学びとアウトプットは、セットでなければ意味がありません。自分が得た知識をそのまま外に出すだけでも、立派なアウトプットです(写真:YUJI/PIXTA)

「勉強しないとなあ。でも面倒だなあ……」

勉強の主役が子どもだったのは昔の話。生涯学習がトレンドとなっている現在では、大人も学び続ける必要があります。しかし、やる気がなかなか出ないもの。どうすれば、学習効果を高められるのか……。

それについてつづったのが、齋藤孝さんの新著『頭のいい人の独学術』。本稿では「学習のパフォーマンスを高める4つのとらえ方」についてつづったパートから一部抜粋&再構成。その中から、「2つのとらえ方」についてお届けします。

高め方その1:学んだ直後に「30秒プレゼン」をする

学びとアウトプットは、セットでなければ意味がありません。インプットしたことはアウトプットしなければ、あなた自身のパフォーマンスが上がったとは言えないでしょう。

だからといって、難しく考える必要はありません。本を読んだ翌日や映画を観た帰り道など、いつでもどこでも、誰に対してでもいいので、15秒から30秒で感想や内容を話せばいいのです。

私が先日、WOWOWで観た『美しすぎる裸婦』というロシア映画があります。この作品について話すなら、次のように説明します。

「昨日、ロシア映画を観たんだよ。有名な写真家の男が、ろうの美しい女の子を被写体として気に入って監禁する話でね。男は異常なまでに女の子を撮り続けて最後は丸坊主にしてしまうんだけど、女の子は必死で逃げ出して、男は警察に捕まえられるの。

でもその女の子は男が撮った写真をパソコンで見て、はじめて写真家としての真の情熱と力量を知る、っていう話だったんだよね」と簡単なあらすじを説明して、だいたい30秒くらいでしょう。

感想まで言わなくても、雑談としてどんな映画だったか短く説明するだけでいいのです。

アウトプットというと、何か文化的なもっともらしいことを言おうとする人がいるのですが、自分が得た知識をそのまま外に出すだけでも立派なアウトプットです。むしろ重要なのは、何を話すかより、短く話すことです。目安は30秒で、30秒を超えると途端に相手は興味を失っていきます。

ここまではっきり言えるのは、人が他人の話に興味を失いはじめる時間を調べたことがあるからです。

調べ方は簡単で、学生が何か発表しているとき、「どのくらい経つとみんな飽きはじめるんだろう?」と、聴衆の様子を観察しながら時間を計るというものです。

100人くらい聞き手がいると、全体の雰囲気や表情を見れば飽きてきたことがわかります。みんなそろそろ飽きてきたな……と感じたタイミングが30秒ほど経ってからでした。

逆に言うと30秒までは、みんな心をオープンにして聞いてくれるのです。それまでに面白い話とは思えなかったら、30秒を過ぎたあたりできつくなりはじめます。

そのあとも、1分までは耐えて聞いてくれる人が多いのですが、2分、3分経つと「もう無理」という感じで、多くの人は気が散りはじめます。5分が過ぎた頃には、「その話いつまで続くの?」「早く終わってくれないかな」と言わんばかりの、あからさまに退屈そうな顔をする人も出てくるほどです。

ただし、聞き手の人数が少なくなると、話は変わります。3〜4人くらいまでだと集中力を維持できるので、5分のプレゼンでも聞き続けることはできます。でも単に聞いているだけなのか? 興味を持って聞いてくれているのか? という違いを考えると、やはり30秒が限界なのです。

学んだことを一言だけでも、そのまま口に出せばいい

くわえて、相手の気をそらさないためには、できれば15秒で言い切ることが理想です。15秒といえばテレビCMと同じですから、ポイントを一言でプレゼンするようなイメージです。

「そんな短い時間だと何も話せない」と思うかもしれませんが、雑談というのは挨拶プラスアルファ程度のもの。学んだことを何か一言だけでも、そのまま口に出せばいいのです。

心理学者のアドラーの本を読んだあとなら、「アドラーによると劣等感があるのは普通のことで、それが嫉妬や自己嫌悪になって自分でも手に負えなくなる『劣等コンプレックス』が問題なんだそうですね」という具合。これだけで15秒です。

それに対して相手が、「なるほどね。劣等感は持ってもいいけれど、コンプレックスになっちゃいけないんだね」と反応してくれたら、「その2つの違いをはっきりさせて、劣等感を肯定したアドラーってすごいですよね」と返すと、30秒くらいの知的な雑談になります。

イメージとしては、朝井リョウさんのデビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社)のようなノリで、「アドラーって、劣等感という言葉を広めた人なんだってよ」と伝える感じです。

前者が、「桐島っていう人が部活をやめるって、そんなに重大なことなの?」と気になるように、後者も「アドラーって、そんなすごいことをした心理学者なの?」と、相手の興味を引くことができればよいでしょう。

ちなみに、『桐島、部活やめるってよ』は、肝心の桐島本人が作中に登場しないため、タイトルだけで想像力を働かせながら読むところが、この作品の面白さです。そういうセンスのよさから、朝井リョウさんの作家としての優れた才能を感じます。

