1973年のチリのクーデターから50周年。2023年9月11日、チリの首都サンチアゴ市内に飾られたアジェンデ大統領(中央)の写真(写真・Cristobal Basaure Araya/SOPA Images via ZUMA Press Wire/共同通信イメージズ)

歴史的事件が2つ、同じ日と同じ曜日に重なることは、めったにあるものではない。1973年9月11日と2001年9月11日は、ともに火曜日であり、しかもこの2つの事件は1つの長い糸で結ばれているともいえる事件だ。

その糸とは、新自由主義とグローバリゼーションという糸であり、新自由主義の始まりが1973年ならば、2001年はそれに対する反動が起こった時だったのだ。

1973年の事件は、チリの大統領サルバドール・アジェンデ政権(1908〜1973年、大統領在任1970〜1973年)を崩壊させた陸軍総司令官アウグスト・ピノチェト(1915〜2006年、同1974〜1990年)によるクーデターであり、2001年はアメリカおよび西側世界を震撼させた国際テロ組織アルカイーダとされるテロ攻撃である。

1973年・チリのクーデター

後者は、ニューヨークのワールド・トレード・センターのツインビルの崩壊と、テレビの実況中継というメディアによって、人々の心に印象的に刻まれている。

しかし前者に関しては2023年で半世紀たち、アジェンデもピノチェトも、そしてチリという国の存在すら、今では遠く忘れ去られてしまっているのかもしれない。

しかし2つの事件が20世紀、そして21世紀の現在の世界を知るために重要な歴史的転換を示す事件であったことは、けっして忘れてはなるまい。

ひとまず1970年代を振り返ってみよう。アメリカはベトナム戦争で苦戦し、経済的、政治的な危機に瀕していた。例えば1971年8月のニクソンショックや、1973年3月のアメリカ軍のベトナムからの撤退などだ。

1960年代には世界各地で植民地からの独立が達成され、それまで世界を支配していた植民地所有国である西側勢力が危機を感じていた時代である。

1954年から1962年にかけてアルジェリアが独立を目指したアルジェリア戦争、1959年に成功したキューバ革命、そしてベトナム戦争など、東西冷戦といわれた社会主義圏と資本主義圏との対立という構図があちこちで存在していた。これらの戦争と植民地の独立は、西側諸国にとって、たんに植民地を失うというだけでなく、社会主義圏の拡大という資本主義の危機もはらんでいた。

だからこそ、アメリカは西側資本主義世界の大国としての沽券(こけん)をかけて、この闘いに緩衝せざるをえなかったのである。

1970年11月、親アメリカ国家チリで社会主義政権が誕生する。それも革命ではなく、選挙によって誕生したのだ。アジェンデ政権は社会党、共産党、社会党左派の支持を受けて大統領選に勝ち、社会主義的改革を行い始めた。

チリは鉱山業と農業が輸出を支え、海外の西側資本が大量に投資されている国であった。アジェンデはそこにメスを入れた。農地改革と鉱山の国有化を行ったのである。海外資本、とりわけダウやデュポン、ITTなどのアメリカ資本がそれを見逃すわけはなかった。

議会で選ばれた社会主義政権が国有化政策などの社会主義政策を実行できるのかどうか、これは当時大きな議論を巻き起こした問題だった。ゲリラ闘争や正規軍を味方につけた革命が一般的であった時代に、議会制民主主義の中で、政権を掌握し、社会主義を実現しようというのである。

当時、1968年のフランスの5月革命をはじめ世界を覆っていた市民運動の流れの中で、アジェンデ政権が新しい社会主義への選択肢として、世界中の左翼に熱狂をもって向かい入れられたことは当然であった。

後にフランスの大統領となるフランソワ・ミッテラン(1916〜1996年、大統領在任1981〜1995年)も1971年11月にチリを訪問しているが、議会の中で社会主義を模索していた世界の左翼政党のアジェンデ詣でが始まる。

フィデル・カストロの予言

そのような中、1971年11月にキューバのフィデル・カストロ国家評議会議長(1926〜2016年)がチリを訪問した。そしてカストロは、この政権は長く続かないのではないかという予言めいたことを述べた。

「すくなくとも、1人の訪問者にとっての問題は、搾取者の暴力と抵抗がチリにも当てはまるのかどうかを知ることである。事実、歴史上、反動者、搾取者、社会システムの特権者が、変化を平和的に受け入れたことなどいちどもないのだ」

この言葉は2年後の9月11日、まさに現実のものとなる。キューバもアルジェリアも、ベトナムも国軍のみならず民兵組織によって長い闘いの後に革命を実現した。それが選挙による政権交代だけで変わりうるのか、誰もが疑問に思ったことである。

チリは典型的なラテンアメリカの国である。つまり、モンロー宣言(1823年)以後のアメリカのパックス・アメリカーナの一環の中に深く組み込まれ、アメリカ合衆国に利するように利用される国である。

