「なぜ勉強する必要があるの?」と子どもに聞かれたとき、親としてきちんと答えることができますか?(写真:すとらいぷ/PIXTA)

子どもに「なぜ勉強する必要があるの?」と聞かれたとき、あなたはズバリと答えられるだろうか。

親自身がうまく言語化できておらず、あやふやな答えをして、子どもをがっかりさせてはいないだろうか。

小中学生向け新刊『勉強の面白さってなんだろう』を監修した、花まる学習会代表・高濱正伸氏は、「勉強というものの意義」についてかみ砕いて説いている。記事の中で取り上げた“勉強の本質”について、家庭で子どもたちにわかりやすく伝えるときのヒントとしていただくとともに、大人のあなたにもぜひ“自分事”としてお読みいただきたい。

勉強ができるかどうかは大人になったら関係ない

「あの人は頭がいい」と聞くと、「勉強ができる人」というイメージを抱くかもしれません。しかし、テストでいい点を取って、いい学校に行ったからといって、その人が必ずしも「頭がいい(賢い)人」というわけではありません。

もちろん、勉強ができることも学校の成績がいいことも、いずれも素晴らしいことなのですが、学校を卒業してからの長い人生で求められるのは、それとは違う「頭のよさ」であって、学校生活を経て社会に出れば、「勉強ができる・できない」だけで評価されることは、実際はほとんどないのです。

では、そもそも「頭がいい人」とはどのような人のことをいうのか? その定義は人によっても多少違いますが、たくさんのことに興味・関心を持ち、自分の頭で考えたり表現したりすることを繰り返せる人、といえるのではないでしょうか。



(キャプション)図版:山中正大・梔図案室


    

自分で考え、自分を表現する力は、社会に出てからの「生きる力」になっていきます。自分の考えを正しく周囲に伝え、まわりを見て自分のやるべきことを察知する。物事を先入観なく理解し、他人が思いつかないような切り口でとらえる……。こうした力を身につけていくことは、大人になってからもつねに意識し続けるべきでしょう。

一つ注意してほしいのは、「勉強ができる=頭がいいではない」から「勉強はしなくていい」という勘違い。自分で考え、表現する力は、あくまで勉強を積み重ねることで徐々に育まれるものなのです。これは、子どもも大人も同じだと思います。

「答えのない問い」を考える訓練をしよう

勉強をしていて、これまで解いたことのない難問に直面したら、あなたならどうしますか? こうした問題の多くは、これまでに習ってきたことを思い出し、知識を組み合わせていけばおそらく答えにたどり着けるものです。ところが、自分で深く考えることなく答えを周囲に聞いたり、すぐに解答を見てしまう人がいます。

大切なのは、自分で考えればわかりそうなことは、まずは自分自身で答えを見つけてみること。何かを考えれば「なぜなのか?」という疑問も生まれますし、その考える行為自体が、自分を成長させてくれるのです。

学校で学ぶ内容のほとんどには「答え」が用意されています。テストだって同じです。答えのないテストなんてありません。

でも、あなたが学校を卒業して社会に出たら、「答えのない問い」を考え続けなくてはなりません。そもそも「問い」がないことだって、いくらでもあります。あなたは、そこに「新たな問い」を設定して、その答えを手探りで探していくのです。


(図版:山中正大・梔図案室)

本当の意味での「考える」とは、自ら問いを発して答えを探し出すことです。学校での勉強は、自分の頭で考えるための“訓練”のようなものなのです。

他者からの評価に一喜一憂しない

勉強とは本来、「できたらもっとやってみたくなるもの」「わかったらうれしくなるもの」です。その証拠に、まさに好奇心の塊であるかのような赤ちゃんは皆、自分の身のまわりの対象からさまざまなことを学んでいくのが大好きです。

ところが子どもは、学校に入り学年が進むにつれて、勉強が“能力を測るモノサシ”として使われ、測定された数値だけで自分の将来が決まるかのように感じてしまうようになります。

勉強に関わる評価基準は、テストの点数や通知表、偏差値など、さまざまあります。これらは「現時点の到達段階を測る腕試し」のようなものですが、これに先生や学校、保護者といった「他者からの評価」という意識が加わってしまうと、とたんに勉強が「よい評価をされるためのもの」になってしまいます。

でも、そんな評価に一喜一憂するのはすぐにやめるべきです。テストや通知表による評価は、あくまでその時点での結果であって、その後の自分の人生を決めるものではないからです。

「間違えた問題」にこそ意味があると考える

評価をあまり気にせず、楽しみながら勉強をしている人に共通しているのは、間違えた問題を夢中になって解き直している点です。「自分が間違えた理由がわかるのがうれしい」のです。

例えばテストで75点を取ったとき、「100点を取れなかった。自分はダメだ」と責めるのではなく、「残りの25点にこそ意味がある」と考えるようにする。つまり、結果だけを見るのではなく、「考える過程を見る」ということです。

間違えた原因や弱点を明らかにして、どう解決していくかを考えるようになれば、あなたにとって勉強はもっと実りあるものになるはずです。


(図版:山中正大・梔図案室)

勉強で伸び悩む人の特徴の一つに、「答えが合っているか・間違っているかしか注目しない」という点が挙げられます。勉強して成果が出ないのは、本当は理解していないのに「わかったつもり」になっていることが原因かもしれません。

「できる」と「わかる」は、似ているようで違います。例えば、テストで運よく満点を取ったとします。もし答え合わせをしただけで終わってしまったら、偶然できただけなのに“わかったつもり”になって満足してしまう可能性もあります。

仕事ができる=勉強ができるということではない

このような人は、時間を置いて同じ問題を解くと間違えたり、ちょっとした応用問題が出されるとつまずいてしまったりすることが少なくありません。そう、「できる」という結果ばかりに目を向けて過程を重視していないからです。

学びで大切なのは、「本当にわかったか?」「納得したか?」に気持ちを集中すること。「できる」ではなく、「わかる」というプロセスにこそこだわるべきなのです。


以上この記事では、小中学生向けの児童書をもとに、「大人こそ再認識したい」勉強にまつわるトピックスをざっと解説しました。子どもの頃から私たちは、「勉強ができる人は頭がいい人」と思い込み、それを根拠に過剰なほどの劣等感や優越感を抱き続けてはいないでしょうか。そして、子を持つ親は、そんな視点をわが子に知らず知らずのうちに引き継いでしまっているかもしれません。

社会に出ている私たち大人は、「仕事ができるということは、勉強ができるということとは違う」ということを、おそらく身に染みて理解しているはずです。そして、社会を生き抜くために必要なのは、自分自身で考え、最適解を出していくことだということも、わかっているでしょう。だからこそ、社会で自分の力を発揮するのに必要な「考える力」を養うためにも、その基礎となる「勉強」は大事なことなのだということを、まずは私たち大人自身があらためて再認識すべきではないでしょうか。

(高濱 正伸 : 花まる学習会代表)