ミシェル・オバマ元大統領夫人(写真:Bloomberg)

2009年から2017年までアメリカのファーストレディを務めたミシェル・オバマ氏。夫のバラク・オバマ元大統領が出馬したとき、選挙運動をすればするほど「自分の言動が恣意的に受けとめられて誤解されるようになった」と言います。それをどう克服したのでしょうか。

※本稿はオバマ氏の新著『心に、光を。 不確実な時代を生き抜く』から一部抜粋・再構成したものです。

わたしは火を吹く完全なモンスター?

バラクが大統領選挙に出馬したとき、固定観念(ステレオタイプ)が再構築されてある種の“真実”になるのを目の当たりにして、たちまちつらい教訓を得た。

人前でバラクのために選挙運動をすればするほど、わたしの影響力が大きくなればなるほど、わたしの言動は恣意的に受けとめられて誤解されるようになり、ことばがねじ曲げられて表情が漫画に描かれるようになった。わたしは夫が大統領候補にふさわしいと確信し、彼がこの国に何かを提供できると熱っぽく信じていたけれど、その熱意が見苦しい怒りとして描かれることも一度ではなかった。

想像上で語られる右翼的なおしゃべりの一部を信じるのなら、わたしは火を吹く完全なモンスターだった。しかめっ面で歩きまわり、いつも怒りで煮えくりかえっている。不幸なことにこれは、より大きく、より根深いイメージと一致している。

最近、職場研究の分野で研究者がそのイメージについて論じている。黒人女性が少しでも怒りに似たものを表明したら、それはその人の性格の特徴と見なされがちで、怒りのきっかけになった事情と結びつけて考えられることは少ないという。

そうなると当然、その人は社会の隅へ追いやられやすくなるし、だめな人間として一蹴されやすくなる。やることはなんでも――とる行動はすべて――線を踏みこえていると見なされかねない。それどころか、単純に線の反対側のまちがったところに生きる人間としてしりぞけられるかもしれない。そのレッテルを貼られると、すべてのコンテクストが消えてなくなる。“怒りっぽい黒人女性! それがおまえだ!”

どこかの地域が“貧民街(ゲットー)”と呼ばれるのと変わらない。手っとり早く効果的にそこをしりぞける手段。近づかず、怖がって身をひいて、ほかへ投資するように警告する、暗号化された偏見。豊かさ、活力、個性、可能性はないがしろにされ、周縁へ追い払われる。

周縁に閉じこめられていることで、怒りを覚えたら? 投資されない地域で暮らしていることで、身動きが取れずに切羽つまった人のように振る舞ったら? そう、その行動のためにステレオタイプが確認されて強化されるだけだ。

するとさらに身動きが取れなくなり、それについて発言しても、まともに受けとめられなくなる。声を失い、耳を傾けてもらえなくなって、他人にレッテルを貼られた失敗者として実際に生きることになるかもしれない。

とてもつらい。その気持ちはわたしもわかる。

攻撃的で怒りっぽいという印象を消し去れない

どれだけ冷静でいても、ファーストレディとして勤勉に働いていても、攻撃的で怒りっぽく、それゆえ尊敬に値しないというわたしの印象は、消し去るのがほとんど不可能だと感じられるときもあった。

2010年にわたしは、アメリカで子どもの肥満が蔓延している問題に声をあげ、比較的シンプルな変化を求めて運動をはじめた。もっと健康にいい食べ物を学校で提供できるようにするためだ。

すると、保守派の有名コメンテーターたちが昔のステレオタイプに飛びつき、それを攻撃に利用して、わたしのことをこんなふうに描きだした。拳を振りまわす出しゃばりな破壊者で、子どものしあわせをぶち壊し、自分の持ち場ではないところへ口出ししようと躍起になっている。わたしはフライドポテトを食べた人を刑務所に入れるのだという。政府が強制する食べ物を強引に売りこんでいるのだとも。

