トイレなどで重宝する芳香剤入り消臭剤。嫌なにおいだけ消して良いにおいを消さないのは不思議です(写真:Xeno/PIXTA)

「どうして疲れると眠くなるの?」「どうして楽しい時間はあっという間に過ぎるの?」「現代アートはなぜあんなに難しいの?」

なんとなく知った気でいるけど、いざ聞かれてみるとはっきり答えられないような身近な疑問の数々。そんな疑問に、東京大学の教授陣が「大真面目に」「学問の視点から」挑んだのが『素朴な疑問VS東大「なぜ?」から始まる学術入門』です。

本稿では、そんな同書から一部を抜粋、再構成してお届けします。

消臭剤はどうして悪臭だけを消すのか?

トイレなどで重宝する芳香剤入り消臭剤。考えてみると、嫌なにおいだけ消して良いにおいを消さないのは不思議です。なぜでしょうか。

―回答者(中村優希/東京大学大学院総合文化研究科助教)

においのもととなる分子が鼻腔にあるセンサーの働きをする細胞にくっつくと、その刺激が脳に伝わってにおいを感じます。良いにおいがする分子(以降、香り分子としましょう)が多くくっつけば、嫌なにおいがする分子(以降、悪臭分子)はくっつきにくくなり、悪臭は感じにくい。このマスキングという効果を使っているのが、芳香剤入り消臭剤です。

香り分子でセンサーをマスクするわけです。また、この他にも悪臭分子の構造を化学的に変える方法や、悪臭分子を物理的に閉じ込める方法もあります。分子の構造を変える方法では、たとえばアンモニアならアルカリ性なので酸性の薬剤を入れて中和することで、また、硫化水素などの硫黄化合物なら金属を入れて硫化物にすることで悪臭を消します。分子を吸着する方法で用いられるのは、活性炭やゼオライトのように小さな孔が多数空いた多孔質材料。分子を孔の表面に吸着させて出てこられなくするわけです。

市販の消臭剤では、これらのマスキング効果と、分子の構造を変える仕組み、そして分子を吸着する仕組みを組み合わせている場合が多いようです。消臭ビーズのように据置型のものは吸着剤を多めに、スプレー型のものだと分子の構造を変える薬剤を多めに配合しているはずですが、内訳は商品の表示欄を見てもわかりません。

各メーカーが工夫して編み出した配合は企業秘密でしょうね。

芳香剤の香りが消えないのはなぜか

では、消臭剤で悪臭は消えるのに、消臭剤に入った芳香剤の香りが消えないのはなぜなのか。

それは硫化水素の硫黄やアンモニアの窒素などの悪臭のもとになる元素が入った分子は多孔質材料の孔にくっつきやすい一方、リモネンを含むテルペン類などの芳香をもつ炭化水素はくっつきにくいからなんです。香り分子で孔に吸着しやすいものもありますが、芳香剤にはそうでないものが選ばれているということです。 


(出所:『素朴な疑問VS東大 「なぜ?」から始まる学術入門』)

このような多孔質材料には、物質を吸着するという性質だけではなく、不安定な化合物を孔の中に取り込むことで安定化させるという効果も知られています。私は、その性質をうまく利用して、繊細な構造をもつ酵素を剛直な多孔質材料の孔に閉じ込め、いわば鎧を纏わせる方法で、固体触媒としての酵素の新しい機能について研究しています。

強い結合を切って新しい結合をつくるには、熱を加えたり強い試薬を使ったりと無理を強いるものが多いのですが、常温下で無理なく反応させられるのが酵素です。植物や菌類などから抽出でき、現行の触媒に使われる貴金属より入手しやすい点も重要です。

酵素は、生体内の反応を効率よく促すことのできる優れた触媒として知られていますが、生体内から取り出してくると壊れやすいという難点があります。そんな酵素に鎧を纏わせることで、酵素のもつポテンシャルをうまく引き出し、生体外の様々な反応に利用できるのではないかと考えています。

また、多孔質材料として私が注目するのは、酵素を入れやすいサイズの孔をもつメソポーラスシリカ。将来的には、廃棄されたバイオマスやプラスチックから有機合成に必要な原料を再生したいと思っています。


(出所:『素朴な疑問VS東大 「なぜ?」から始まる学術入門』)

現代アートはどうして難しいのか?

