人や動物と共生する微生物は、未来の医療に希望をもたらすのでしょうか(写真:cassis/PIXTA)

新型コロナに加え、インフルエンザの流行が拡大している。9月24日の日曜日、筆者は終日、勤務する都内のクリニックで診療していたが、1日でコロナ患者2人、インフルエンザ患者7人を診察した。

感染症の豊富な知識に驚き

筆者が驚いたのは、受診者の感染症に対する知識が豊富になっていることだ。新型コロナ・インフル抗原検査はもちろん、インフルエンザ治療薬のタミフルやゾフルーザから新型コロナ治療薬のラゲブリオに至るまで、さまざまな質問を受けるようになった。

メディアでコロナやインフルエンザの記事やニュースを見ない日はない。このような報道を通じ、感染症に対する国民の理解が深まったのだろう。感染症研究の成果を、多くの国民が認知するのは素晴らしいことだ。

実は、研究が進んでいる感染症は、新型コロナやインフルエンザだけではない。人体と共生する微生物についての研究も進展が著しい。本稿でご紹介したい。

8月3日、科学雑誌『サイエンス』誌に掲載されたアメリカのジョンズ・ホプキンス大学の、亜熱帯や熱帯地方の感染症マラリアに関する研究が注目を集めている。

研究では、 マラリアを媒介するハマダラカという蚊にデルフティア・ツルハテンシスTC1という細菌が感染していると、ハマダラカに寄生するマラリア原虫の増殖が抑制されることが明らかになった。

デルフティア・ツルハテンシスTC1菌は、ハルマンという有毒アルカロイドを分泌することで、マラリア原虫の成長を妨げる。一方、ハマダラカには害を与えず、むしろ共生関係にあることがわかっている。

この菌を活用することでハマダラカの体内でのマラリア原虫の増殖を抑制し、万が一、刺された場合の感染リスクを低下させる可能性がある。

世界の公衆衛生におけるマラリア対策の重要性は、改めて説明の必要はないだろう。2021年、世界では約62万人がマラリアで亡くなった。だからこそ、『サイエンス』編集部はこの研究を大きく取り上げたのだ。


『サイエンス』に載ったマラリアの記事(サイエンスのホームページより)

ジカ熱・デング熱の研究も進む

マラリアと同じく蚊が媒介するジカ熱やデング熱に対しても、共生菌の視点からの研究が進んでいる。昨年6月に中国の清華大学がアメリカの科学雑誌『セル』誌に発表した研究も興味深い。

ジカ熱やデング熱の原因となるフラビウイルス属は人には有害だが、蚊には害を及ぼさない共生菌だ。

以前から、ジカ熱やデング熱にかかると蚊に刺されやすくなることが指摘されていた。 清華大学の研究チームは、この機序の解明に取り組んだ。

彼らが実施したマウスの実験によれば、フラビウイルスに感染したマウスが発する揮発性成分のアセトフェノンが、蚊の嗅覚を刺激して、呼び寄せているようだ。実際、デング熱患者は、アセトフェノンをより多く放出していることも確認されている。

では、デング熱やジカ熱の患者の体内では、どのような機序でアセトフェノンの産生が増えているのだろうか。

それは、フラビウイルスが人の皮膚細胞の代謝に影響し、抗菌作用のあるタンパク質RELMαの産生を抑制しているのだ。抗菌作用が失われた皮膚ではさまざまな菌が増殖し、その中にはアセトフェノンを産生する共生菌も含まれる。

その結果、アセトフェノンの放出が増える。こうやって、フラビウイルスが感染した人の皮膚に蚊が吸い寄せられる。

この関係がわかれば、対応策を講じることは可能だ。

研究チームは、RELMαの合成を促進するビタミンA誘導体のイソトレチノインに注目した。この物質をマウスに投与したところ、アセトフェノンの放出が減り、蚊に刺されにくくなったという。

まだ動物実験のレベルだが、将来の創薬を見据えた興味深い知見だ。

ジカ熱やデング熱は、マラリアと並ぶ公衆衛生上の重要な課題だ。だからこそ、権威ある『セル』誌が大きく取り上げた。日本では、あまり注目されていないが、重要な研究だ。

共生菌に関する研究は、人においても進行中だ。

例えば、中国の南方医科大学の研究チームは6月15日、帝王切開で生まれた赤ちゃんに、出産直後に母親の腟液を塗布することが神経発達にどう影響を与えるかを調査し、その結果を『セル・ホスト・アンド・マイクローブ』誌に発表した。