そこから陰謀はやすやすと広がっていく。「政府が食べ物について指図するのを許されるのなら、次は何でしょう?」FOXニュースのコメンテーターは大げさに声をあげた。「結婚相手、働く場所まで決めはじめるのでは?」。

もちろん、どれも本当のことではない。でも、深く根を張ったステレオタイプにうそが支えられていると、そのうそははるかに消えにくくなる。それに、ステレオタイプを消し去るのはむずかしくてしんどい仕事だ。すぐにわかった。

あらゆるところに罠が仕掛けられている。ステレオタイプに正面から対処しようとして、フレンドリーで明るいインタビューで(2012年の《CBSディス・モーニング》でゲイル・キングと)それについて話しあうと、返ってきた反応の一例が下の見出しだ。

Mad as Hell Michell!
First lady: 'I'm NOT some angry black woman'

ミシェルが激怒!
ファーストレディいわく「わたしは怒りっぽい黒人女性ではない」

いつでもキレていると見なされることにキレてもいい? もちろんいいけど、そんなことをしてだれの役に立つの? そうすることで、どれだけわたしが強くなるの?

そんなことはしないで、わたしは気高く生きなければならなかった。

「気高く生きる」とは?

いろいろな質問を受けるなかで、何よりも頻繁に、かならずといっていいほど尋ねられることがひとつある。インタビューを受けたり、初対面のグループのなかに腰をおろしたりするたびに、ほとんど毎回だれかが手をあげてこんな質問をして、みんなが身を乗りだし、耳を傾ける。

“気高く生きる(go high)”というのは、どういう意味ですか?

この先何年もこの質問に答えつづけるのかもしれない。だから、ここで答えを考えてみたい。

初めておおやけの場で「相手が低レベルだったとしても、わたしたちは気高く生きる」ということばを口にしたのは、2016年にフィラデルフィアでひらかれた民主党全国大会でのことだった。

ヒラリー・クリントンが大統領選に出馬していて、ドナルド・トランプも出馬していた。わたしの仕事は、民主党支持の有権者を結集させること。参加をつづけ、必要な仕事をして選挙日には投票し、支持する候補者を当選させようと念を押していた。

よくするように、わたしはこんな話をした。ふたりの娘の親として、いまのさまざまな問題はわたしにとって重要だ。いつでもバラクとわたしの選択を導いているのは、価値があると娘たちに知っていてもらいたい原則だ。

正直なところ、「わたしたちは気高く生きる」というフレーズがそれから何年もわたしについてまわり、わたしの名前とほとんど同義語になるなんて、思ってもみなかった。

わたしはただ、わたしの家族が従って生きようとしていた単純なモットーを分かちあっていただけだ。ほかの人たちが誠実さを失っていくのを目の当たりにするなか、バラクとわたしがそれを手放さずにいるために、自分たちに言い聞かせていた簡潔で便利なことば。

“気高く生きる”は、いつでもさらに努力し、さらによく考えるために心がけていた選択を言い表す手段だった。わたしたちの理想をシンプルに表現したもの。鍋にはいろいろな材料が入っていて、それはすべてわたしたちが幼いときから少しずつ集め、長年かけて煮つめてきたものだった。“真実を語り、まわりの人に最善を尽くして、広い視野を保ち、タフでいる”。基本的にこれが、生きていくためのわたしたちのレシピだ。

バラクとわたしは、“気高く生きる”という考えに個人として何度もコミットし、コミットしなおしてきた。とくに激しい選挙戦と政治闘争を経験し、世間の目にさらされながら生きていこうとするなかでは。

試練を受けていると感じたら、いつもその考えを呼び出して、道徳的課題に直面したときに心を落ちつかせるよすがにした。ほかの人が最悪の姿をさらしているとき、自分はどうする? 攻撃されていると感じるとき、どう反応する?

