サッカーど素人がJリーグを経営することになって直面した困難とは(写真:panoramaimages/PIXTA)

人生では、突然、未知の環境に放り込まれてしまうことがある。

新型コロナウイルスは、多くの人を経験のない環境に追い込んだ。子どもでも、転校や引っ越しで不慣れな環境に放り込まれる。ビジネスパーソンならば、他部署へ異動する、新規事業を立ち上げるといったこともそうかもしれない。

プロのサッカー選手も監督やコーチも、そしてクラブ経営の経験さえもないのに、Jリーグのチェアマンに就任してしまった人物がいる。それがJリーグ第5代チェアマンで、現在、日本バドミントン協会会長を務める村井満氏だ。氏の著書『天日干し経営:元リクルートのサッカーど素人がJリーグを経営した』から、未知の世界への不安をエネルギーに変えるための心構えヒントを紹介しよう。

牢名主のような人生を送っていた


私は転職をしたこともない。

大学を経てリクルートという会社に就職するのだが、社内の部署は変われども、Jリーグのチェアマンになるまで転職をしたことがない。転職情報誌の『週刊就職情報』や『とらばーゆ』『B-ing』などの求人広告とりの営業もずいぶんとやった。

人材紹介会社リクルートエージェントの社長をやりながら、「これからは、転職でキャリアアップ」などともっともらしく転職希望者の背中を押していたのに、自分では転職をする勇気がなかった。

リクルートに転職してくる人々の自己紹介を聞く側に回っていただけだ。転校した経験もない。いわば「牢名主」のような人生をずっと続けていたのだ。

それがある日突然、Jリーグのチェアマンという仕事に就いた。

周りはまったく見知らぬ風景でほとんど知り合いがいない。周囲もほとんど私が何者なのかを知らない。彼らは日本語を話してはいるのだが、何を言っているのか意味がよくわからない。

顔には「Who is Murai?」と書いてある

私はまるで荒野にポツンと立っている案山子(かかし)のような存在だ。虚勢を張って胸を反らして立ってはいるのだが、カラスに怯えて、足が少し震えているようだ。多くのサッカー関係者をカラスにたとえては申し訳ないが、飛んでくるカラスは私のことを上から下まで品定めする。

54歳になってはじめて転校生になった気分だ。転校生は新しい学校に通う前日は眠れなかったのかもしれない。「友だちができますように」とこっそり布団の中で祈っていたのかもしれない。もっと優しくすべきだったと、今さら反省してももう遅い。私の周りを取り囲むカラスの顔にはWho is Murai?と書いてある。

無理もない。村井って何者? と思う人間がいて当然だろう。

1993年5月15日、Jリーグは川淵三郎初代チェアマンの強力なリーダーシップのもとで幕を開けた。社会現象とまで言われた華々しいプロサッカーリーグの誕生から数えて2023年には30周年を迎えた。

その歴史の中で20年を過ぎたタイミングとなる2014年の1月に5代目となる新チェアマンが誕生する。その男はスポーツ界ではもちろんのこと、サッカー界でもまったくその存在が知られていない異例中の異例の登用と言っていい。プロとしての選手経験なし、監督・コーチの経験なし、Jリーグや日本サッカー協会で常勤として働いた経験なし、極めつきは、就任前の3年間は香港を中心にアジアを転々としており、Jリーグの試合もまともに観ていない。

そんな素人チェアマンが誕生した。

サッカーの神様はそんな彼を値踏みでもするかのように、就任直後からさまざまな難問を投げかけてくる。新チェアマンとしてのはじめてのリーグ戦が開幕してまだ1週間というタイミングで事件は起こる。

プロスポーツで国内初の「無観客試合」

2014年3月8日、埼玉スタジアム2002で行われたJ1リーグ第2節、浦和レッズ対サガン鳥栖の試合会場において一部サポーターがゴール裏入場ゲート付近にコンコース側に向けて「Japanese Only」という垂れ幕を掲出したのだ。「外国人お断り、日本人限定」とも解されるそのメッセージは、人種差別、民族差別的な内容として、瞬く間にネットで拡散されることになる。

