世の中だと思ってもらえるかなと」

いまだ、活動は存続の危機にさらされている

ダイアログ・イン・ザ・ダークが日本に設立されて今年11月で24年になる。設営場所を変えながらも運営を続けてきた。暗闇エンターテインメントの他にも、聴覚障がい者をアテンドとして音のない世界で対話を楽しむ「ダイアログ・イン・サイレンス」や、人生経験豊富な年長者がアテンドを務めて、生き方について対話を深める「ダイアログ・ウィズ・タイム」などのプログラムも定期的に開催され、好評を博している。日本にもダイアログの熱狂的な支持者は少なくない。文化として、福祉として根付いているようにも見えるが、いまだ、活動は存続の危機にさらされている。

「多くの人にダイアログを愛していただいているし、応援していただいてもいます。でも、まだまだ一般的な認知は足りないなと感じます」

コストの問題もある。安全でありながら、体験者の感動を呼ぶ暗闇エンターテインメントを作るにも、それを日々、提供し続けるにも、施設代や人件費も含めて莫大なコストがかかる。多くの企業の研修にも使われたり、企業スポンサーもついているが、経営は火の車だ。

「それでも、辞めるわけにはいきません。利用してくださる方々にとっても必要なものですけど、ここで働く人たちのためにも。ダイアログのように、目が見えない、耳が聴こえない人など、いわゆる障がい者の雇用として、健常者と同じようにお給料が出るところは少ない。しかも自分の特徴を生かして仕事ができるところもなかなかないですから」

ヨーロッパなど、海外でダイアログがうまく根付いている国は、学校教育の一環としてダイアログを認め、国家で支援している国が多いが、日本にはまだない。

見通しは立っていないが、季世恵さんや真介さんをはじめとするスタッフは、ダイアログを未来へとつなぐために、日々、資金を集め、アイデアを絞り、さまざまなプログラムを作っている。

「継続するには、やはり資金が課題。複数の収入が得られる仕組みを整えることだなと。一般のお客様に楽しんでもらって得られる収入と、企業の業績をあげるような企業研修を行って得られる報酬と。あとは、やはり、海外のように学校教育に取り入れてほしいですね。幸福度の低い日本の子どもたちにこそ必要ですから。国から予算が下りる仕組みを作らねばならないです。私と夫も60歳を超えたので、次の世代にバトンを渡すまでには、どうにかしないと」

「他人を気にかける社会になってほしい」という願い

人生後半は、ダイアログに懸けている。

彼女がそう言い切れるのは、ダイアログが浸透している社会とは、人が人を愛せる社会へとつながっていると信じているからだ。実際に体験した子どもたちの自尊感情は上がり、他者理解が上がることもわかっている。

「もっと他人を気にかける社会になってほしい。それは、自分を愛すること、人生を愛することにもつながっていくのだから」と季世恵さんは言葉に力を込める。

とはいえ、不安定な時代。長らくの不況に、自分が生きていくのに精一杯の人も多い。誰かを気にかける余裕もないのが現状だ。

「その気持ちもわかります。でも、利己的になって、自分だけが得をしたところで、その先には何も残らないのではないでしょうか?

それこそ、私がターミナルケアを担当された方で、人生の後半戦につらい思いをされている方は、自分のことだけ考えて突っ走ってきた方が多い。愛でも富でも、誰かと分かち合わないと、本質的な幸せにはつながらないと気づかれる。『ありがとう』と言い合えることが、幸せだと。そんなシンプルなことに気づくのが最後だなんてもったいないですよね」

花は咲いている時だけが美しいわけじゃない

“何度でも開花する人生”とは、自分のために生きることとは限らない。


「生前の(樹木)希林さんとこんな会話を交わしたことを覚えています。希林さんのお宅の和室には、立派な板戸があるんですが、そこには壁画技師の木村英輝さんの作品『枯れ蓮 Lotus revives』が描かれているのです。満開の蓮ではなくて、枯れた蓮を選ばれているところが、枯れゆく美学を大切にされている希林さんらしいなと思っていたのですが……」

その話を向けると、「花は咲いている時だけが美しいわけじゃないよね」と希林さんはつぶやいた。

「私も、その通りだと思っていました。日本人が愛してやまない桜を例えるとは花がない時期も、青く繁る青葉が美しく、道に心地よい日陰を作ってくれる。秋は、紅葉した落ち葉が綺麗だし、それが土に還れば、腐葉土にもなる。人も同じです。たとえば、子育て中のお母さんは、自分の花を咲かせるよりも、葉っぱを大きく広げて子供を守っているような状態かもしれません。でもその姿もまた美しいし、振り返ってみれば、最も輝いていた時だったりするのかなと。そう考えると、自らが咲かずとも、命が輝いている瞬間は多々あるのですよね」

人は一人では生きられないように、一人ではきっと咲けない。だから、咲いた時も咲いていない時も、それを愛おしく美しいと感じてくれる他者の存在こそが、人生の最たる希望だ。


芳麗さんによる連載10回目です

(芳麗 : 文筆家、インタビュアー)