答えがすぐにわかって、疑いの余地がないと感じることもあれば、なかなかわからず、状況があいまいで、正しい道を見つけるにはさらに考えなければならないこともある。

「気高く生きる」のはいつでも試練

“気高く生きる”は砂に線を引くようなものだ。境界線が見えるようにして、少し時間をかけて考えられるようにする。わたしはどちらの側にいたいの? それは立ち止まってよく考えようという戒めで、心と頭の両方で反応しようという呼びかけだ。

“気高く生きる”のは、いつでも試練だとわたしは思っている。だからこそ、2016年の大会でこの考えをみんなに示さなければならないと感じた。国として、わたしたちは試されていた。道徳的課題に直面していた。反応を求められていた。もちろんそれは初めてではなかったし、当然、最後にもならない。

でもシンプルなモットーには、おそらく問題がある。日々の習慣として実践するよりも、覚えて繰り返すほうが簡単なこと(あるいはマグカップ、Tシャツ、トートバッグ、野球帽、HBの鉛筆一式、ステンレスの水筒、スポーツ用のレギンス、ペンダント、壁にかけるタペストリーに記すほうが。どれもインターネットで売られている)。

小さなことにくよくよするな? 平静を保って戦いつづけよう?

もちろん、どれも大賛成。でもどうやってするのか教えてほしい。

最近では“気高く生きる”の意味を尋ねられるとき、その裏に少しあからさまな疑問を感じることがある。そこには当然の懐疑心が含まれている。うんざりした気持ちから生まれ、努力しても無駄で試練に終わりがないと思えるときにやってくる感情。

“でも待って、最近の世界を見た? どこまでひどくなるの? 闘うエネルギーなんてある?”

2020年5月、ミネアポリスの街角でジョージ・フロイドが警察官に膝で首を押さえつけられて死んだあと、こんな疑問を投げかける手紙やメールを受け取った。“気高く生きる”は本当に正しい反応なのか。連邦議会議事堂が襲撃されたあとや、共和党幹部が選挙について有害で誤った主張を支持しつづけたあとも、みんな同じような疑問を抱いていた。

腹立たしいことが際限なく起こる。パンデミックでアメリカでは100万をこえる人が亡くなり、この国の文化の格差がすべて浮き彫りになった。ロシア軍がウクライナで一般市民を殺戮した。アフガニスタンでは少女が学校へ通うのをタリバンが禁じた。アメリカではリーダーたちが人工妊娠中絶の非合法化へ動き、コミュニティは銃による暴力と憎悪犯罪(ヘイトクライム)に絶えず打ちのめされている。

トランスの権利、ゲイの権利、投票権、女性の権利―─すべてが攻撃を受けている。さらなる不正、さらなる残虐行為が見られるたびに、さらなるリーダーシップの機能不全や腐敗や権利侵害が起こるたびに、これと同じ疑問を投げかける手紙やメールを受け取る。

“いまでもまだ気高く生きるべきですか?”

“わかります。でもいまは?“

わたしの答えはイエスだ。いまでもイエス。気高く生きようとしつづける必要がある。この考えにコミットし、コミットしなおさなければならない。誠実に動くことが大切だ。これから先もずっと大切。それは1つのツールなのだから。

「気高く生きる」は感情を行動へ移すこと

でも、同時にはっきり伝えておきたい。“気高く生きる”は感じるだけのものではない。実行するものだ。現状に甘んじて変化を待とうという呼びかけではないし、ほかの人の格闘を傍観していようという呼びかけでもない。抑圧の条件を受け入れることではないし、残虐行為や権力を放置することでもない。

“気高く生きる”という考えから生まれる疑問は、この世界でさらなる公平、良識、公正を確保するために闘う義務があるか否かではない。問題は、どのように闘うかだ。直面する問題をどのように解決しようとするのか。燃え尽きることなく、効果をあげられるまでどのように持ちこたえるのか。

これは不公平で効果のない妥協だと考える人もいる。その人たちに言わせれば、これは“リスペクタビリティ政治”(望ましくないと主流社会が見なすマイノリティの特徴を、マイノリティの側が正そうとすること)の延長線上にある。つまり生きていくために妥協していて、ルール自体に異議を申し立てていないことになる。当然みんな疑問を抱く。

“どうしていつも、わたしたちがものわかりよくいなきゃいけないの?”

