何歳になっても自分らしくいきいきと働いていたいですよね。この記事では、これまでESSEonlineで紹介した5名の方々が仕事に向き合ううえで大切にしていることを紹介します。

66歳、年金をもらいながらムリなく働く。50代であえてパートへ転職した理由

1LDKのマンションに、月額12万円の年金(企業年金と公的年金)で1人暮らしをしているショコラさん。
「生活費は年金が始まっても、パート収入のみの頃と変わりません。別居・離婚を経て、自活しながら、老後を見据えて購入したマンションのローンは10年で完済しました」
上手に節約しながら、すてきに暮らす様子がブログで公開されると、すぐに大人気になりました。

【写真】マクドナルドで23年間働く90歳

●全力投球からマイペースに。50代で働き方を変更

現在、ショコラさんは週4日のパート勤務。57歳の誕生日を迎える頃までは正社員としてがむしゃらに働いてきましたが、ローンの支払いを終えたこと、心身ともに限界を感じていたこともあり、思いきって退職。内勤・事務職のパートにきり替えました。
「有休を消化しながら、フリーペーパーやネットで求人を探して3社ほど受けました。でも、これがことごとく不採用で…」

失業保険の手続きのために訪れたハローワークで事態は急展開!
「とにかく会社の情報に詳しいんです。『ここは階段が細いし、段ボールを持って上がり下りするのはつらいかも』なんてアドバイスも。求人情報だけではわからないことも多いのだと実感しました」

とはいえ、収入面では正社員時代の3分の1ほどに。当初は辞めたことを後悔もしました。「50代のうちに活動したおかげで選べる職種も60代以降よりは多かったようです。長く続けられる仕事に変わるにはいいタイミングだったのかな、と今は思います。60歳から企業年金の受給が始まるのもわかっていたので、節約に拍車をかけてなんとか乗りきりました」

そのパート勤務もそろそろ10年。年齢を重ね、体力的にしんどくなってきたこともあり、現在はさらにペースを落として、日数・時間ともに短縮しました。「そんな調整ができるのも、パートならでは。その分はお給料はへりますが、年金が始まったのでパート収入は予備費に充てています。職場には70代の先輩方もいるので心強いし、体が動くうちは、働けるだけ働こうと思っています」

記事の初出は2022年7月。内容は執筆時の状況です。

80代の父が、ネットで人気の裁縫職人に。支えてきた50代娘の思いとは

「G3sewing」という名でソーイングチームを組み、物販をしているのは、50歳のkikiさん、84歳の父(G3=じーさん)、80歳の母(B3=ばーさん)の3人の親子。元電気職人のG3が主に製作しているので、G3sewing(じーさんソーイング)と名づけたそう。現在、三重県四日市市の平屋の一軒家で、がま口バッグ、トートバッグ、お茶碗型ポーチ、お薬手帳がま口などをつくって、ネットで販売しています。

会社ではありませんが、商品をつくっているG3が工場長、検品・包装担当のB3が専務、発送、経理、進行管理など、その他何でも担当するのが社長のkikiさんです。

「役割分担が明確にしたら、仕事がやりやすくなりました。G3には職人に徹してもらい、今までの人生で失敗してきた、人との交渉など不得意なことは、私が担当しています」と、kikiさん。

家族で仕事をしているなんて、さぞかし仲よしなんだろうと聞いてみると…。それはここ2〜3年のことで、それまでは今とは真逆だったそう。G3は元職人で腕は確かでしたが、短気で人づき合いが苦手。すぐに人ともめるので、仕事が長続きしません。だから、家族はいつも貧乏暮らし。ぶつかることも多かったのです。

仕事を引退してからは、病気のオンパレード。病気が原因で鬱病にもなり、家出や自殺未遂をしたことも。G3本人も「死にたい。生きていても意味がない。みんなに迷惑かけとるだけや」と言い、家族も「今すぐ死んでくれてもいい」と本気で思っていました。

