佐々木俊尚氏は、福井で暮らしてみて、貸し借りによって人間関係が保たれることを実感したそうです(写真:mits/PIXTA)

第42代アメリカ合衆国大統領のビル・クリントン、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス、グーグル元CEO(最高経営責任者)のエリック・シュミット、ChatGPTを開発したOpenAIのサム・アルトマンCEO――このそうそうたるメンバーが参加するアメリカ発の起業家コミュニティーがある。その名も「サミット」。

2023年8月30日に刊行された『MAKE NO SMALL PLANS 人生を変える新しいチャンスの見つけ方』は、4人の無名な “ビジネスのど素人”だった若者が、失敗と無茶を繰り返しながらサミットを立ち上げる過程を描いた、波瀾万丈のノンフィクションだ。

この本の軸を成すコミュニティーのあり方について、ジャーナリストの佐々木俊尚氏にさまざまな角度から話を聞いた。(記事の前編はこちら

ネットワーク化されたコミュニティー


現代は、コミュニティーの定義そのものが変化しています。

例えば、フェイスブックは、全員が網の目でつながっていて、中心点も境界線もありません。僕はこれを、「ネットワーク化されたコミュニティー」と呼んでいます。

「あの人はあのグループの人」という明確な定義はなく、「あの界隈の人」という感覚で見ている。そのグループに入る、入らないという発想ではなく、なんとなくその辺りにゆるやかなつながりを持つという感覚です。

今はテクノロジーが支援して、地方のどこにいても連絡が取れます。個人的に「この人、いい人だな」と思えば、仕事の関係があろうがなかろうが、やり取りを続けてもいけます。

福井にも住むようになってから、東京が中心にあるという発想はなくなり、いろんな中心地がそこら中にあるのだと考えるようになりました。

かつては、東京で何か起きれば、それが雑誌などを経由して地方に伝わるという流れがありましたが、今は完全にインターネットです。東京も地方も同時多発で、地方の人も東京に憧れなくなりました。

『MAKE NO SMALL PLANS 人生を変える新しいチャンスの見つけ方』では、エリオット・ビズノーたちが、ニューヨークやサンフランシスコなどの都会に憧れるのではなく、ユタ州のスキー場を拠点にしますが、これも同じ流れのように感じますね。

コミュニティー志向には関係性が重要

コミュニティー志向で大事なのは、人との関係性です。

就職してもブラック企業だったり、弾き出されてしまったりしたら、自力で生き抜くために自己啓発本を手に取る。そして、オンラインサロンなどに足を運ぶ。

ところがそこには、お金儲けをしたいギラギラした人が集まり、欲望が渦巻いていて、他人が自分の得になるのかどうかしか考えていません。

そうではなく、いい人だから会う、考え方に共感できるから会うといった内在的な価値に目を向けることが重要です。そのような関係性には、年齢も肩書きも関係ありませんし、利用される心配もありません。

価値ある人と出会えると、「一緒に何かやろう」ということになる。コミュニティーとはそういうものだと思うのです。

本書では、イベントのためにどう人を集めるかというシーンで、「最も重要なのは、心優しく他人を思いやれる人たちに集まってもらうということだ」という言葉が出てきます。これはいい言葉だなと思いました。

よい関係性を作るには、相手がいい人だったり、公益性が高くて社会に価値を提供できそうな人だったりするなら、見返りは要求せず、惜しみなく好意を与えることだと思います。

返さなくていいから、「貸し」を作っておくという発想です。

貨幣経済の発端は、古代の物々交換だったと言われていますが、実は、それを証明する歴史的な史料はありません。

考えてみれば、等価交換できるものはそうありません。現実的には、羊1頭をもらって、その時には何もお返ししないけれど、「あの人には貸しがあるから、いつか返さなきゃ」と思う。だから、また会うというところではないでしょうか。

貸し借りによって人間関係が続く

『負債論』のデヴィッド・グレーバーは、その場で精算してしまうと、次に会う用事がなくなるので、ちょっと貸し借りを作ること自体が、人間関係を続けさせる1つの軸になっていると言いました。

僕は、3拠点生活で福井に住んでいますが、このことがとてもよくわかります。

ご近所さんは、頼めば何でもやってくれます。網戸が壊れると、建具店のお兄ちゃんがタダで直してくれる。その代わり、心の片隅に「借りができた」という気持ちがずっと残るので、いつか彼に何か頼まれたら、やってあげようと思うのです。

つねに貨幣経済的に交換しなければ気が済まないというのは、われわれにとっては呪いだと言ってよいでしょう。交換できないところに価値があるのです。

本書では、イベントを通して慈善事業をやっていきますが、みんなこんな簡単にお金を出資するものなのかと思います。でもこれが、アメリカのノーブレス・オブリージュなんですよね。

1990年代終わり頃から、日本の起業家文化もかなり変わってはきました。しかし、やはり、金なんです。

本書の舞台より少し前の2005年〜2006年頃、日本では、今の団塊ジュニア世代から、社会貢献をしたいという起業家が現れます。でも、ビジネスモデルとしてうまくいきませんでした。

そして登場したのが、ゲームのプラットフォームです。軒並みソーシャルゲーム事業へと移行していきました。

ものすごくお金が儲かるわけですが、ガラケーでゲームをやっているのはほとんどが貧困層です。そういう人たちからお金を搾取しているのが、ソシャゲの会社というわけです。スタートアップのイベントでは、成功者たちが、どれだけ大儲けしたのかを自慢していました。

アメリカでは社会への価値の還元を重視

その頃、シリコンバレーでは、お金儲けだけではなく、ちゃんと社会に価値を還元しなければダメだと語られるようになっていて、日本とアメリカではずいぶん差があるなと思いましたね。

日本は、今も同じです。例えば、暗号資産については、いかに価値があるかというお金儲けの話しかしません。それが社会に普及することで、どういう価値を与えられるのかという議論を誰もしないのです。

社会起業を目的とする人は現れてはいますが、大企業として巨大化しているところはあまりないですね。日本には、エリオット・ビズノーのような人物は思い当たりません。

2010年代後半以降の若い起業家には、会社を大規模化したくないという人が如実に増えています。顧客にちゃんと価値を提供できて、自分たち創業メンバーが楽しければ、この小さな規模でずっとやっていきたいという考えですね。

ただ、現実は難しい。成長すればお金は儲かります。お金を目標にすると、余計なことを考えずに規模を拡大して、お金を儲け続けられます。

コミュニティー・マネジメントの課題


一方、コミュニティーとして機能するような、社員30人程度までの小さな会社を維持するのは難しい。事業規模が小さくなりますから、潰れてしまったりするのです。

新陳代謝の問題もあります。一般的なコミュニティーも、維持しようとすると、メンバーが常連化してゆき、新しい人が入りにくくなってしまいます。

かと言って、同じメンバーで維持できるわけでもなく、メンバーが抜けるなどして先細りになるのです。

どうやってつねにリフレッシュしながら、規模を大きくしすぎず、お互いの顔が見える程度でつなげていくか。コミュニティー・マネジメントの分野でも、難しい課題とされています。

(構成:泉美木蘭)

(佐々木 俊尚 : 作家・ジャーナリスト)