理性には怒りが入りこむ余地がないと考える人がいるのもわかる。“気高く生きる”は、どこか距離をとり、普通にしていたら怒りやいらだちを覚えかねないものに無頓着でいることだという見方も理解できる。

でも、そんなことはまったくない。

2016年、フィラデルフィアの全国大会で最初にこのことばを口にしたとき、わたしは距離はとっていなかったし、無頓着でもなかった。それどころか、かなり心乱されていた。

その時点でわたしは、共和党幹部たちの口からいつも出てくる腹立たしいことばに心底怒っていた。夫の仕事が傷つけられ、彼の性格が侮辱されるのを8年近くも見てきて、うんざりしていた。彼の市民権を疑問視する偏見に満ちた企てまであった(またあの考えがくり返される。“おまえが持っているものを持つ権利があるとは、わたしは思わない”)。そして、偏見のいちばんの煽動者が大統領選に出馬していることに怒っていた。

でも、わたしの力が本当にあるのはどこ? 苦痛や怒りに力があるわけではない。それはわかっていた。少なくともむき出しの状態では、フィルターを通していない状態では、そこに力はない。わたしの力は、その苦痛と怒りを使ってできることにある。それを持っていける場所、そのために選ぶ目的地にある。こういうむき出しの感情を、ほかの人に一蹴されにくい何かへ高められるかどうかにかかっている。明確なメッセージ、行動への呼びかけ、そのために働きたいと思える目標へと高められるかどうかに。

それがわたしにとっての“気高く生きる”だ。漠然としていて普通は不安をかき立てる感情を受けとめ、それを実行可能な計画に変えること。むき出しのものからより大きな解決策へと向かっていくこと。

はっきりさせておきたい。これはプロセスだし、かならずしも手っとり早くすすむわけでもない。時間と忍耐が求められるかもしれない。しばらく何もしないで腹を立てていてもいいし、不正や不安や悲嘆のせいで動揺していても、苦しみを訴えてもかまわない。回復や癒やしに必要な空間を自分に与えてかまわない。

感情は計画ではない

わたしの場合、“気高く生きる”には、たいてい反応する前に一度立ち止まる段階がある。それは一種の自制で、最善の衝動と最悪の衝動のあいだにある境界線だ。

“気高く生きる”は、薄っぺらな怒りと皮肉な軽蔑に加わろうとする誘惑に抗い、身のまわりの薄っぺらくて皮肉なものにはっきりとした声で応答する方法を見つけることだ。“反応”を受けとめ、“応答”へと成熟させたときに、これが実現する。

というのも、感情は計画ではないからだ。問題を解決してはくれないし、おかしなことを正してもくれない。いろいろな感情を抱くことはあるかもしれない─―たぶん抱くと思う。

でも、それに引きずられないように気をつけてほしい。怒りは汚れたフロントガラスかもしれない。苦痛は壊れたハンドルのようなもの。失望はなんの役にも立たず、不機嫌に後部座席に座っているだけ。それらを使って何か建設的なことをしなければ、車はまっすぐ溝へ向かっていく。

わたしの力はいつでも、溝にはまらずにいる自分の能力にかかっている。

“気高く生きる”について尋ねられたら、こんなふうに説明する。わたしにとってそれは、いろいろな“にもかかわらず”にもかかわらず必要なことをし、自分の仕事が意味を持つようにして、声に耳を傾けてもらえるようにすることだ。いつも機敏でいて、変化にそのつど適応できると役に立つ。あらゆる道具(ツール)が揃っていて、それを使う練習ができていたら、すべてが実現しやすくなる。

“気高く生きる”は、1日、1カ月、一度の選挙周期で起こることでもない。それは一生のあいだに、ひとつの世代のあいだに起こることだ。“気高く生きる”は、行動で示すものでもある。