●80代を過ぎてミシンに夢中に

面倒な存在の父・G3ですが、やはり娘として気にはなります。G3が82歳の頃、kikiさんは壊れたミシンの修理をお願いしました。

「やることもなく、病気のために体調も思わしくないG3は、1日のほとんどをベッドで過ごしていました。ミシンの修理をすることで、長年培ってきたG3の職人魂がよみがえり、少しでも元気になればいいなと思って、頼みました」とkikiさん。実際に、G3はベッドから起き上がり、あっという間にミシンを修理。今まで、ミシンに触れたこともなかったのに、職人魂に火がつき、その日からミシンに夢中になりました。

記事の初出は2022年9月。内容は執筆時の状況です。

85歳、現役アパレルショップ店員。79歳で「働きたい」と強く思い履歴書を送るまで

小畑滋子さんの著書『85歳、「好きなこと」を続けるごきげん暮らし』(大和書房刊)から、抜粋にて紹介します。

●心が健康で100歳!大歓迎

79歳で夫を亡くしました。

20代の初めに結婚し、50年以上も連れ添ってきましたから、やはりショックは大きいものでした。しばらく、心が空洞でした。そんなとき「つるとはな」(株式会社つるとはな)という雑誌で「call」の求人広告に出会ったのです。

「つるとはな」は、小さな出版社が出している「年上の先輩の話を聞く小さな場所」をコンセプトにした雑誌です。大好きで毎号、隅から隅まで読んでいました。そうしたら、第3号の折込みのページに「年齢は問いません。人生経験豊富な方、心が健康で100歳! 大歓迎です」と「call」の求人広告が!

え? 100歳でもいいの? 驚きました。

それまで、とくに働くことは考えていませんでした。子どもたちが小学校に通うようになってから、カルチャースクールの洋裁教室の講師を務めていたこともありますが、基本的には主婦として生きてきました。夫も勤めていましたから、経済的な心配はしたことがありませんでした。

でも、なぜかこの求人広告には心を動かされました。
ミナ ペルホネンのこと、じつはずっと知らなかったのです。求人広告を目にするちょっと前に、皆川明さんと松浦弥太郎さんの対談本『ミナを着て旅に出よう』(文春文庫刊)を図書館で借りて読んで知りました。それで、ちょうどミナ ペルホネンに興味をもっていた時期だったのです。

いま考えても、あのときの自分の行動力には感心してしまいます。
文房具店で、生まれて初めて履歴書を買いました。履歴書なんて書いたこともなかったので書き方にも迷いましたが、とにかく一生懸命書きました。なにを考えていて、いまどういうふうに生きているか、というようなことです。

そうしたら、「call」から面接の連絡がありました。
面接の日は、お店がある東京・青山のスパイラルビルに少し早めに着いたので、1階のカフェでコーヒーを飲みました。ああ、おいしいと思ったの。でも、遅刻したらいけないと思って、半分くらい残して9階に上がりました。

何十年ぶりかの面接でしたが、とくに緊張はしませんでした。なにを質問されても、ありのままを素直に答えました。年だけは重ねていますから、無理に自分を大きく見せるつもりはないし、こんな私でよければ、と自然体で挑みました。

何週間かして、お手紙をいただいて、あら合格したんだわ、と。どこを気に入っ
ていただいたのか…。そこから勤め始めています。

90歳、マクドナルドで働いて23年。日々のバス通勤と3時間半勤務が元気の源

「23年前、前の仕事を定年退職した頃で、そのとき67歳。『また働きたいな』と娘に言ったところ、マクドナルドがクルーを募集していることを教えてくれました。当初、熊本下通店は1999年12月にオープンしたてでしたが、私が入ったのは翌年7月。求人を見て電話で申し込んだところ、『明日から来てください』と言ってもらえたんです。ありがたいことにそれ以来働かせていただいています」