この研究では、腟液を塗布された赤ちゃんは、無菌ガーゼを使用した対照群と比較して、腸内細菌の集合体である腸内細菌叢(そう)の発達が促進され、神経発達が良好だった。

わが子の健康な成長を願わない親はいない。この方法は途上国であっても、簡単に実行できる。

もちろん、その効果については、今後の検証が必要だが、現時点でも十分にニュース価値がある。だからこそ、『ネイチャー』誌でも「ニュース」として取り上げられた。

免疫が影響する病気との関連も

共生菌と病気の関係についても研究は進んでいる。

例えば昨年8月、アメリカのボストン大学の研究チームは、パラバクテロイデス・ディスタソニスという菌が腸内細菌叢にいる子どもは、1型糖尿病を発症しやすいという研究結果を『アメリカ科学アカデミー紀要(PNAS)』に発表した。

1型糖尿病は生活習慣病の2型糖尿病とは違い、 自己免疫疾患(免疫システムの暴走によって自分の免疫が自分の組織を攻撃してしまう病気)だ。新型コロナを含め、さまざまな感染症との関連が指摘されている。

問題は、どんな病原菌が1型糖尿病を起こすかで、パラバクテロイデス・ディスタソニスという腸内細菌は、その候補の1つだ。

パラバクテロイデス・ディスタソニスは、膵臓から分泌されるホルモン、インスリンの構成成分と類似したペプチド(hprt4-18)を産生する。人の免疫細胞は、この物質を異物と認識して攻撃するが、ときに誤って、人のインスリンやそれを産生する細胞を攻撃してしまうらしい。

腸内細菌叢からhprt4-18が検出された子どもは、そうでない子どもと比べて1型糖尿病と関連する自己抗体が検出される頻度が高い。

1型糖尿病のモデルマウスの腸内にパラバクテロイデス・ディスタソニスを移植すると、移植しなかったマウスと比べて、1型糖尿病の発症時期が早まったという。いずれも、パラバクテロイデス・ディスタソニスが1型糖尿病の発症に寄与することを支持する所見だ。

1型糖尿病は代表的な小児難病だ。今後、このような研究が進めば、腸内細菌をコントロールすることで、発症を予防できる可能性がある。

このような腸内細菌と病気の関連は枚挙にいとまがない。

昨年8月には、ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームが、人工甘味料による血糖上昇に腸内細菌が関係しているという研究を『セル』誌に発表した。

昨年12月にはアメリカ・ペンシルバニア大学の研究チームが、マウス実験ではあるが、腸内細菌が産生する脂肪酸アミドの代謝物が、運動の際に腸神経受容体CB1を活性化して、脳内での神経伝達物質ドーパミンを増やして運動への動機づけを強化するという研究結果を『ネイチャー』誌に発表した。間接的ではあるが、腸内細菌が生活習慣病の発症や予防にも影響するというわけだ。

さらに、より社交的な人ほど、腸内細菌の構成が多様であるという報告もある。2020年3月に、イギリス・オックスフォード大学の研究者がイギリスの科学雑誌 『ヒューマン・マイクロバイオーム・ジャーナル』に発表したものだ。

社交的な人ほど、さまざまな経験をするため、腸内細菌が多様化しやすいのか、あるいは、ある種の腸内細菌が産生する物質が、血流に乗って脳内に入り、人間の精神活動を刺激するのかはわからない。いずれの可能性もあるが、後者の場合、人が腸内細菌に「操作」されていることになる。

生物の多くは微生物と共存する

近年の研究により、健康に対する見方が変わりつつある。生物は多くの微生物と共生しており、共生関係の乱れが一部の病気の原因となるのだ。

なぜ最近になって、こうした研究が増えているのだろうか。それは、スーパーコンピューターの進歩などにより、解析能力が飛躍的に向上したためだ。

共生菌のゲノムは複雑であり、人のゲノムよりもはるかに多くの情報を持っている。東京大学医科学研究所の井元清哉教授(ヒトゲノム解析センター長)によれば、「腸内細菌のゲノム量は人の10倍以上」だ。「最近になってようやく解析が可能になった」そうだ。

今後、さらに多くの共生菌のゲノムが解読され、その実態解明が進むはずだ。我々の健康観念は大きく変わる可能性がある。

(上 昌広 : 医療ガバナンス研究所理事長)