愛情をもって生き、良識をもって行動するのがどういうことか、子ども、友人、同僚、コミュニティへきちんと示すこと。結局、あなたが人に差しだしたものだけが──希望でも憎しみでも──同じものをさらに生むのだから。少なくともわたしの経験ではそう言える。

ジョン・ルイスが伝えようとしたこと

しっかり心にとめておいてほしい。“気高く生きる”は仕事だ―─多くの場合、つらくて退屈で、面倒で過酷な仕事だ。憎しみや疑いを向けてくる人を受け流す必要がある。こちらの失敗を見たい人とのあいだに壁をつくる必要がある。まわりの人が疲弊したり、冷笑的になったり、あきらめたりしても、仕事をつづける必要もある。公民権運動指導者の故ジョン・ルイスは、これを伝えようとしていた。

「自由は状態ではない。行動である」とルイスは書く。「それは、遠くの台地の高い場所にあるうっとりするような花園ではなく、ようやく腰をおろして休める場所ではない」。

いまは“反応”するのがあまりにもたやすく、手軽になった時代だ。怒りは苦痛、失望、パニックとともに簡単に拡散する。情報と誤情報が同じ割合で流れているように思える。親指によってトラブルに巻きこまれ、怒りが簡単に伝達される。怒りのこもったことばを打って、ロケットのようにデジタルの成層圏へ発射するけれど、そのことばがどこに、どんなふうに、だれに当たるのか正確にはわからない。

たしかに根拠のある怒りや絶望も多い。でも問題はこうだ。その怒りをどうするの? それにくびきをかけて自制し、雑音(ノイズ)ではなくもっと長持ちする何かをつくれない?

いまは自己満足が手軽さの仮面をかぶっていることが多い。“いいね”をクリックしたり、シェアやリツイートのボタンを押したりして、たった3秒の努力をしただけで、活動している自分をほめたり、自分を活動家と見なしたりする人もいるかもしれない。ノイズをつくるのがうまくなり、お互いにそれをほめあっているけれど、仕事をするのをときどき忘れている。3秒間の努力で閲覧回数(インプレッション)は稼いでいるかもしれないけれど、変化は生んでいない。

何に反応や応答をしているのか。ときどき考えてみる値打ちがある。ソーシャルメディアに何かを投稿したり、大勢の人へ向けてコメントを出したりする前に、わたしはその問いを自分に投げかける。衝動的になっていて、自分がいい気分になろうとしているだけじゃないの? 感情を具体的で実行可能な何かと結びつけている? それとも感情に突き動かされているだけ? 変化を起こすのに必要な実際の仕事をする準備ができている?

文章を書くプロセスが有益な道具に

“気高く生きる”にあたって、わたしには文章を書くプロセスが驚くほど有益な道具になる。それは自分の感情を処理し、フィルターにかけて役立つかたちに変えられる手段だ。


バラクの選挙戦のあいだとホワイトハウスにいるあいだは、才能あるスピーチライターたちと仕事をする機会に恵まれた。いっしょに腰をおろして、頭の中身をことばにして吐きださせてくれる人たち。わたしが心の底からの感情を整理するのを聞きながらメモをとり、わたしが自分の考えを理解して考えを形づくるのを手助けしてくれる人たち。

信頼する聞き手に話をすると、いつも自分の考えを明るい日の光のもとで確認するきっかけになる。怒りと不安を分析し、大きな視点から論理的に考えられるようになる。

生産的なこととそうでないことを整理し、わたし自身にとってもっと高い次元にある真実にたどり着ける。わたしは学んだ。最初の考えに価値があることはめったにない。それは出発点にすぎなくて、そこから前へすすんでいく。

すべてをページのうえに広げてみて、それから磨きをかけ、見なおし、考えなおして、本当の目的をそなえたものへと向かう道を見つけていく。執筆のプロセスは、ひときわ強力な人生の道具になった。

(ミシェル・オバマ : 元アメリカ大統領夫人)