マクドナルドのクルーには定年制度がなく、どの年代の男女も面接が可能だそう。23年前の採用以来、本田さんの役割は清掃クルーとして勤務。朝7時に出勤して10時半頃に退勤する働き方を週5日続けています。

●同僚クルーからは「タミちゃん」と呼ばれて

「お店はアーケード街にあり、私は主に店外の掃除をしています。コロナ以前はお店のホール内などすべて掃除していました。ほかのクルーの方は私より若い方ばかり。店長とは孫くらいに年が離れていますが、『タミちゃん』と呼んでもらったり、15歳のひ孫くらいのクルーもいて、みなさんとても優しく接してくれます。おかげさまで、こちらも気兼ねなく仕事と向き合えます。『本田さんみたいに何歳になってもがんばっているので刺激を受ける』と言ってもらうことも多いのですが、私のほうこそみなさんから日々刺激をいただいているんです」

最近では、地元メディアに取り上げられる機会も増え、お客さんからの反応も増えたそう。

「テレビを観た方々から、お声がけいただく機会が増えました。『いつもきれいにしてくださりありがとうございます』などと言っていただくことも多いですね。また、ある70代の男性からは、『僕も働きたいけれど、70代だから断られちゃう。90歳で働けるなんてうらやましいよ』という声をいただきました。それを聞いて、まだ働きたい人と思う人はいるんだなと感じました。そのたびに会社にはありがたいなという思いです」

97歳現役看護師の池田きぬさん。「しんどいけど、働けたという感覚が爽やか」

池田きぬさんは、1924年(大正13年)生まれの97歳。現在、三重県津市一志町にある、サービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」で看護師として働いています。看護師の仕事を始めてから80年。結婚、出産、子育て、介護、ご自身の病気など、いろいろなことを経験しながらも、ずっと仕事を続けてきました。ご主人は20年ほど前に亡くなり、息子さん2人は別の場所で暮らしているので、今はひとり暮らしです。

池田さんは言います。

「『そのお年まで働き続けるなんて、すごいですね』と言われることがありますが、すごいことなんてありません。ただ、目の前に仕事があるから、それをしてきただけです」

現在は、週1〜2回、ほとんどが自分よりも年下だという入居者さんの看護を、担当しています。

そんな池田さんの仕事のやり方、そして、年を重ねても働き続けるコツをのぞいてみました。

●一看護師として、謙虚に、そして気楽に仕事をする

現在の職場の看護師募集の面接を受けたのは、88歳のとき。30代後半から、師長(当時は婦長)などの責任のある仕事をしてきましたが、最後は一看護師として、仕事をまっとうしたいと思いました。「だれも知っている人がいない職場で、そおっと勤めよう」と考えたそうです。

池田さんを採用した、「いちしの里」の社長・淺野信二さんによると、「池田さんが面接にきたとき、88歳と聞いてびっくりしました。でも、池田さんの謙虚の人柄がいいなと思って、採用しました。あちこちで責任者を歴任してきたキャリアのある人なのに、『なんでもやります。私は一生看護師をしていたい』と言ってくれました」。

現役時代にキャリアがある人は、それを引きずって偉そうに振る舞うこともあります。でも、職場が変わればやり方も変わります。自分の積み上げてきた能力は活かしつつ、謙虚な姿勢が大切ですね。

「池田さんは60代のとき、国から叙勲(宝冠章・勲六等)を受けていたそう。これも随分後で知りました。面接のときも、現在の職場でも、自慢したり偉ぶったところがまったくありません。若い人たちのお手本になる、頼りになる存在です」と淺野さん。

一方で、池田さんは「今は一看護師として、与えられて仕事をこなすのに一生懸命です。でも、管理の仕事をしていたときより、気はラクですね。入居者さんにゆっくり向き合えます」とも言います。今の自分を受け入れて、肩の力を抜いて働くこと。これも年を重ねてからの働き方のコツです。

記事の初出は2022年2月。内容は執筆時の状況です。