スタジアムにいた他のサポーターからも差別的なメッセージであると指摘されていたにもかかわらず、クラブが垂れ幕を撤去したのは試合終了後であった。

クラブの管理責任を重く見て、またFIFAのガイドラインや過去の累犯などの諸事情を勘案し、5日後の13日に新任チェアマンは浦和レッズの次のホームゲーム(第4節清水エスパルス戦)を「無観客試合」とする裁定を会見で発表した。事案を認識してから中4日で裁定を公表したのだ。

プロスポーツの裁定として無観客試合は国内初でもあり各メディアは大きな問題として取り上げた。当時の菅義偉内閣官房長官が人権の尊重の観点からも遺憾の意の表明をしたほどだ。

新型コロナウイルス禍での「無観客試合」が議論される6年前の出来事だ。日本のスポーツ史の中で、制裁処分として行われた第4節は日本中に報道されることとなった。新任チェアマンは自分で発表しながらその反響の大きさに戸惑っているような感じでもあった。

同時に八百長疑惑が勃発

まさに、同じ日となる3月8日のJ1リーグ第2節において別の大きな問題の可能性がさく裂していた。浦和レッズの差別的事案に翻弄されているまさに同じタイミングに、「サンフレッチェ広島対川崎フロンターレの試合において八百長行為があったのではないか」との指摘を受けたのだ。

その指摘は、日本サッカー協会が提携するFIFA直轄の八百長監視機関であるEWS(Early Warning System)から受けたものだ。統計的に見て異常と思われるオッズの変動が海外であったと言うのだ。

新任チェアマンは、海外のベッティング組織がJリーグの試合を賭けの対象としていることすら知らない状況だった。

この通報を受けたときに彼が考えたのは、もしJリーグで八百長が起きていたとすると、開幕1週間にしてJリーグはそれ以降の公式戦をすべて中断しなければならないということだ。もちろん、Jリーグそのものの存続にかかわる大問題だとも感じていた。

逃げるか、隠すか、時間をかけるか、専門家に委ねるか。

さまざまな思いが去来する。

天日のものすべて開示する

しかし彼は、両チームの社長を即座に呼び、両チームのすべての選手、指導者、運営関係者、レフェリーなどに対して弁護士立会いのもと徹底して事情聴取を行った。プロのテクニカルスタッフにも試合映像を観てもらい意図的な敗戦行為がなかったかどうかを審査した。

調査範囲は広いので途中でメディアに情報が流出するリスクもある。そうなれば日本中を巻き込んだ大問題になるのは明白だ。

しかし、作業は止めることなく進め、最終的には、問題となる八百長行為がなかったことを確認し、EWS側とも合意した。そして問題の存在や事実関係を自らつまびらかにすることを決めて会見に挑み、天日のもとにすべてを開示した。

人種差別的な垂れ幕事件と八百長疑惑が同時に勃発した1週間は混乱を極めた。着任早々でもあり、名前も顔も十分に把握していないJリーグの職員と1時間おきに交互の問題を議論していた。頭の中が混乱していた彼は、無観客試合を裁定した記者会見で不思議な発言をしている。

「こんなことを起こしては香港のようになってしまう」と発言しているのだ。記者はポカンとしている。彼も自分の発言のミスに気がついた。

人種差別に対峙する会見で、彼は八百長事案と混線してしまったのだ。彼はチェアマン就任前の3年間によく香港リーグのサッカーを観に行っていた。八百長事件が香港リーグの発展を阻害してきたという話もよく聞いていたのだ。

サッカーの神様が私を試している

会見で差別と八百長がこんがらかって話をしてしまうくらい彼も追い詰められていた。その新任チェアマンが、転校生の案山子である私、村井満であった。

私は当時、身近にいる人に「サッカーの神様が私を試している」と思わずつぶやいている。なぜに、就任早々このような大きな事案にさらされるのかと困惑するばかりであった。

サッカーの神様も私を品定めするカラスの仲間なのかもしれない。しかし、サッカーの神様が与えた垂れ幕事件と八百長疑惑の2つの課題は、のちに私が呪文のように繰り返す「天日干し」の発火点となるものでもあった。

(村井 満 : 日本バドミントン協会会長/Jリーグ第5代チェアマン)