この「桐島方式」を使うと、たった一言でアウトプットができるようになります。

別にオチがなくても、話が広がらなくてもいいのです。関西の人がさんざん話をしたあと、「知らんけど」と言うことがあります。あれも最強の言葉で、いい意味であのくらいの無責任さを見習って、相手の反応を求めすぎないことが気楽な雑談のポイントです。

誰かとエレベーターで一緒になったときや、トイレで一緒になったときの立ち話でもいいので、「桐島方式」や「知らんけど方式」で15秒アウトプットをぜひ試してみてください。

読んだ本のことだけでなく、新聞やニュースはもちろん、マンガ、アニメ、ドラマ、映画の話でも何でもいいのです。自分にとって学びだと思ったことを、息を吸って吐くように毎日誰かに伝えていると習慣になっていきます。

高め方その2:独学でメンタルを強くする

日々、学び続けている人間は心が強くなっていきます。心が弱い人間でも、学び続けることでメンタルを鍛えることができるのです。

論語に、「我、仁を欲すれば、斯に仁至る」という言葉があります。孔子は「仁」が人間最高の徳であると考え、論語にも頻繁に「仁」という言葉が出てきます。そして、「仁」は容易に到達できるものではないけれども、学びに向かうことで徳を積むことができると説いています。

つまり、重要なことは学ぶ内容ではなく、学ぶ姿勢で、人が学んでいるときのメンタルは、前に向かっている状態なのです。

前に進んでいると逆風にも強くなるので、少々、ネガティブなことがあってもダメージを受けにくくなります。逆に、メンタルが後ろ向きだと、少しうまくいかないことがあっただけで、グラグラ揺れたり、倒れそうになるものです。

自分自身、振り返ってみると、学びによってメンタル面を支えてくれる「味方」が増えたと実感しています。たとえば、フロイトとアドラーを学んで、人の心の仕組みがわかったことで、精神的にかなり強くなったと感じています。

『臨済録』(岩波文庫)も、おすすめの一冊、この本を読んだ人はみなさん、臨済のことがきっと好きになると思います。

臨済は、自分の外に仏を求める修行者に向かって、「今わしの面前で説法を聴いているお前こそがそれだ」と言いました。

「仏を探し回らなくても、お前こそが仏なんだ」というこの言葉、ハッとさせられませんか? 臨済を心の味方にすれば、「自分が仏なんだ」と思えるので、確実にメンタルが強くなります。

私自身も、心の中に臨済がいるので、臨済宗のお寺の僧侶のみなさんに『臨済録』の素晴らしさを説いた、今思えば恥ずかしい、不思議な経験があります。

それはまるで、専門家を相手に素人がその専門知識を宣伝するようなものですから、臨済が心の中に入ってくると、そこまでメンタルが強くなるというひとつの例です。

情熱的な学びが常態化すると、自己肯定感が高まる

学びでメンタルを鍛えるためには、情熱を注がなければいけません。走り続けている車や、飛び続けている矢が強いのは、それだけエネルギーがあるからです。学びも加速度をつけなければ、途中でぺースダウンしてエンジンが止まってしまいます。


ですから私は、教師を志望して学び続けてきた学生たちに情熱があるかどうか、チェックすることがあります。情熱がない先生は、教わるほうも情熱を持って学ぶことができないので、授業を聞いてもらえなくなるからです。

英語の先生だったら英語の面白さに、数学の先生だったら三平方の定理の面白さに、日々感動していてほしい。教壇に立った瞬間に、その感動を表現できれば、生徒にもその熱量が伝わります。

学びとは感動することなので、心が動く学びを続けていれば、自然と人にもその感動を伝えられるようになるのです。

教師志望で、学びの感動を他人と共有できない学生がいた場合は、本人が「すごい! すごすぎる!」と思えるようなカリキュラムに、全部作り直してもらうこともあります。

英語であれば、「関係代名詞ってすごい! 不定詞もものすごく便利ですごすぎる!」といった具合に、感動するポイントを軸に教材を作ってもらうのです。

国語の教師になりたい人なら、夏目漱石の『草枕』で、「すごい! すごすぎる!」と思えるポイントを3つ挙げてもらいます。

するとその人は、『草枕』を学ぶ意欲に勢いがつき、心が前向きに加速して、自信を持って教えられるようになります。

このように、情熱的な学びが常態化すると、自己肯定感が高まります。日本人は、自己肯定感が低いと言われていますが、自己肯定というのは、自分も含めたこの世界を肯定するほうが先なのです。

世界を肯定することで、結果的に自分も肯定できるというのが、私が考える正しい順番です。学ぶことがたくさんあるこの世界には価値がある。その価値ある世界は、今生きている「私の世界」でもある。この世界は、自分の世界なのだ。そのように価値ある世界を肯定できれば、その中に存在している自分も肯定できるのです。

自己肯定感は自分だけの問題ではなく、世界を見ることで「私」という存在にも価値があることに気づくわけですね。

これはハイデガーが「世界内存在」と定義している考え方で、はじめて学んだとき私は「まさにその通り。いい考え方だな」と思いました。本当の意味での自己肯定感は、世界が素晴らしいと思えるかどうかにかかっているので、世界の価値あることを学ぶことが大事なのです。

自分の性格や気質についてあれこれ考えるより、世界を作り上げてきた偉大な先人たちに学んで、自分の存在する世界を肯定したほうが早く自己肯定感を高められるのです。

(齋藤 孝 : 明治大学教授)