ナポレオン戦争の最中の1810年に独立を達成して以後(ラテンアメリカの解放者、シモン・ボリバールの活躍で多くの地域がこの頃独立する)、独立すれども外国資本に牛耳られ、工業発展を抑えられ、原料供出国として位置づけられてきた。それは、欧州資本は土地や鉱山を所有し、その利益を維持することに奔走したからである。

アメリカにとって、キューバ革命で起こった社会主義化のドミノ現象をこれ以上認めることはできない。そうなると、カストロの予言通り、早晩軍事クーデターが起こるに決まっていたともいえよう。

チリの首都サンチアゴには、リベルタドールというこの町を貫通する大通りがあり、そこに大統領官邸であるモデナ宮殿がある。9月11日、アジェンデはその大統領官邸で、他国に亡命することなく自殺を遂げる。そして多くの民衆も虐殺された。その多くは筆者と同じ世代の若者であった。そのときのアジェンデの言葉はこれだ。

「私は撤退しない! 数千人のチリの人々の高貴ある意識の中に、われわれがまいている種は、けっして埋もれることはないと、思う。人民よ、万歳! 労働者よ! 万歳! これが私の最後の言葉だ。きっと私の犠牲も無駄にはならないだろう」

ピノチェトはその後、17年もの間、大統領の座に座り続ける。ピノチェトの背後にアメリカがいたことは間違いない。

この混乱の中、ノーベル文学賞を受賞した詩人であり外交官、政治家だったパブロ・ネルーダ(1904〜1973年)も亡くなる。彼は最後にこう書いている。

「われわれはこの血に飢えた大統領ニクソンを徹底して根こそぎに駆逐するつもりだ。ワシントンで彼がその鼻で息をしているかぎり、地球上で幸福な人間も、幸せに働ける人間もいないだろう」

新自由主義とその反動の時代

皮肉にもこの祈りは思わぬ形で実現する。ニクソンはその翌年の1974年、ウォーターゲート事件で大統領を辞任する。

1973年は西側資本主義国にとって社会主義政権に対する反抗の狼煙となる。ベトナムからは撤退したが、石油ショック以後にG7を立ち上げ、チリにはじめてシカゴ・ボーイズの新自由主義モデルが導入され、社会主義体制を破滅に追いやる戦略が練られる。シカゴ・ボーイズとは、シカゴ大学のミルトン・フリードマン(1912〜2006年)を中心とする「シカゴ学派」のマネタリストたちの総称だ。

そしてそれから10年以上経った1989年から1991年にかけてソ連・東欧社会主義体制、ひいては冷戦体制は崩壊し、世界は西側勢力を中心とした新自由主義のグローバリゼーションが席巻する。

まさにチリの9月11日は、新自由主義の勝利という歴史的転換を象徴するクーデターだったのである。

しかし、28年後の2001年9月11日は、行き過ぎた新自由主義への反動によって起きた事件だったといえる。アメリカと西欧が世界をグローバル化によって支配していく中で、それによって不利益を被っていたもう1つの声なき世界が異議申し立てを行ったのである。イタリアの哲学者であるアントニオ・ネグリ(1933年〜)は、彼らのことをマルチチュードと名付けた。

2019年3月、私はチリ大学を訪問した。あちこちに立て看が並び、学生がマイクをもって声を張り上げていた。それは、私の学生時代1970年前後の日本を見るかのようであった。

そしてそれから数カ月後、チリでは学生たちが政府に対して立ち上がり、新憲法を要求した。そして2022年3月、36歳の左派連合・チリ連合の新大統領ガブリエル・ボリッチ(1986年〜)が大統領になる。

アジェンデは、自殺した日「われわれがまいている種は、けっして埋もれることはないと、思う」と述べていた。

アジェンデがまいた種

もちろん50年の時を経てアジェンデのまいた種が今後どう発展するかは、不明である。新大統領はアジェンデと同じく、議会の反対勢力と対立している。ただ、チリを含むラテンアメリカ諸国は今、アメリカに対してしっかりとものを言える状態になりつつある。

2023年8月に南アフリカで開催されたBRICS首脳会議では、加盟国の拡大が行われた。彼らの生産力や人口を見る限り、もはや1970年代のような弱小国の集まりではない。インドでG20が開催されたが、西側資本主義は、かつてのように圧倒的な政治力、軍事力、経済力で世界を牛耳ることが、今ではできなくなっている。

1973年9月11日は西側資本主義の挽回をもたらしたが、2001年9月11日は再度、非西側諸国の復活を生み出したのかもしれない。今後、世界は非西側諸国によって動いていくだろうことは、おそらく間違いないだろう。

それがどういった体制を生み出すかわからないが、アジェンデのまいた種は、しっかりと大地に根付いていたのかもしれない。カール・マルクスが著した『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』の言葉を使えばこうだ。

「掘り返したぞ、老いたモグラよ!」

(的場 昭弘 : 哲学者、経済学者)