ANAのチケットを買おうとしたら、JALに行くよう誘導された中年男性 後日、「相談窓口」に送ったメールの内容とは
シリーズ読者投稿〜あの時、あなたに出会えなければ〜 投稿者:Mさん(東京都・60代男性)
約20年前、Mさんの母が亡くなった。Mさんがその報せを受けたのは、実家のある南九州から、東京に戻ってきてすぐだった。
彼は地元にとんぼ返りすることになって......。
<Mさんの体験談>
癌で入退院を繰り返していた母親が亡くなった時なので、約20年前になります。
実家は南九州の田舎町。私は東京で就職していましたので、帰省する機会は限られていました。
その日は、帰省のためにちょっと多めに貰った年休の最終日。病院によってから東京に戻ることになっていました。
なぜ、遠く離れた東京で就職したのだろう。
私が「東京に帰るよ」と言っても、母はポカーンって感じです。なぜ、遠い東京に就職したのだろう。そう思うと、涙が勝手に流れてきました。
空港のリムジンバスに乗って、飛行機で東京へ向かいます。私が持っていたのはPHSで、飛行機の中ではスイッチオフする必要がありました。
羽田空港について電源をオンにしたら、親父からメールが来ていました。
「だめだった」
親父はメールが得意ではありませんでしたが、機内の私には電話がつながらず、メールを送ってきたのでしょう。
「ANA便はたった今出発したので...」
私は会社に状況を伝え、とんぼ返りすることに。ANA派だったので、チケットを取るために急ぎました。
「一番早い飛行機をお願いします」と言った私に、ANAのスタッフが言いました。
「ANA便はたった今出発したので、JALさんが早いです」
私は泣いてはいないつもりでした。しかし、たぶん他人が見れば泣いていると分かったのだと思います。
JAL便をすすめてもらったおかげで、早く実家に戻れました。
葬儀が終わって東京に戻ってから、パソコンからANAの相談窓口のようなメールアドレスにメールしました。
感謝を示すため「あの時には、ありがとうございました」と送ったのです。確か、返信もあったと記憶しています。
その後、親父は10年間一人暮らしをしました。
母親はバイトをやめた途端に病気になり、東京へ来てもらうことも出来ず、親孝行できなかったです。その分、親父とはディズニーランドにも、海外にも一緒に行きました。
その親父の七回忌も過ぎました。今は、母とラブラブしていることでしょう。
あの時のANAの方、本当にありがとうございました。
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