いたずら書きのような線とか絵の具を塗りたくっただけとかただの便器とか……。現代アートってなんであんなにわかりにくいのでしょうか?

―回答者(松井裕美/東京大学大学院総合文化研究科准教授)

現代アートとは何か。時代的には主に世紀に創られた作品を指しますが、加えて、現代的な特徴を持つことも重要な要素です。その特徴とは何かを考えるのに欠かせないのが、デュシャン(20世紀初頭の現代美術の重要な先駆者の一人であり、ダダイスムやシュルレアリスムの運動においても中心的な存在でした。彼は様々な作品を制作し、伝統的な芸術の枠組みにとらわれない斬新なアイデアを追求しました)です。

ピカソは絵画や彫刻などのジャンルの概念を変えました。デュシャンは当然だと思われている価値体系や日常生活の根底にあるシステムを問い直し、芸術自体の概念を変えました。そうした問いから出発した芸術が現代アートの主流の一つであると言ってよいと思います。

既製品の香水ボトルに顔写真をつけた<美しい吐息>という作品があります。顔写真は自分が女装したもの。作者名はデュシャンの女性の分身であるローズ・セラヴィ。撮影したのは写真家のマン・レイ。商品と作品の違いは何かという問いとともに、作者は誰なのかという問いを示し、オリジナリティの概念をひっくり返しています。ところが、2009年にオークションでこの作品に10億円以上の値がつきました。オリジナリティとは何かを問う作品がオリジナルとして高い価値を得、本来の意味が変わりました。


(出所:『素朴な疑問VS東大 「なぜ?」から始まる学術入門』)

日常生活とは別の視点から問う

現代アートはなぜ難しいのか。それは問いを立てさせるためだと思います。何かの答えや気持ちよさを与える作品もありますが、それだけではなく、いったい何を意味しているのか、何がここで問われているのかといった問いを考えさせるのが現代アートの特徴です。


答えを出すのではなく、問いを引き出して考えさせるから難しい。日常生活とは別の視点から何かを問うことができるのが現代アートです。現代アートのファンの中には、作品がもたらすひらめきや居心地の悪さや答えがすっきり出ないことなどを楽しんでいる人も多いと思います。ファンでなくとも、感性だけでなく知性に訴えるものを求めたい性分が人にはあるのではないでしょうか。

現代アートが苦手な人は、気持ちよくなるわけでもないものをさも価値があるように見せられて怒るのかもしれませんね。実は私も昔は苦手でした。感性的に楽しめるもののほうが好きで、ピカソのキュビスムの作品がピンと来なかった時期もあります。でも、作品を観てどうしてこの構造になったのかと考えるうちに、知的な興味が掻き立てられました。

留学して外国語を使うことの難しさに直面したとき、それがキュビスムの絵を観たときの難しさに重なるように感じました。自分の問題と重なると思うと、作品の難しさは特別な意味をもって迫ってきました。絵を観ているうちにふと問いが飛び込んできて、それが自分の問題とかぶさり、作品が寄り添ってくるような感じがしたんです。

アートがどの段階から難しくなったとか、どこから現代アートになるのかなどということは、本質的な問いではありません。美術館の中でも外でも、何か気になるものがあって訴えかけるものがあったら、それを大事にすることが一番良い体験になります。また、美術館に展示された作品全てを理解するのが重要なわけではありません。一つでも自分に近い問題を作品から感じられることのほうが重要だと思います。

(東京大学広報室 : 広報室)